『べらぼう』で描かれる素人芸の極致“写楽”の正体は誰になる？ そして家斉の子どもたちはなぜ多産多死だった？
前回（第45回）の『べらぼう』は、より一層興味深い展開を見せましたね。
しかし、蔦重（横浜流星さん）は松平定信（井上祐貴さん）から「源内（安田顕さん）がまだ生きている」と一橋治済（生田斗真さん）を撹乱するミッションを命じられ、その対価として大金を受け取りました。そして妻の「てい」（橋本愛さん）と相談し、源内先生が描いたとしか見えないユニークな役者絵を出版することにした……というのがドラマの筋書きでした。やはり「平賀源内写楽説」は採用しないようです。やはり「平賀源内写楽説」は本筋では採用しないようです。
また蔦重は（吉原の座敷に「河原者」と呼ばれた役者など芸能関係者が客として上がれないという話が出ていた頃に登場していた）歌舞伎役者の市川門之助（濱尾ノリタカさん）と再会。彼から久しぶりに「曽我祭」をやると聞いたので、それに合わせて役者絵を出せば、江戸の街中の話題になると考えついたのです。
しかし、本当に平賀源内が描いたと一橋治済たちに信じさせられるような役者絵を作るまでが一苦労。複数の絵師たちを集結させ、アイデアを出し合うことになったのですったのですが、「死せる孔明 生ける仲達を走らす」ならぬ「死せる源内 複数の絵師らを集める」とは凡人には想像もつかぬ神展開で恐れ入りました。「複数アーティストによる共同名義＝写楽説」とは斬新です。
ちなみに歌舞伎など伝統芸能における「曽我もの」とは、鎌倉時代に実際にあった曽我十郎と五郎の曽我兄弟による仇討ち事件を描いた軍記物語『曽我物語』をベースとした舞台芸術・芸能を指します。歌舞伎座の新春公演（1月公演）で、ほぼ毎年非常によく上演されている印象の『助六』こと『助六由縁江戸桜（すけろくゆかりのえどざくら）』もまさに「曽我もの」のひとつです。『べらぼう』のフィナーレとして突然浮上してきた「源内先生の仇討ち」と「曽我祭」の関係はいうまでもなく深いのでした。
しかし、ドラマが「共同名義＝写楽説」を採るわけでもないようですね。前回のラストシーンでは、蔦重の妻の「てい」に連れられた歌麿（染谷将太さん）が神妙な面持ちで登場してきましたから。
以前のコラムで少し触れましたが、現在の日本美術史界隈では「東洲斎写楽＝能役者・斎藤十郎兵衛」という説が有力です。
江戸時代の書物『増補浮世絵類考』の「写楽斎」の項に「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿洲侯の能役者」――阿波藩（徳島藩）蜂須賀家に仕える能役者（能楽師）で、江戸・八丁堀在住の斎藤十郎兵衛が写楽の正体だと書いた文章があるからです。
この説が強いのは、こういう史料の存在以上に、写楽の作品がプロの絵師のものとは思えないような特徴を持っているからなのです。たとえば、プロとアマの技術差が出がちな手指の表現においても写楽は大きく劣ります。しかし、写楽が描いた見栄を切る役者の指には、プロの小綺麗な表現には宿らないパワーが感じられるのです。
ドラマで何回も登場する『西洋婦人図』を見て、源内先生が天才絵師でもあったと思う人はいないでしょう。しかし「表現」としてはおもしろいと思えるはず。描きたいものを描きたいように描けているのは事実ですから……。そういうところも含めて、仮に源内先生が存命していたのなら、彼が東洲斎写楽になっていたとしても「おかしくはない」。
しかし、伝馬町の牢獄で亡くなったとされる源内先生の生存可能性は現実的には薄いので、やはり本業が能役者で、絵画の専門教育を受けていない「歌舞伎ファン」の素人絵師・斎藤十郎兵衛がこっそり役者絵を描いたと考えるほうがありうる範囲なのです。この説の最大の弱点は、斎藤による下絵や別の絵画作品がまったく残っていないので、比較検討の余地がないところでしょうか。
ちなみに現在でも、歌麿＝写楽説も歴史ファンの間では語られる説ですし、ほかには葛飾北斎こそが写楽の正体とする説もあります。特に後者は写楽が活動した時期に多作家として知られる北斎の作品例がほとんど見られないなど奇妙な符号があるため、なかなかに興味深い説なのです。
プロとなるべく絵画の教育を受けてきた歌麿あるいは北斎が、素人芸の極致といえる写楽になりきることは難しかったのではないかと考えるのは当然です。とくに北斎は基本的に、自身の高いデッサン力が最大の強みだと感じているタイプですので。
