『あんぱん』最終回 小松暢さんは知らんけど、柳井のぶさんは優しい人ではなかったね

終わった(笑)。
終わりましたのでね、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』最終回、振り返りましょう。
そういやドキンちゃん誕生秘話は?
昨日、死期を悟って姿を消したので猫になったのかなと思ったのぶさん(今田美桜)でしたが、いつの間にか謎の手術が終わり、誰が持ち込んだのかわからないアンパンマングッズを病院関係者に布教しています。
一番人気はドキンちゃんだそうですけど、そういやドキンちゃんの誕生秘話はありませんでしたね。幼少期から明らかにドキンちゃんはのぶがモデルだと匂わせてきて、嵩(北村匠海)は何でもかんでも妻・のぶをモデルにしちゃう人だと描いてきて、肝心のドキンちゃんはいつの間にか誕生している。
ドキンちゃんに「大いにのぶが反映されている」ということをちゃんと描ければ、「夫婦の死後も作中で夫婦は生き続ける」という感じになるのに、そういうことはできないんだよなぁ。なんか、いろいろ史実とか実在のやなせ作品から引用しまくるだけしまくっておいて、このドラマの作り手の解釈みたいなものがひとつも披露されなかった気がしますね。全部、ただ借用しただけ。そういうところが、リスペクトが感じられない部分なんです。シンプルに、「アンパンマン」も他のやなせ作品も、ちゃんと読んでねーだろと感じてしまう。
第1話のレビューで「中園さんのインタビュー読んだら、中園さんって子どものころやなせたかしと文通してたんだってね。こんなの、ガチのマジでちゃんと作るしかないじゃん」と書いたんだけど、全然ガチのマジじゃなかったな。なんか「文通してた」という事実が「私だけが知っているやなせたかし」という自己顕示欲に結び付いて「好き勝手やっていい、私もドラマに出していい」というエクスキューズとしてしか機能しなかったし、その好き勝手そのものも、ろくに好き勝手できていなかった感じです。まあそのへんは、朝ドラはいろいろ横槍もあるんでしょうね。
「絶望に追いつかれないスピードで走れ」みたいなセリフ、統括クンのお気に入りだそうですね。統括のゴリ押しか脚本家の忖度か知らんけど、そんなに何回も具体的なセリフで出してくるんじゃないよ。そういうのはドラマ全体から醸せ。そんで、「私たちは絶望に追いつかれないスピードで走り切りましたね」とか、打ち上げのダイニングバーで言い合え。そういうもんです。
最終回で死ぬ死ぬ詐欺
長回しのセリフ劇も味気ないというか、無意味でしたねえ。
嵩が「体にいいものは全部試そう」と言って、のぶが「〆切、こじゃんとあるのに大丈夫?」と返す。会話が噛み合ってないんです。「空気のいいところに湯治に行こう」とか「インドに行って偉い僧侶に祈ってもらおう」とかだったらわかるけど、会話がワンターン飛んでるんですよね。中園ミホってこんなセリフ下手だったっけ。どうなってんだろ。
そしてのぶが嵩の優しさを評する場面ですが、父が死んだときと、自分が生きていていいかわからなくなったとき、嵩は「弱い自分」を見せてくれた。「やき、うちは救われたがよ」。そう言うわけですが、結太郎が死んだとき嵩は父娘の絵を描いて駆け付けたし、のぶが「うちは何者にもなれんかった」と言ってむせび泣いたときは「のぶちゃんは最高だよ!!」と絶叫していました。別に「弱い自分」なんか見せてない。
「そういう、たっすいがーの嵩が大好き」というセリフにつなげるためだけに、「嵩は弱い自分を見せた」なんて、ありもしない過去を、この期に及んで捏造してくる。もうこのあたりで、「早く終われ」という気分になってきてしまいます。嵩は優しかったかどうか知らんけれども、このドラマを見ていてのぶさんを「優しい人だ」と感じたことは一度もなかったよ。あなたは優しくない人だった。このシークエンスの冒頭、「今年の桜は一緒に見られないかもしれない」というセリフなんて、その「優しくなさ」の極致だったね。自分勝手なんだよ。「歌って」もウゼーよ。人の優しさを搾取するんじゃないよ。
「やき、生きることは空しいことじゃないがよ」
誰か、生きることが空しいとか言いましたっけ? 誰に何を言っているの?
