『豊臣兄弟!』大名になることができた戦国時代の女性の扱いと盗賊の親分・蜂須賀正勝の子孫

前回(第7回)の『豊臣兄弟!』も面白かったですね。冒頭部分で主人公・小一郎(仲野太賀さん)の名前が「長秀」になった。「秀長」になるにはまだ先の話……という言及があったのですが、いきさつなどの説明がゼロでした。
なぜ「秀」長ではなく、「長」秀になったのかというと、この「長」の文字は、織田信長の寵臣のひとりである丹羽長秀の「長」なのです。前回のコラムでも触れましたが、この当時、ヤング秀長(ドラマでは小一郎)の指導役が、丹羽長秀(池田鉄洋さん)であり、関係が密接だったからでしょう。ちなみに小一郎という名前に歴史的根拠はないので、ここではヤング秀長ということにしますが、ドラマにおける丹羽長秀の存在感はそこまで大きくありません。ヤング秀長、および秀吉(池松壮亮さん)ともさほど親しくなさそうです。
ということで、なぜ「長秀」かという説明がスパッと省略されてしまったということでしょうね。
さて例によって前説が長くなりましたが、前回のドラマで「その描き方は新鮮だなぁ」と、筆者が素直に感心してしまったのが、秀長の婚約者・直(白石聖さん)が病に倒れてしまった本当の理由についてです。直は突然秀長のもとを去って、故郷の村に帰ると言い出しました。
しかし、それは秀長のことが嫌になったわけではなく、秀長を愛しているからこそ、戦や危ない任務にばかり出かけ、ろくに帰ってもこない彼が心配で、体調を崩してしまうほどだから、秀長の妻にはなれないと考えたということでした。
これまでの「大河ドラマ」ではあるようでいて、あまり見たことがないタイプの戦国時代の武家の女性の描かれ方だったのではないでしょうか。では実際、戦国時代の女性は「この手の悩み」にどう対処していたのでしょうか。史実では結婚前から、父母の手で厳しい教育が施されていたはず、というのが筆者の考えです。
たとえばドラマで前回、秀吉との婚礼のシーンがあった寧々(浜辺美波さん)ですが、彼女がどんな教育を受けて育ったのかも、後の寧々の言動を見ていると推測できる気がします。ドラマでは自由で華やかなお嬢様として描かれている寧々ですが、史実では結婚前から幅広い教養と実務的な教育を受けてきたのではないかと考えられるのです。つまり、お嬢様というより史実の彼女はだいぶ堅実な女性であったという印象です。
たしかに秀吉在命中の寧々の主な仕事は、部下たちと夫と間をとりなす役割が多かったことは否定できません。いかにも「内助の功」というイメージなのですが、秀吉の死後に寧々が仏門に入り、京都の高台寺(1.5万石相当)の所領を(家康から)与えられ、そこで生活するようになった時代には、所領の管理を彼女自身がこなすようになっているのです。必要あらば公式文書を発給し、具体的な指示も出せています。当然ながらそういう「経営」のスキルは一朝一夕ではつきませんよね。
おそらく秀吉を妻として陰で支えていたところから、もっといえば秀吉と結婚する前から、武家の女として歌を詠むことや古典文学の素養といった一般教養科目に加え、経理などの実務教育もきっちり受けていたことは間違いないと思われます。
実は寧々の本当の父親・杉原定利が具体的に何石取りであったかはわからないのですが、おそらく数百石~500石程度であったと想像されます。寧々の養父・浅野長勝も同様ですが、杉原家よりはステイタスが高く、富裕であったと思われます。『豊臣兄弟!』の歴史監修者の一人・黒田基樹さんによると、寧々が浅野家の養女になっていたのは、急激に出世した秀吉のステイタスに合わせるべく、家格をロンダリングしてから結婚するためだったと考えられるそうですよ。
いずれにせよ、この程度の規模の武家の場合、仮に現当主になにかあったら、そうでなくても当主が家を長期間留守にしているのなら、その妻や、場合によっては娘である寧々が当主の仕事を引き継がねばなりません。外部から専任のスタッフを雇う経済的な余裕はなかったでしょうから……。
