物流業界のブラックさは改善されるのか? 業界の裏側を赤裸々に映し出したドキュメンタリー映画『アリ地獄天国』

<配信ドキュメンタリーで巡る裏アジアツアー> 第五回
物流業界のシビアな内情をサスペンスタッチで描いた満島ひかり主演映画『ラストマイル』(2024年)は、社会派ドラマながら大きな反響を呼び、興収59.6億円の大ヒット作となった。また、英国の社会派映画の巨匠ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019年)は、休みなく働く宅配ドライバーが家族崩壊の危機に直面する悲劇を描き、こちらもロングランヒット作となっている。
便利な物流サービスを我々が享受する一方、現場で汗を流すエッセンシャルワーカーたちは過酷な状況に追い込まれているという苦い現実がある。そんな運送・物流業界の裏側を、赤裸々に映し出したのが土屋トカチ監督のドキュメンタリー映画『アリ地獄天国』(2019年/https://asiandocs.co.jp/contents/1542)だ。
システムエンジニアだった西村さん(仮名)は、結婚を機に高収入を謳う有名引越し会社に転職。優秀な営業成績を収めるが、1日の労働時間は19時間を超えるというハードな仕事内容にもかかわらず、残業代はいっさい支払われないなど、その会社の独自の給与体系や就業規則によってボロボロになってしまう。
2019年の「貧困ジャーナリズム大賞」など数々の賞を受賞した『アリ地獄天国』。動画配信サービス「アジアンドキュメンタリーズ」の代表・伴野智氏に、本作の見どころを語ってもらった。「2024年問題」のタイミリミットを間近に控えた物流業界は、はたしてどう変わっていくのだろうか。

フジテレビ問題にも通じる業界独特の体質
―西村さんの勤務先は芸能人を使ったCMでもおなじみの有名企業ですが、あまりのブラック企業ぶりに言葉を失ってしまいます。反響も大きかったのではないですか?
伴野 再生回数の多い作品ですね。劇場公開もされた注目度の高いドキュメンタリー映画ですが、配信はウチだけ。なぜほかの配信サイトは扱わないのか。日本社会の闇を感じさせますね(笑)。
―引越し業務はもともとは運送会社から始まったと本作のナレーションでも語られていますが、副社長が怒鳴り散らす様子は普通の会社とは思えないものでした。会社の規則に抗議した西村さんに対する解雇通知書が「罪状」として社内に張り出され、ボーナスとして振り込まれた金額が「20円」なのにも驚きました。
伴野 サラリーマンといっても、ひと括りにはできませんよね。いろんな業界があって、その中で育まれてきたカラー、文化がある。フジテレビの騒動でも分かるように、その業界独特の暗黙のルールがあるわけです。西村さんが勤めているあの引越し会社は、それほど悪いことをしているという認識はなかったんじゃないでしょうか。西村さんが会社に不利益になることをしたので「ちょっと懲らしめてやろう」くらいの感覚だったんでしょうね。
大企業に普通にあった、反省部屋に左遷人事
―西村さんが個人向けの労働組合に相談すると、西村さんは成績トップの営業マンだったにもかかわらず、シュレッダー係に転属。1日中ずっと古い書類をシュレッダーに掛けることが仕事になります。
伴野 シュレッダー係や反省部屋は、以前は多くの企業にあったんじゃないでしょうか。リストラ対象の社員を1日ずっと何もさせずにいる“追い出し部屋”の存在が報じられて話題になりましたよね。以前は左遷人事、報復人事といったものが日本の企業社会には普通にありました。そういった少し古い企業文化が、あの会社には残っていたということだと思います。2025年の今から見れば時代錯誤ですが、僕たちはそうした社会を平然と生きてきたわけです。10年前、20年前だったら、こんなことあったよねと身に覚えのある人もいると思います。
―「働き方改革関連法」が2019年から順次施行されていますが、『アリ地獄天国』はそれ以前に撮影・取材されたものになりますね。
伴野 本作は2019年の作品で、西村さんは3年間にわたって会社側と闘っていますので、2015年~2018年くらいの出来事になりますね。「働き方改革関連法」が施行されたことで、この会社も今は変わっているのかもしれませんが、拭いきれない過去が映像として残っています。「こんなことはもうしちゃいけない」という反省材料として、今後も語り継がれるのではないでしょうか。

