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人はここまで非道になれるものなのか…国家による大量虐殺に迫る衝撃のドキュメンタリー『消えた人々 アサドの戦争犯罪』

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『消えた人々 アサドの戦争犯罪』(2019年)/アジアンドキュメンタリーズで配信中(https://asiandocs.co.jp/contents/1638

<配信ドキュメンタリーで巡る裏アジアツアー> 第七回

 2010年12月、チェニジアの露天売りの青年の焼身自殺事件に端を発した「ジャスミン革命」は、SNSによって北アフリカや中東一帯に広まり、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が各地で起きることになった。チェニジア、エジプト、リビア、イエメンの政権は次々と倒れ、シリアでも民主化を求めるデモ運動が行なわれた。

 このデモを親子二代にわたって続くアサド政権が武力で弾圧したことで、シリアは内戦状態に陥った。治安部隊によって殺害された市民の数は20万人以上、そのうち1万5000人は拷問を受けて亡くなったという。2024年12月、バッシャール・アル・アサド大統領がロシアに亡命し、アサド政権が崩壊したことで、「今世紀最大の人道危機」と言われる事実が大々的に知られることになった。

 2019年に製作されたドキュメンタリー映画『消えた人々 アサドの戦争犯罪』(https://asiandocs.co.jp/contents/1638)は、国家権力による市民の大量虐殺の実態を明らかにした作品だ。治安部隊に拉致された市民は、軍刑務所だけではなく、軍病院や軍用空港などの施設に秘密裡に監禁され、多くの者が拷問死を遂げた。放棄された施設からは、やせ細り、目はくり抜かれ、全身に強い暴行を受けた痕が残る全裸状態の遺体の数々が発見され、その様子をカメラは静かに映し出していく。あまりの衝撃映像に、思わず言葉を失ってしまう。

 人間はここまで非道になれるものなのか。国家による大量虐殺を止めることはできないのか。本作を日本で初公開した配信サイト「アジアン・ドキュメンタリーズ」の代表・伴野智氏と、この問題について考えてみたい。

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『消えた人々 アサドの戦争犯罪』(2019年)/アジアンドキュメンタリーズで配信中(https://asiandocs.co.jp/contents/1638

虐待された市民の遺体を写真に収めた「シーザーファイル」

—大量虐殺が行なわれた軍施設に残された多くの遺体が、モザイクなどの処理なしで映し出されます。

伴野 モザイク処理をすると、何が起きたのか分からなくなってしまいます。現実を直視するという意味でも、モザイクなしで観てもらわなくてはいけない作品です。現実に何があったのかを、まず知ることが大事だと思います。

—シリアが内戦状態になったのが2011年で、そのころから治安部隊による虐殺が行なわれていたわけですね。

伴野 そうです。民主化を求めるデモ運動が始まり、アサド政権に反対する市民が次々と行方不明になっていることが問題になっていたんです。治安部隊によって拉致監禁されていると噂にはなっていたんですが、アサド政権はこれを否定し、はっきりしない状態でした。2014年に「シーザーファイル」と呼ばれる、拉致された市民の遺体を1人ずつ写真に記録した資料が公表されたのですが、それでも「本当にアサド政権が大量虐殺を行なったのか?」と疑われていました。2024年12月にアサド政権が完全崩壊し、ようやく大量虐殺があったことが一般に知られるようになったんです。女性ジャーナリストのサラ・アフシャール監督が取材を進めながら撮ったこの映像を見れば、大量虐殺や拷問があったことは明白なんですが、それでもまだ「反対派によるフェイクニュースではないのか」と疑う声もあります。国家が国民を大量虐殺したことが信じられないのでしょう。

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『消えた人々 アサドの戦争犯罪』(2019年)/アジアンドキュメンタリーズで配信中(https://asiandocs.co.jp/contents/1638

虐殺の指示を出したのは誰なのか

—治安部隊に拉致されながらも生還を果たした男性・マゼンさんが語る収容施設内での体験は、壮絶の一言です。口にするのもつらいはずの暴行や性的虐待の実態を、涙を流しながら告白しています。行方不明になった息子を懸命に探し続ける母親・マリアムさんの執念も、胸を打つものがあります。治安部隊は上官の命令に従っただけとはいえ、人間はここまで残虐になれるのかという戦慄を覚えます。