つまり寧々が必要あらば所領の経営まで可能だったのは、きわめて不安定な戦国の世を少しでも有利に生き抜くため、もちろん経費削減目的もあり、すべて自分たちだけで回す必要があったから。だからこそ、寧々もさまざまな分野を学び、自分の血肉にしていたのではないでしょうか。
夫(婚約者)や息子など、家の男性に「もしも」のことがあったら……という「覚悟」も武家の女性にとっては宿命でした。それゆえドラマの直のように秀長の不在が長いだけで心配してノイローゼになってしまうような細い神経の持ち主では、「武家の奥方など務まりませんよ!」と母親とか、母親がすでに亡くなっているのなら、女中頭からきつく叱られてしまっていたのではないかと思われた一幕でした。
女性が「家督を継ぐ」ことができた戦国時代
戦国時代の武将の「妻」は夫を支える「内助の功」に終始したというイメージが強いのですが、当時の武家の女性に期待されていた役割は、とてもそれに収まるものではありません。
ドラマの現在の時間軸からすると、ちょうど10年ほど前にあたる弘治2年(1556年)に定められた「結城氏新法度」――現在の茨城県あたりを所領とした結城政勝という名門武将が定めた家の運営ルールによると、男性の継承がメインなのはイメージ通りなのですが、女性が「家督を継ぐ」ということさえ明文化されているのです。「家督を継ぐ」とは、適切な男性後継者が現れるまで、女性が実質的な大名としての仕事をこなすということ。つまり「女大名」もあり得たということです。
またドラマでは「桶狭間の戦い」で信長に討たれ、早くも退場してしまった今川義元(大鶴義丹さん)の母・寿桂尼も夫に若くして先立たれると、義元が成長するまでは「女大名」として領国経営に携わっていた形跡があります。いつの時代も女性に求められる要素は非常に多いということでしょうね。
前回登場した蜂須賀(小六)正勝(高橋努さん)についてもお話しておきましょう。蜂須賀が織田家家臣・前野長康(渋谷謙人さん)の義兄弟として描かれているのは「問題の書」である『武功夜話』でも見られる設定でした。
しかし蜂須賀正勝というキャラクターがワイルドに描かれがちな理由は、『武功夜話』発見以前から、江戸時代や明治時代の歴史モノの創作物の中で、半グレどころか盗賊(犯罪集団)の親分だったが、秀吉と出会って改心する人物として蜂須賀が描かれがちだったからです。
なお、この手の歴史エンタメ本を少年時代から熱心に読んでいた明治天皇が、ご自分の紙巻たばこを(おそらく好奇心で)1本だけ無断拝借してしまった蜂須賀茂韶(はちすか・もちあき)侯爵の所業に気がつき、講談の中では盗賊だったといわれている蜂須賀正勝を先祖に持つお前はさすがだな、と面白がって「先祖は争えぬな」と言ったという逸話があります。これを聞き、蜂須賀侯爵はすさまじいショックを受けたそうです。
しかし明治時代の蜂須賀侯爵は外交官を務めるなど超多忙だったので、セミリタイアした大正時代になってから「いまは亡き明治天皇からこういうことを言われたんだけど……」と学者先生に泣きついたところ、「蜂須賀正勝が盗賊であったことは事実です。しかし当時、盗賊という職業はさほど恥ずかしいことではありませんでした」などといわれたという「オチ」がついたケースもあるのですが、それはやや史実と異なります。
実際の侯爵は、家に伝わる史料を渡辺世祐という学者に開示し、蜂須賀正勝の評伝執筆を依頼。それが昭和初期にやっと完成し、刊行されたのが『小六正勝伝』という書物でした。蜂須賀家が足利将軍家の御落胤などと語られ、非常にヨイショされた印象で、「勝手に講談の中では盗賊ってことにされてるけど、蜂須賀正勝の時代でも、当家はだいぶしっかりしてたんだから!」という侯爵の主張が反映された内容となっています。
そこから考えても、ドラマの蜂須賀正勝は、史実と創作のバランスが上手に取れた描かれ方かもしれません。秀吉の片腕のような存在になっていくキャラですので、今後の活躍が楽しみです。
(文=堀江宏樹)
