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『あんぱん』第114回 手塚治虫とやなせたかし「2大巨人の邂逅」という興奮がゼロ

『あんぱん』第114回 手塚治虫とやなせたかし「2大巨人の邂逅」という興奮がゼロの画像1
今田美桜(写真:サイゾー)

『鉄腕アトム』の手塚治虫と『アンパンマン』のやなせたかしという、日本のエンタメ史上における2大巨人の邂逅。歴史が動く瞬間。ビッグバン前夜。そういう興奮を少しでも感じたかったというのは、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』に対しては贅沢な要求なのでしょうか。

 なんだか腑抜けたメガネが2人と年齢不詳のツルテカ妖怪が手を握り合って跳ねてましたけど、こういう場面こそエモで満たしてほしいところなのよ。ここで手を握り合ったのは2人のおじさんじゃないんですよ。巨大な才能と才能なわけでしょ、史実としてもそうだし、ドラマとしてもそういうことになってるわけだよね。めちゃくちゃロマンチックな場面じゃないの。その巨大な才能に対する畏怖がないんですよ。

 このドラマには、畏怖がない。「もしものぶさんに妖艶な妹がいたら」という「if」だけがある。どうばい、ダジャレにしてはシャレとうやろ(シャレてない)。

 第114回、振り返りましょう。

のぶさんはフィラデルフィアの街を見たか

 嵩くん(北村匠海)のやることなすこと、全部のぶさん(今田美桜)のおかげにしないと気が済まない『あんぱん』。今日も冒頭から、懸賞の結果を知らせるために階段ダッシュをしています。ついこないだもこの階段でダッシュしてましたけど、あのときは「低い場所から高い場所へ駆け上がる」という心象風景を描いた演出だと思ったわけです。

 映画『ロッキー』ですよ。いつも薄汚れた商店街をロードワークしているロッキーが、節目になると美術館の階段を駆け上がってフィラデルフィアの街を見下ろす。そして、自分のやってきたことを振り返る。何度も繰り返された印象的なシーンです。『ロッキー5』では、引退を決めたロッキーが階段を上り切ると、街を振り返らず、息子の手を引いてその先へ歩いていきました。

 かように階段というのは、フィクションの中で印象的に使用されるシチュエーションなわけですが、のぶさんが雑誌を抱えて階段を上がっているということは、嵩の家はもう階段の上なんですね。わざわざ階段を下りて低いところに行ってから、駆け上がっていたわけだ。なんか冷めるよね。成功者の手遊びじゃないの。

 そして以前の懸賞発表のときもそうでしたが、のぶさん1人で本屋に行くのはどういう了見なんでしょうか。嵩には「一刻も早く結果を知りたい」という気持ちはないのか。

 仮にね。

「ボクやっぱり結果を知るのが怖くなってきた」

「嵩! たっすいがーはいかん! うちが買うてきちゃる」

 みたいな会話があれば成立するシーンではあると思うんです。でも、なんもないじゃんね。ただ「全力坂」のパロディみたいな画面を撮りたいだけ。撮りたい画面があって、その画面を撮るためにお話を作るという作劇のやり方があったっていいと思うけど、残念ながら『あんぱん』はそこで作劇をしないんです。劇を作しないの。作してほしい、劇を。

 そうして嵩が「落選したらマンガ家を辞める」とまで決意していた懸賞の結果を各人がどんな気持ちで待っていたのかが作劇されなかったために、発表の瞬間にも興が乗りません。羽多子(江口のりこ)の「100万かよ」という絶叫もやかましいだけだし、どう見ても完結してない8コマのアレが大賞を獲るような作品に見えない。

 実際には連載半年分の24作を描き上げて応募していたそうですね。でも、そこを史実通りにしちゃうと「前日に、のぶの帽子を見てアイディアが降ってきた」というドラマのオリジナルエピソードが死んでしまう。ひと晩で24作を描かせることはさすがにできないから、史実を矮小化することで手を打っている。こうやって都合で史実を矮小化するから、いつまでたっても私たちは作家・柳瀬嵩を尊敬できないし、好きになれない。そういうことが起こっているわけです。

ついに顔

 手嶌(眞栄田郷敦)にしてもそうです。この時代に名を轟かす天下人といっておいて、その天下人に、そのお点前を「まるでなってない」と評価されたばかりの「のぶ茶」を出すのはどういうことなのか。横にお茶の師匠がいるのに。

 そもそも、なんでのぶはお茶を習う立場なのに自宅に師匠を呼びつけているのかという不合理もあるし、「あの大作家が子どものような顔で寝ている」というギャップを演出したいのに、ヘタクソな「のぶ茶」を出してしまったことで、この女衆3人が手嶌をナメているという前提ができてしまっている。

 そして手嶌が嵩に仕事を依頼するきっかけも、やっぱりのぶでなければならない。ここはさすがにのぶに関係なさすぎるので、ミホちんも苦労したのでしょう。ついに「顔」ということになりました。のぶが美人で、その美人画を嵩が雑誌の表紙に描いて、それを見た手嶌がキャラデザを依頼してきた。

 のぶが美人だったおかげで、嵩は手嶌との仕事をゲットした。もはや、のぶさんの評伝でもなんでもありません。ドラマですらない。50手前ののぶのルックスを20代に見える美しさで撮って、それを「美人だ」と評価して話を展開している。実にしょうもないし、実際モデルとなった夫婦に対する失礼の極みです。

 階段、お茶、顔、今日の「のぶのおかげ」3要素はすべて逆効果だと言わざるを得ないところです。またまたヒロイン様の好感度が下がっております。

コットンパーティー

 なんで八木ちゃん(妻夫木聡)の会社でお祝いパーティーをやってんのかと思ったら、八木ちゃんと蘭子(河合優実)のイチャコラを羽多子に見せるためだったか。

 愛する人を戦争で失った女性の心の再生も、きっちり描きたいということなんでしょうね。

 あのね、今さらなんすよ。最初からこの密度で蘭子という人物を描いていたら、八木ちゃんとのここまでのエピソードにも何か感じるところがあったのでしょうけど、いきなり映画の記事を書き始めたり、いきなり東京に転勤になったり、いきなりのぶの階下に引っ越してきたり、行動が不規則すぎてもうこの人を、ひとりの人間として感じられなくなっている。単なる「戦争未亡人」という記号になってしまっている。

 そして明日はいきなりカナダ行きの密航船に乗ったことのあるヤム(阿部サダヲ)が帰ってくるようですね。まぁいいよ。河合優実と阿部サダヲと妻夫木聡が同じ画面に収まりそうだという、ストーリーとはまったく関係のないところを楽しみにしておきます。これでもまだ、楽しみを探してるんですよ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/09/04 14:00