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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義5

『豊臣兄弟!』表面的に明るい暗黒ドラマになるか、勧善懲悪主義のヒューマンドラマになるのか キーパーソン・大沢次郎左衛門の人生

『豊臣兄弟!』表面的に明るい暗黒ドラマになるか、勧善懲悪主義のヒューマンドラマになるのか キーパーソン・大沢次郎左衛門の人生の画像1
『豊臣兄弟!』で織田信長を演じる小栗旬(写真:Getty Imagesより)

 前回(第5回)の『豊臣兄弟!』は、幼名が「犬千代」ゆえに信長(小栗旬さん)から「犬」と呼ばれる前田利家(大東駿介さん)と「猿」こと秀吉(池松壮亮さん)が「犬猿の仲」で笑ってしまいました。しかしドラマのメインは、信長が宿敵・斎藤龍興(濱田龍臣さん)を攻略するために美濃(現在の岐阜県)の要衝である鵜沼とその城主・大沢次郎左衛門(松尾諭さん)の調略を、豊臣兄弟に任せるというお話でしたね。

どこまでも浮世離れな織田信長

 大沢次郎左衛門が「大河ドラマ」に登場するのは『おんな太閤記(昭和56年/1981年)』以来で、今回が2回目。実際、筆者も「……誰?」という程度の認識でしたが(失礼)、調べてみるとなかなか興味深い人物です。

 しかし史料によって大沢の本名、経歴、そしてどんな人生を辿ったのかには諸説ありすぎて扱いづらいため、「大河」ではスルーされる傾向が強かったのでしょう。

 ちなみに前回では、豊臣兄弟たちの実家はすでに(野盗に襲われまくりの)村から、信長の城下町である清須に移転、家族たちと同居しているようですね。

 前々回まではボロボロの着物を着て、地面に頭をこすりつけていた兄弟なのに、今回の秀吉は普通に昇殿を許され、家臣たちとも親しげに話していました。出世スピードがかなり早いのです。そしてお次は大沢次郎左衛門の調略に成功すれば、「侍大将」ですか……。侍大将といえば、騎馬が許され、正規のお侍たちのリーダーということですから、なかなかのエリートです。さて、どうなるやら……。

 秀吉の出世のキーパーソンとなるのが大沢次郎左衛門ということで、今回、改めてさまざまな書物で確認しましたが、大沢には妻子を道連れに自害して終わる「死亡ルート」(『美濃雑事紀』など)と、秀吉に助けられる「生存ルート」(『甫庵太閤記』など)という矛盾する2つのエンディングが用意されているのですが、一次資料の少なさから、そのどちらが史実だったのかはわかりません。

 この時代の一級資料とされる『信長公記』(1600年前後、慶長年間成立)には、信長の部下の中では調略の名手として知られた丹羽長秀(池田鉄洋さん)が、大沢と並んで有力とされた国衆(=地域の有力者たち)たちを次々と調略していったため、最後まで踏ん張っていた大沢も「このへんが潮時」と認め、降伏せざるをえなくなったとあります。このあたりが、史実に一番近いのかなと思われる部分ではないでしょうか。

 ドラマは「死亡エンド」の代表例である『美濃雑事紀』の記述によるのでは……という説もありますが、この書物は19世紀に入ってからの成立なんですね。『甫庵太閤記』は寛永3年(1626年)以前に成立しているので、まぁ……少なくとも史実では、大沢とその家族の命が危ぶまれるようなことはなかった可能性のほうが高そうです。

『信長公記』によると、信長が多数の軍勢を近くから見せつけたので、鵜沼城の大沢は降伏したようです。しかしその後、大沢の活躍などは同書で確認できないので次郎左衛門や家族の詳細は不明。ポジティブに推測すれば、一応、斎藤家から織田家に鞍替えはしたけれど、特に信長の配下の一人として出世競争に加わるとか、武功をあげることに興味・関心はなかっただけなのかもしれませんが……。

徳川家に使えた大沢次郎左衛門の子孫たち

 江戸時代にまとめられ、より物語性が強い『甫庵太閤記』の記述はもっとドラマティックです。同書によると、信長の命を受けた秀吉が、それが彼がこなした最初の調略任務だったにもかかわらず、見事に大沢次郎左衛門を味方にすることができたという一連の流れが確認できるのです。

