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『TOKYOタクシー』木村拓哉とはハウル以来、倍賞千恵子(84)の「呼吸で観客を泣かすワザ」

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倍賞千恵子と木村拓哉(写真:Getty Imagesより)

 木村拓哉(53)と倍賞千恵子(84)がW主演を務める映画『TOKYOタクシー』が11月21日に全国公開された。巨匠・山田洋次監督(94)が、フランス映画『パリタクシー』(2022)をリメイクしたものだ。『パリ―』は、ほぼ無休で働くも数多くの交通違反で免許停止寸前、経済苦にあえぎ、家庭は限界間際……と人生崖っぷちのドライバーが、92歳のマダムを介護施設へと送るパリ横断の道中、何気ない景色や人生の尊さを再発見する姿を描き、世界中で喝采を浴びた。

映画『総理の夫』に再注目

 舞台をパリから東京へと移し、タクシー運転手・宇佐美浩二役を『武士の一分』(2006)以来の山田組参加となる木村、終活に向かう85歳のマダム・高野すみれ役を倍賞というコンビが“旅”をともにする。2人の共演は、アニメ映画『ハウルの動く城』(2004)にて倍賞が主人公・ソフィー役を、魔法使いの美青年・ハウル役を木村が担当して以来21年ぶりで、実写作品では初。そして『ハウル』同様、物語を主導するのは倍賞だ。

山田組の常連・倍賞千恵子の、本当の「強さ」とは

 倍賞といえば、『下町の太陽』(1963)以降、『男はつらいよ』シリーズの主人公・車寅次郎(渥美清)の妹“さくら”役を筆頭に、山田監督全91作品のうち本作で70作目という山田組大常連。銀幕デビューは1961年の映画『斑女』にさかのぼり、キャリア64年にして現役の名優である。

『男はつらいよ』シリーズは、倍賞なくしては語れない。

 映画版は1969年から渥美が亡くなる直前の1995年まで毎年制作。1997年のスペシャル版と2019年の50周年記念作『男はつらいよ お帰り 寅さん』を含めると全50作におよび、倍賞はすべてに出演している。28歳から78歳まで、50年間同じシリーズに出演する女優は世界でも類を見ないが、長寿シリーズのファンが求めるのは、「安定感」と「安心感」だ。変化を嫌う国民の期待に応え続けた倍賞の凄みは、映画評論家・前田有一氏いわく「変わらないこと」だという。当然、年齢は重ねているはずだが――

「もちろん『寅さん』も、キャラクターのライフステージに応じて取り巻く環境は変わります。キャラクターも少しずつ変化を見せる。たとえば寅さんの性格は、だんだん丸くなるんですよね。でもさくらは一貫して変わらない。いつ見ても、“いつものさくら”がそこにいる」(前田氏、以下同)

 人が誰かに対して「変わらない」という印象を抱く時、見た目以上にその人のもつ雰囲気が意味を成す。人の「雰囲気」とは何かを無理やり説明するならば、相手やものごとへの見方をベースにした表情、声のトーンや話し方、返し方とでもいおうか。それを倍賞は作品ごとに安定供給するのだ。

 そうはいっても半世紀という時の流れのなかでは、倍賞にも苦悩した時期があったという。日本経済新聞に連載された『倍賞千恵子 私の履歴書』第17回(2023年12月18日)にて倍賞は、シリーズ10年目頃の生活を振り返り、「さくらでいることに少々疲れていたかもしれない」と述懐。さくらが“国民的妹”になればなるほど、服の趣味や髪型、喫煙習慣など、人々の目に映るキャラクターと自身とのわずかなギャップに葛藤を抱いたことを明かしていた。それでも倍賞は、山田組でキャリアを重ねながら“その人になりきる”こと、“細部に魂が宿る”ことを学び、「さくら」を生き続けた。

 ただし過剰な“役づくり”はしない。前田氏は、倍賞の演技について「呼吸と、相手との間合いのやり取りが抜群」だという。

「呼吸って、人によっても感情によっても変わってくる。相手とのやり取りでも変わる。倍賞さんはそれを絶妙にチューニングし、それぞれの役どころに説得力をもたせるのかなと思います」

“呼吸”で観客を惹きつけた『PLAN 75』

 倍賞が“呼吸”で観客を惹きつけた例として、直近では『PLAN 75』(2022)が挙がる。75歳以上の高齢者が自ら死を選ぶことができる制度「プラン75」を導入した架空の日本が舞台。倍賞は夫を亡くし、さらに高齢を理由に仕事を解雇された78歳の主人公・角谷ミチを演じた。自身も80歳を迎えんとするなか、ディストピアものという難役で光るのは「沈黙」の時間だ。

 何かを思うような表情や丸まった背中など、言葉を発さぬまま、ミチの感情は観客の心を揺さぶる。前田氏が印象的だったのは、いよいよ「プラン75」が実行されるという前夜、倍賞がたった一言にすべてを込めた瞬間だという。