「奇跡が起きたのでしょうか?」
知らねーよ、そっちでそうしたんだろ。イヌ連れてダッシュしたり、紙芝居では腹式呼吸で声を張り上げたり、もう最後までズッコケでしたね。ズッコケだよ。やっと終わったよ。
ズッコケと戦争についての倫理の問題
このドラマで随一のズッコケだったのが、中国でゆで卵を食うシーンでした。「アンパンマン」が戦地の空腹と飢餓の経験に基づくものだとすれば(そうなんだろ?)、もっとも重要なシーンだったと言っていいでしょう。
殻ごと食ったのは別にいいわ。空腹の限界で銃まで向けた人たちが、「産みたての卵」を目の当たりにして、固ゆで卵ができるまで待ってたというバカバカしさ。わざわざ「産みたて」って言ってくれてるんだから、生で食えよ。大鍋にお湯が沸いて、ゆであがるまで20分くらいかかるでしょう。どういう顔で待ってたのよ、それ。
で、悪い意味で印象に残っていたこのゆで卵の件を美談に昇華したのが、『あんぱん』のもっともヤバイ部分だったと思います。その日のレビュー、もう1回書くのも嫌な気分になるので、コピペしておきますね。
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嫌な話をしますよ。ここで描かれたエピソードがどういう類のものなのか、ハッキリさせとかなきゃならない。
日本軍に限らず、古今東西の侵略戦争において現地の女性が進駐軍の兵士に強姦されるというケースは数多くあったといいます。戦後に「慰安婦問題」が大きな問題になるほど、極限状態に置かれた兵士たちの性欲処理は切実な課題だったはずです。
食欲じゃなく、性欲だったらっつー話ですよ。
コンタが中国の奥地で、性欲に駆り立てられて自我を失い、女性の家に押し入って銃を向け「セックスをさせろ、さもなければ殺す」と言ったとします。女性は撃ち殺されるよりはマシだと覚悟を決め、素直にコンタに従っておとなしく身体を提供する。コンタはその身体を、性欲のままにむさぼる。もう相手の顔なんて見ていない。
そういうことがあって、いつの間にかコンタの中でその経験は「銃で脅迫して強姦した」ではなく「女が自らの意志で、『親切』や『思いやり』の精神でヤラせてくれた」と変換される。実際には銃を向けて奪ったのに。
そして戦争が終わり、平和な日々の中でコンタがつぶやくのです。
「どういても、あのときの恩返しを誰かにしたいがです」
ああ、すげえ嫌なものを見たね。
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これが「戦争を描く」と言った『あんぱん』の本性だったね。本当に嫌な場面だった。二度とこういうのは書かないでほしい。
構造的には
構造的には、嵩と登美子(松嶋菜々子)の関係の回復を描きたいというドラマ側の都合と、「やさしいライオン」や「チリンの鈴」で描かれた「育ての親」という存在の相性の悪さが致命的でしたね。ドラマは登美子の件も岩男の件も「親子愛ってやっぱり強い」と言いたいのに、前出の2作は全然そういうことを言ってない。そういうことを言ってないのに借用しちゃうから、わけのわからないものが出来上がる。
あと、「アンパンマン」のアニメ化をドラマの目標にしてしまったために、モデル人物の「マルチな才能」というものを徹底的に否定することになってしまったのも失敗だったと思います。特に、デパート勤務中はマンガと会社員のダブルワークで2馬力稼いでいたのに、独立したらマンガの仕事がなくなっちゃったあたりはひどいものでした。その後も、嵩がどれだけ働いてものぶさんが「それよりマンガ描け」としか言わなくなったので、めちゃくちゃ偏屈で性格が悪い感じになってましたし、いざアンパンマンのラフ1枚描いたら「マンガ描け」を一切言わなくなり、詩集に大喜びしたりと迷走続きでしたね。失敗してたなぁ、「嵩の仕事を応援していた」というのが退職後に唯一、この人に与えられた役割だったのに、その描写にさえ失敗してた。
それと、あんまり取材記事をちゃんと追ってたわけじゃないけど、なんか「当初はそういう予定ではなかった」という文言をすごくたくさん見た気がします。次郎さんの登場も、メイコと健ちゃんの結婚も、登美子のキャラも、なんかいろいろ「当初はそういう予定じゃなかった」と言ってました。
当初の予定、ホントに何かあったのかな。決めてたのは中園氏の「自分を出すぞ」というエゴだけだったんじゃないのかな。そう思えるくらい、すごく不出来なドラマでした。
そういうわけで、みなさんおつかれさまでした。ほいたらね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)