『あんぱん』第122回 意味不明なOPは「暴走する『さすがのぶさん』という概念」の映像化?

ミュージカルをやろう! と言って握手して、その初日顔合わせに来ない脚本家。どういう事情があったにしても、たくちゃん(ミセス)ほかすべてのメンバーの顔にべったりと泥を塗る行為ですし、その事情が雑誌の変更と校了が重なったからだという。
あのね、雑誌というのは発売日が決まってるんですね。ということは、発売から逆算して輸送や印刷の日が決まっていて、校了日が決まってるんです。ここまでに校了しなければ雑誌が出ない、という日が明確に決まってるの。
自分が編集長をやってる雑誌の校了日にミュージカルの顔合わせを入れるって、どういうスケジュール感なんですかね。いろんな編集者やクリエイターが世の中にはいると思うけど、この嵩(北村匠海)という人はマルチタスクの人なんですよね。仕事の内容なんかほとんど見せてもらえず、「とにかくマルチタスクである」「同時並行作業の鬼である」ということだけを強調してきた中で、今日だけダブルブッキングして顔合わせに穴をあけている。
これ、タクシー運転手に例えれば、とにかく安全運転だけが取り柄で数十年間無事故無違反だった運転手が、ある日突然首都高でドリフトかまして壁に刺さっちゃったって言ってるのと同じなんですよ。気が触れてるんです。謝って済むような問題じゃないし、すぐ許しちゃうたくちゃんも変すぎる。
今日も変なことが始まったと思ったら、しかしそこでは、もっと変なことが起こっていました。のぶ(今田美桜)とメイコ(原菜乃華)おるやん。のぶはまだしも(のぶはまだしも、と思ってしまう程度にはNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』の無理筋に調教されている)、メイコおまえ本格的に関係ないだろ、何してんの。
ここでこざかしいなーと感じるのは、顔合わせの冒頭でたくちゃんに「今集められる人を集めてみました」というセリフを言わせていることです。「今集められる人」、なんの意味もない日本語です。自分が出資するミュージカルの初日顔合わせに「今集められる人」を集めた。これが、『あんぱん』が私たちに訴えかける「のぶとメイコがここにいる理由」です。じゃあおまえの母ちゃんも呼べば? 羽多子(江口のりこ)も家でヒマしてるから呼びなよ。ついでに管理栄養士とキングオブギャルも呼んだらいいんじゃない? 「今集められる人を集めてみました」なんてセリフでこの不合理を納得できるほど、こっちは人間が出来ちゃいないんです。
第122回、振り返りましょう。
慎みと傲慢の間に
どうしても「ミュージカルの成功ものぶさんのおかげ」にしたいところ、初日の顔合わせでいきなりのぶが口を挟むのは傲慢すぎるということなのでしょう。のぶはメイコに促されて立ち上がることになります。
このために、メイコは呼ばれていたわけです。のぶさんは自分の意見をしっかり持っているけれど、それを自分から振りかざすほど立場をわきまえていないわけではない。そういう演出のために、ここにいるはずのないメイコをわざわざ引っ張り出して、手を汚させる。慎みのあるのぶさん、これにて一丁上がりなんですが、滔々と自説を語るのぶさんを立派だと思えるほどこっちは人間が出来ちゃいないし、そもそもなんでここで絵本版の概要と感想を語る必要があるのか。ミュージカル化されるのはヤルセ・ナカスなるマンガ家が主人公の「詩とメルヘン」版のアンパンマンだよねえ。なんでみんな拍手してんの。なんでのぶはドヤ顔してんの。そんでテレテレいってオープニング映像が始まるわけですけど、結局のところこの白いワンピースの今田美桜は劇中のいつの誰なのよ。「暴走する『さすがのぶさん』という概念」の映像化なのかな。
完璧とは
打ち合わせから帰ってきたのぶさん。「テープレコーダーの代わりになる」と言いながら、速記したメモを嵩に見せます。いや、テープレコーダーを回せばいいのでは。
百歩譲って、のぶの演説がこのミュージカルの顔合わせに必要だったのだとしたら、そこで話した内容は嵩も正確に知っておくべきだし、それに対するたくちゃんや役者さんたちのリアクションだって把握しておくべきでしょう。こいつ少なくとも自分がしゃべってる間に速記なんかしてなかったし、たくちゃんが何か言ったときもご満悦でニコニコしてただけだったぞ。
「いやーそれにしてものぶちゃんはすごいね、ボクが打ち合わせに出てなくても完璧だ」
本気で言ってるなら筆を折れ。おまえ共同作業向いてないよ。
ジュニアが来たぞ
と、ここまでは序章でしたねえ。今日のメイントンデモは突然来訪してきた岩男ジュニアに「アンパンマン」の絵本を渡すシーンでしたね。父の死に際を知りたいと言って訪れてきた人に、関係ない絵本を渡す。せめて「チリンの鈴」であってほしいところでしたが、ドラマ『あんぱん』と「チリンの鈴」の関係はねじれてしまってるんですよね。
もともとやなせ氏の戦争体験が大いに反映されていたはずの「チリンの鈴」をモデルに、『あんぱん』は岩男が死ぬエピソードを創作してしまった。結果、劇中で嵩が書いた「チリンの鈴」は、実在のモデルがいて、登場人物を動物に置き換えただけのセミドキュメンタリーになってしまった。しかも、ドラマはその「チリンの鈴」を嵩の渾身の一作ではなく、「頼まれて仕方なくやったカネにならない仕事」のひとつとして扱ってしまった。戦後、岩男と岩男の家族に対してやるべきことは何もせずシカトし続けてきた。
だから嵩には、ジュニアになんか言う資格なんかないんです。飯のタネにしかしてないからね。
でもね嵩、君にもひとつだけ、ジュニアに言ってやれることがあるんだよ。
「岩男は死に際に、あなたのことなど一切思い浮かべていなかった。あなたのことも、あなたの母のことも、まったく考えていなかったよ」
それは言えるよね。見てたもんね。どうして岩男は、ジュニアや妻のことを一切考えなかったのかって? それは中園ミホがそう書いたからだよ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)