 制度のサポートを担当する成宮瑶子(河合優実)が最後の確認として、ミチに『万が一お気持ちが変わられたら、いつでも中止できます』と伝える。死を選ぶことはできるが、止めることもできるというマニュアル通りの事務連絡だ。

「思わず『(死の選択を)止めると言ってくれ!』と叫びたくなるような、観客の動悸が激しくなる場面。感情の起伏の頂点ともいえる瞬間、倍賞さんは、静かに『はい』と答えるだけで、“長く生きれば幸せ”というわけではない現実と、生を自ら終える覚悟を示してみせました。取り乱すわけでも涙を流すわけでもない。ただただ呼吸の揺れと間合いだけで、死を選択することにより、反対に“生きる意味”を問いかける名シーンでした」

「はい」の表現によって、それが受け手に与える印象はまったく異なる。食い気味に「はい」と言うのか、間を置いて「…はい」と言うのか。同じYESでも、明日を楽しみにする人の「はい」と死を選択しようとする人の「はい」が同じはずもない。そして倍賞は、ひと呼吸に人物の複雑な感情や思考をすべて乗せ、見る者を引き込んでゆく。

 弱冠44歳の早川千絵監督が、高齢社会で『自己責任』論が幅を利かせる現実に正面から向き合った同作。前出『倍賞千恵子 私の履歴書』第30回(2023年12月31日)で倍賞は早川監督から、“生きている”証しとして「息づかい」を意識するように言われたとしていたが、たしかに息づかいにはその人が今生きている人生があらわれる。前田氏は、「“持たざる人”が生きにくいという閉塞感に潜む “声なき声”を、倍賞さんは見事に演じました」と称賛する。

日本映画特有の“間合い”を鍛えられた倍賞千恵子

 そんな倍賞の“間合い”は、映画と喜劇で鍛えあげられてきた。日本映画の黄金期の特徴であり魅力は、『晩春』(1949)や『東京物語』(1953)などを手がけた小津安二郎に代表されるような“間”、“余白”だと前田氏は指摘する。

「“間”で感情を伝えることこそが、日本映画特有の文化。視聴者を引き付けておかなくてはいけないテレビでは矢継ぎ早のセリフ回しや展開が必要になりますが、劇場という閉じた空間で上映される映画では、演技のなかに無音の時間をつくり、その“間”で観客にメッセージを訴えることができる。そして山田監督は、自他ともに認める小津さん好きで、“間”の魅力を突き詰めてきた方。そんな山田監督に鍛えられた倍賞さんは、呼吸や間合いに関して、達人になるべくしてなったともいえる。身に染み付いた土台がある」

 倍賞がデビューした1960年代、映画は民衆の最大の娯楽だった。日活で吉永小百合が清楚さ、浅丘ルリ子が清楚さや華やかさで人気を博し、東映では大原麗子が“小悪魔”な魅力を振りまくなか、松竹所属となった倍賞は、庶民に馴染む不思議な存在感があった。デビュー翌年(1962年)は年間13本もの映画を撮影していたというのだから、驚きだ。

 わかりやすい派手さや艶やかさが“武器”だったわけではない倍賞は、渥美や高倉健ら、時代を象徴するスターを輝かせてきた。その秘訣はやはり、見事な「かけ合い」にある。

「『寅さん』シリーズ1作目、さくらがエリート会社員とお見合いをするシーン。明らかに場違いな言動を繰り返す寅さんに、さくらは絶妙な間を置いて『おにいちゃん!』とツッコむんです。この時点で、倍賞さんの“間合い力”は完成していましたね。コメディの“間”は、少しズレるだけで笑えなくなる。見る側の感情を先回りして調整する必要があり、相当なセンスが問われる技術です。倍賞さんの存在は、作品全体の呼吸を整えるんですよね」

『TOKYOタクシー』木村拓哉と見せる倍賞の“真骨頂”

 数々の名優と対峙してきた倍賞の次なる相手は、“平成のスター”木村拓哉だ。その相性は、楽しみでしかない。

「『ハウル』では、それぞれが別の場所でアフレコを行っていたそうですが、倍賞さんたっての希望で、1日だけ対面することになったそうです。リアルの場での間合いや呼吸、息づかいを確認したかったのでしょう。『TOKYOタクシー』は実写かつ会話劇。見つめ合う、腕を組むなど、言葉なく心を重ねる時間も多く、倍賞さんの真骨頂です。何よりも倍賞さんはずっと、その時代のスターを輝かせてきた人。木村さんとの化学反応は、きっと見る人に響くものを残してくれると思います」

 圧倒的な没入感のなかで登場人物の呼吸を味わえるのは、映画館ならでは。物語の進行とともに変化する繊細な魂のやり取りを感じながら、激動の時代を生き抜いてきた名優たちの息づかいに浸れる幸せを堪能したい。

『あの人が消えた』1年越しの話題化

(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2025/11/22 22:00