消費者もブラック企業に加担してしまう危険性
―土屋トカチ監督は『アリ地獄天国』以前にも、『コンビニの秘密 便利で快適な生活の裏で』(2017年)などの社会派ドキュメンタリーを撮っています。
伴野 土屋監督はブラックな環境で働く労働者の問題に斬り込むことで知られています。最新作は『Amazon配達員 送料無料の裏で』(2024年)で、世界最大手の通販サイト「Amazon」の配達員たちの実情を追ったものです。Amazonは映像配信も手掛けていますが、この新作は取り扱われないでしょうね。土屋監督は、敵に回したくない巨大企業に果敢にカメラを向ける素晴らしいドキュメンタリー監督です。
―『コンビニの秘密』でも、個人事業主であるコンビニの店長が長時間労働を強いられ、本部から過酷なノルマを押し付けられているブラックな内情が明かされていました。
伴野 資本主義の搾取の構図が露呈していますよね。現場のシビアな状況を企業側が知らないはずがなく、そのことに開き直っている企業が多いように感じます。我々消費者も、ブラックな企業を見極めていく必要があります。安ければいいという考え方から、どの企業のどんなサービスを選ぶべきか、消費者側にも責任が生じる時代になっています。
―利便性の裏にある労働力搾取の問題など、消費者もしっかりと目を向けなければ、加担していることになりかねないということですね。
伴野 そういうことになりますね。僕は以前、映像制作会社に勤め、労働時間が月に400時間を超えることも珍しくありませんでした。今は残業が月100時間を超えると「過労死ライン」とされていますが*、当時はそれ以上働くのが当たり前で、僕を含め職場の人間は誰も“おかしなことと”とは思っていませんでした。会社の倉庫に寝袋を敷いて仮眠して、朝9時半にタイムカードを押していました。遅刻すると罰金100円を払う罰ゲームがあったりして、貯まったお金は飲み会の費用に使われていましたね(苦笑)。今は「アジアンドキュメンタリーズ」を経営しているわけですが、サラリーマンと経営者の両方の気持ちが分かるつもりです。経営者としては、やはり社員たちにはしっかりと働いてもらいたい。西村さんは労働組合に加入することで解決策を見出していきましたが、働く側と雇用主側は普段から話し合う必要があるように思います。どうすれば自分たちの職場をさらに豊かなものにしていけるのか、働くことで自分たちの人生をより幸せにできるのかなど、もっと対話を重ねていくべきでしょうね。
*厚生労働省が定めた労災認定基準(「脳・心臓疾患の労災認定基準 改正に関する4つのポイント」)によると、「発症前1カ月におおむね100時間または発症前2~6カ月にわたって、1カ月あたり80時間を超える時間外労働」がある場合に、業務と疾病との関連性が強いとされています。 https://www.mhlw.go.jp/content/000833810.pdf
―韓国のドキュメンタリー作品『死に向かって走る』(2021年/https://asiandocs.co.jp/contents/1552)も、運送・物流業界がテーマになっています。韓国の宅配業者の収益は、荷物ひとつあたり1ドル程度。ブラックな労働環境は日本だけの問題ではないことが分かります。
伴野 アジアンドキュメンタリーズでは「問われる企業責任 問われる働き方 闘う労働者たち」と銘打って、労働問題を扱った作品を特集して配信しています。『アリ地獄天国』『死に向かって走れ』に加え、コスタリカの女性監督が日本のサラリーマンの生態を追った『サラリーマン』(2021年/https://asiandocs.co.jp/contents/419)も、非常に面白い作品です。駅や路上で酔っ払って寝ているサラリーマンたちの姿をカメラに納めています。アレグラ・パチェコ監督は「これは企業による殺人ではないか」と語っています。2015年に過労のために自死を遂げた電通の高橋まつりさんの問題も扱っています。こうしたドキュメンタリー作品を観ることで、社会の仕組みについて学び、どうすれば働く環境を改善していけるのかをみんなで考えていくことができればと思うんです。
2025年4月からは「働き方改革関連法」が先延ばしになっていた物流業界も、適応されることが決まっている。いわゆる「2024年問題」だ。労働時間を制限されたドライバーたちの仕事の取り組み方は、大きく変わると言われている。物流業界はどう変わっていくのか、消費者側も注目する必要がありそうだ。
(文=長野辰次)

『アリ地獄天国』(https://asiandocs.co.jp/contents/1542)
監督・撮影・編集・構成・企画/土屋トカチ
ナレーション/可野浩太郎
構成/飯田基晴
主題歌/マーガレットズロース
「アジアンドキュメンタリーズ」 https://asiandocs.co.jp/
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