しかし歌麿は、どうでしょう。彼は晩年になるほど、描き癖が強くなってマンネリズムに陥っていったとよくいわれます。ゆえに「お約束にとらわれることなく、描きたいものを描きたいように描いた」という写楽らしさが皆無かといえば、そうでもない……気がします。
『べらぼう』の写楽が一体誰になるのか、楽しみですね。
家斉の子どもたちはなぜ多産多死だった理由
さて、前回で特に興味を惹かれたのは、一橋治済による「悪い畑」発言です。
治済いわく「家斉（城桧吏さん）の世になって6年経つが、生まれた子ども供は4人。そのうち2人はまともに育たなかった。これは畑がよくない」――つまり「女が悪い」という決めつけなんですね。
治済は子息の家斉に「将軍の役割とは徳川の血を絶やさぬこと」と教え、その実践を求めていました。史実でも家斉は満15歳で将軍に就任した直後、早くも最初の子ども供を授かっているのですが、若き日に生まれた彼の子ども供たちのほとんどが夭折しています。
大奥での生活には厳守すべき古くからのルールが多々ありました。大奥で将軍が飲める酒は、いわゆる清酒ではなく、江戸時代初期の醸造技術を反映した赤い酒のままだった……というエピソードは、家斉の息子・家慶の時代の話です（『旧事諮問録』）。
それ同様、大奥では乳母たちに幼子にお乳を与えるとき、将軍の子女に失礼という理由で乳房に（有毒な鉛でできた）白粉を塗らせていたようで、これらが子供たちの高い夭逝夭折率に繋がったと考えられます。
しかし大御所時代の家斉は、あくまで大御所。現役将軍ではありません。ちょうど譲位し、上皇や院になった元・天皇が、現役天皇時代に比べると自由を享受できたように、乳母の服装上のルールなども多少緩和できたのが、子女の生存率アップの理由かもしれません。
またドラマの治済は、対外政策で軍事費を増やそうとする幕閣をたしなめ、「大奥にもっと金を入れろ」とも主張していました。さらに「上様の子こそ日本を強くする一番の薬」とか「これは一橋の血脈で日の本中を染め上げよという天のお告げ」など、狂気じみたことを言い出した印象でした。
これらは、よしながふみ先生の『大奥』（白泉社）から引き継いだ”サイコパス治済”という設定あっての発言かと思われますが、史実の治済のクセの強さといえば、桁外れに豪華な生活を好み、幕閣たちを操って政治介入を試みたくらい。
史実では家斉本人が、強靱な意志で子沢山になろうと努めていた形跡が見られる気がします。家斉は天明7年（1787年）、満15歳（数え16歳）で最初の子・清姫を授かって以来、その約半分を幼くして失う悲しみに耐えながらも、40年以上にわたって子どもを設け続けたのでした。
「40年以上」などとボカした表現にしたのは、たとえ将軍の子女でも乳幼児のときに亡くなると、大奥では慣例的に記録を残さない傾向があるからです。家斉の実子数に定説がなく、「55人くらい」とされるのは、それが理由なのですね。もはや“色好み”だったとかそういう生半可なレベルではなく、家斉にとって子作りこそが将軍としての至上命題であったというしかない気迫を感じてしまいます……。
一人でも多く、将軍の実子を有力者に嫁がせる、もしくは養子縁組させることで、低下しつつあった徳川将軍家の求心力を高めようとしていたのではないでしょうか。
前回のドラマでは「清水の家がそろそろ空きそう」という治済のセリフもありましたが、これもいい例です。
家斉時代の御三卿のひとつ、清水家の当主・清水（徳川）重好には、子ども供がいませんでした。将軍側近の旗本を夫にもち、この手のスキャンダルを日記に書きとめた井関隆子によると、清水重好には同性愛の傾向が強く、女性を嫌ったからだそうです。
詳細は不明ですが、事実として家斉は2回も自分の男子――五男と七男を清水家に養子として送り、なんとか断絶を食い止めたのでした（五男は清水家に養子に入ってから夭折夭逝）。
家斉の子だくさんに救われた名門は清水家に留まらないのですが、問題は50人以上（＝人数に定説なし）も生まれた子供たちの養育費用でした。たとえその約半数が夭折夭逝していたといえ、将軍の子女ともなれば、生まれた瞬間からすべてがとてつもなく高くつくため、幕府の財政は火の車となってしまいました。結婚・養子縁組による“血縁の縛り”で徳川幕府を再び強くしようとした家斉のアイデアは諸刃の剣だったといえるでしょう……。
（文＝堀江宏樹）
