ロボットじゃない人間を育てる「Society 5.0」と教育の再設計

この数回で述べているように、インターネットの普及とAIの進化により、これまでの学習が変わった。そして、これからも変わっていくだろう。
これまでの教育で重視されたことは、知識を詰め込むことや決められたことを間違わないようにしかも早く遂行することだ。人間をより良いロボットやコンピュータにすることを目指していたのだろう。これは工業社会が求めるものだった。
教育は社会の中にあって、社会の影響を強く受けることを象徴するかのようだ。
しかし、そうした側面では人間は機械に負けようとしている。囲碁・将棋はAIには勝てない。サッカーの判定も機械が判定する。人間よりも、データ蓄積をより綿密に、目などのセンシング機能をより精度高く実現する。つまり、機械に任せられることは任せれば良いのだ。
考えてみれば、既に工場では人間が働かず、ロボットが働く時代だ。かつて、坂本龍一も言っていた。早く打鍵することに人間には限界がある。だから機械にさせればいいと。
これが情報社会、そして、その後の「Society 5.0」、つまり「サイバー空間(仮想空間)」と「フィジカル空間(現実空間)」を高度に融合させることで、経済発展と社会の課題の解決を両立し、人間中心の社会を標榜したものだ。こうした認識のうえで、6年ほど前に経済産業省の「未来の教室」とEdTech研究会のゲストスピーチで話した。
覚えること、蓄えること、処理することはできることから機械に任せるとなれば、これまでの教育も変わらざるを得ない。あの頃から既に6年が経つ。情報社会(Society 4.0)からSociety 5.0 への産業構造の転換にともなう、社会変革を図るために、教育の環境を政府は変えようとしている。
GIGAスクール構想により、なかなか文部科学省が実現できなかった、生徒1人に1台の端末を小学校高学年、中学で実現できた。この流れは今、高校に向かっている。政府は、大学の「理系5割」を目指して、データサイエンス系をはじめとする学部設置を支援し始めている。
それにともなって、高校には、文部科学省は、DXハイスクール事業(高等学校DX加速化推進事業)として、理数系カリキュラムの強化、情報環境の整備に対し、高校には異例の支援を始めた。この資金により、生成AIを授業で活用する高校も出てきている。
さらに、前回も触れたが、東京都は都立校全校に「生成AI」を導入して、児童生徒が生成AIを利用できる環境を整える。こうして教育を取り巻く情報環境は大きく変化し始めている。
一方で、教育そのものはどうだろうか。
学習指導要領が改訂されて、知識偏重から自ら考えることの重視を、より鮮明に打ち出している。高校で導入された「探究」がまさにそれである。
そして、こうした動きとは縁遠いように思われるかもしれないが、競技スポーツ関連の部活動が変わってきている。
これまでは、監督やコーチの事細かな指示や激励で選手を動かしていた。そのため、競技に対する豊富な経験や知識のある指導者が求められていた。しかし、最近は、選手に、グラウンドやコートで、状況に応じて咄嗟に自ら考えて判断して、より個性的な創造力によって動作することを求めるようになっている。指導者は選手と対話することで判断の善し悪しを問う。選手は指導者から問われたことを考える。そして、そこから新たな問いを見つけて深く考えるようになる。選手と指導者がこうした対話を豊かにできれば、より創造的な動作に繋がるのだ。
ここでも探究同様に「問い」が求められるようになっている。
問うことがなぜ大事なのか。それは、自ら考える端緒となるからだ。考えることは問いから始まるのだ。そして、生成AIもチャットボットであり、対話だ。対話も問うことから始まるのだ。
(文=後藤健夫/教育ジャーナリスト)