伴野 命令に従わないと、自分自身が虐待される側になってしまうんでしょう。アサド政権にしてみれば、反乱分子を押さえ込まないと国の治安は守れないという理屈なんだと思います。実際にアサド政権が崩壊した後は、さまざまな勢力が衝突し、内戦状態が続いたままです。「シーザーファイル」を記録した人物も、上司から命じられて遺体をカメラで淡々と撮影し続けたんでしょうね。組織ぐるみ、国家権力による犯罪の恐ろしさを感じさせます。ちなみにマゼンさんは、オランダに亡命して暮らしていましたが、2020年2月にシリアに戻り、再び諜報機関に逮捕され、行方不明になり、シリアで最も虐待と人権侵害で悪名高い刑務所の一つであるセドナヤ刑務所で遺体で発見されました。

—第二次世界大戦時の、ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺のことを思い起こさせます。強制収容所への移送を指揮したアドルフ・アイヒマンは、エルサレムでの裁判で「私は命令に従っただけ」と弁明しました。

伴野 アサド大統領は、シリアを支援していたロシアのプーチン大統領を頼ってモスクワに逃亡し、そのまま姿を消した状態。大量虐殺は誰の指示で行なわれたのか、不明のままなんです。本作に盛り込まれたニュース映像の中で、アサド大統領は「宮殿にいたから、収容所のことは知らない」と虐殺への関与を笑いながら否定しています。そもそも虐殺はどのようにして起きたのか、一部の治安部隊の暴走だったのか、アサド大統領はどこまで把握していたのかも気になるところです。拷問や虐殺を指示したのは「シリアで最も冷酷な情報機関」として国民に恐れられた「空軍情報部」とも言われ、ジャミール・ハッサン部長ら幹部が戦争犯罪に問われています。

—国連に訴えが届いていたにもかかわらず、中東の利権を狙うロシアと中国が拒否権を発動し、国連が介入することはできませんでした。多くの市民が虐殺されているのを、みすみす見逃していた事実にも唖然とさせられます。

伴野 これだけの大量虐殺が行なわれているのを知りながら、国際社会は何もできなかったわけです。大量虐殺なんて第二次世界大戦とか歴史上の出来事だろうと思われがちですが、決してそうではない。たかだか10年ほど前に、現代社会でも大量虐殺は起きていたわけです。

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虐待行為が行なわれているのはシリアだけではない

—アカデミー賞国際長編映画賞と音響賞を受賞したA24製作の映画『関心領域』(2023年)は、日本でも大きな話題を呼びました。アウシュビッツ強制収容所に隣接する所長一家の豪邸を舞台にした、とても静謐な恐怖映画でした。人間は自分が関心のあるものしか目に入らない、耳に届かないという『関心領域』のテーマ性は、本作『消えた人々 アサドの戦争犯罪』にも通じるものです。

伴野 日本で暮らしていると、遠い国で起きた、自分たちとは無関係の出来事だと思ってしまう人もいるかもしれません。でも、大量虐殺はシリアだけで起きているわけではありません。パレスチナのガザ地区ではイスラエル空軍による爆撃が行なわれ、ロシアによるウクライナ進攻も続いています。中国では少数民族であるウイグル族への弾圧が問題になっています。マスコミであまり取り上げられないだけで、世界各地のさまざまな場所で、いまこの瞬間も虐待行為が行われているんです。

たとえ自分たちが暮らす社会が今は平和でも、状況は常に変化します。危険だと気づいたときには、すでに手遅れだったりもするのです。シリアに限らず、世界中で繰り返される非人道的な行為を、他人事だと切り捨てるのではなく、自分をその状況に置いて考えてみることはすごく大切なことではないでしょうか。そこから始めていくしかないように思います。
(文=長野辰次)

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『消えた人々 アサドの戦争犯罪』(https://asiandocs.co.jp/contents/1638
2019年製作 製作国/イギリス
監督・脚本/サラ・アフシャール
撮影/ハビエル・マンサノ、ジョナサン・キャレリー、ジェイ・デイジー
編集/ゴードン・ワット 音楽/ロロ・クラーク
プロデューサー/ニコラ・カッチャー、サラ・アフシャール
2017年ブリティッシュ・ジャーナリズム賞年間最優秀調査報道賞受賞
2017年国際放送協会賞(イギリス)調査報道映像部門受賞

「アジアンドキュメンタリーズ」 https://asiandocs.co.jp/

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長野辰次

映画ライター。『キネマ旬報』『映画秘宝』などで執筆。著書に『バックステージヒーローズ』『パンドラ映画館 美女と楽園』など。共著に『世界のカルト監督列伝』『仰天カルト・ムービー100 PART2』ほか。

長野辰次
最終更新:2025/04/20 09:00