 同書によると、大沢が斎藤家を裏切って織田方についたと秀吉から報告された信長は上機嫌で、「それはお前の調略が優れていたからだ」などと言っていたそうです。しかし、次の正月の年賀挨拶で大沢を連れた秀吉が信長のもとを訪れると、信長は判断を覆し、一説には2メートル以上ある大男だったされるほどでしたので、「大沢は剛の者。心変わりするかもしれない。今、殺してしまえ」と秀吉を呼んで命令するのでした。

 秀吉は自分が最初に調略し、味方に引き入れた大沢をかばおうとするのですが、信長がそれを認めないので、自ら大沢の人質となる選択をして、大沢と共に清須を逃げ出した……というのです。ドラマとしてはおいしい展開ではあります。

 ちなみに大沢次郎左衛門の子孫を称する人々が江戸時代は徳川家に仕え、旗本(上級武士)になっています。彼らがそれまでの先祖の来歴を『寛永諸家系図伝』という幕府が編纂を命じた書物の中で披露した内容をまとめると、秀吉を信じ、信長に臣従しようとしたら殺されそうになったので、地元に逃げ帰ったあとはひたすら潜伏。信長の死後、(柴田勝家の甥の)柴田勝豊、秀吉、(秀吉の甥の)秀次と仕え、秀次が亡くなった後は流浪の身となった大沢次郎左衛門は76歳で死去したそうです。

 柴田勝豊時代に発行された文書から、大沢と思われる人物がまだ生きていたことが確認できるようなのですが、大沢次郎左衛門の名前の表記には史料によって揺れが大きいのです。諱(いみな=彼の本当の名前)も、ウィキペディアに書かれているだけでも正秀、基康、正重、正継、正次、為康、正盛とバリエーションがありすぎますし、ドラマにも出てくる次郎左衛門が本当に生き延びられたかは不明というしかありません。

『信長公記』によると、大沢の諱は基康(もとやす)です。これが「松平元康」としてドラマに登場している未来の家康と被っているため、「大沢次郎左衛門」というキャラ名にされてしまっているのでしょうね。

 そうでなくても脚本家・八津弘幸先生がこの人物をどう描くかには要注目なのです。それによって『豊臣兄弟!』が、表面的に明るく見せているだけのエグい暗黒ドラマになるのか、それとも勧善懲悪主義のヒューマンドラマになるのかの分岐点になるはずだからです。

 ドラマの信長が妙に血が通った「いい人」過ぎる気もするので、ここらへんで大沢一家全滅の悲劇になったほうが展開としては見応えがありそう。

 というのも、秀吉が「侍大将」(あるいはそれに準ずる部隊指揮官)として歴史の表舞台に現れるのは、まさにこれからドラマで描かれるであろう信長の美濃攻略が成功した永禄10年(1567年)からなのです。

 信長の美濃攻めにとって、要衝(=重要拠点)となる大沢次郎左衛門治める鵜沼の攻略などの末、今度は斎藤家の三大重臣といえる稲葉・安藤・氏家までも信長に寝返ったので(同年8月)、斎藤龍興は抵抗手段を失い、逃亡。彼の居城の稲葉山城も陥落したのでした(同年8月15日)。

 この後、秀吉もそれまでの「足軽大将(=歩兵隊長)」から、「侍大将」に正式に昇進したとされています。

 しかし改めて確認しておくと、ドラマで描く大沢次郎左衛門の調略は、その前年にあたる永禄9年(1566年)の話なんですね。永禄9年にはまだ秀吉は侍大将にはなっていないため、大沢の調略は不首尾に終わった。もしくは調略には成功するが、翻意した信長の一存で大沢は処刑されてしまうという悲劇の予感がしてくるのですが、いかがでしょうか。

 彼の地元(現在の岐阜県各務原市鵜沼羽場町)には次郎左衛門と妻と子が討死し、その慰霊目的で建てられたという「三つ塚」も存在しています。こういう史跡は史実を物語っているかは多くの場合、微妙ではあります。しかし、地元で何らかのトラブルがあったと語り継がれていたことの証明にはなると思います。

 仮に大沢次郎左衛門が信長の「気まぐれ」で命を落としたとしても、大沢一族の誰かは悲劇を乗り越えてたくましく生き延び、複数の主君に仕え、その血脈を幕末までつないでいったのでしょう。来週は選挙番組でドラマはお休みのようですが、次回を楽しみに待ちたいと思います!

織田家による武器のレンタル

(文=堀江宏樹)

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堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2026/02/08 12:00