「Fラン大学」と無縁な駿台「東大合格者数発表取りやめ」は戦略的転換か

2025年春、予備校大手の駿台が大きな決断を下した。
長年の看板だった「東大合格者数」の速報発表を中止したのである。駿台が公式に掲げた理由は現代的である。ひとつは「重複カウント問題」。多くの受験生が複数の塾を併用し、正確な合格者数の把握が困難になった。もうひとつは「学びの本質」を重視する姿勢への転換だ。数字の競争から脱却するとしている。
この公式発表は誠実な表明に聞こえる。しかし、駿台の価値を示してきた指標の放棄には、ふたつの見方ができる。ひとつは競争力低下を隠す「静かな撤退戦」という悲観論である。一方もうひとつは、未来の市場を見据えた「計算された戦略的転換」という先進的な見方である。
この決断は、一予備校の広報戦略の変更に留まらない。これは日本の縮小市場で戦うすべての企業にとっての「寓話」である。少子化という構造変化の波が背景にあるのだ。今回はふたつの視点を比較し、企業の生存戦略を考察する。
「静かな撤退戦」―避けられない衰退の序章か
まず、この決断を「敗北宣言」と見る視点について、考えてみよう。
この立場から見ると、公式発表は経営課題を覆い隠す美辞麗句にすぎない。「東大ブランド」を捨てる決断は重く、実際には「学びの本質」ではなく「経営の本質」を優先した結果だと考えられる。しかし、それが本当に正解だとは思えない。
第1の要因は市場環境の激変である。18歳人口は1992年の約205万人をピークに、現在は約110万人を下回り、2027年以降はさらに人口はさらに減り続ける。2040年には大学入学定員の3割が余剰になるとの推測もある。そうした中で、駿台の主要顧客である浪人生はこの10年で3割減り、市場は壊滅的であり、将来的に回復する見込みはない。
第2の要因は、競合との格差拡大である。財務基盤は代々木ゼミナール、河合塾ほどではないだろう。現役生(高校生)の受験対策や中学受験など、縮小する浪人生部門以外での事業では遅れをとっている。また、映像授業を武器にする東進の台頭にも苦しんでいる。
第3の要因は内部の脆弱性である。講師の高齢化や流出が起きている。「東大ブランド」への固執など、戦略的思考の欠如も指摘される。組織的な体力が低下しているのだ。東大志望者は全体の1%未満であり、この層に特化したブランドは、大多数の、学力中下位層の受験生の学習支援では心理的な障壁となる。
これらの事実から、今回の発表は「時間稼ぎ」と見なせる。競争に勝てなくなった実態を隠しているのだ。10年ほど前に大規模に校舎を閉鎖した代々木ゼミナールの道をたどる、事業の大幅な縮小の始まりかもしれない。大学定員が3割の余剰を生む、今後の少子化の波の中で、駿台は、代ゼミのように縮小をしながらも粘り強く事業を続けることが難しいのかもしれない。
「戦略的転換」―未来を創るための“破壊的”一手か
しかし、それとは別に全く異なる見方もできる。この決断を、未来のための「戦略的転換」と読み解くのだ。
実はこの見方は生成AIによるものだ。駿台の「東大合格者数発表の取りやめ」の報を受けて、状況をAI相手に「事業撤退」の可能性をまとめていたところ、AIが必ずしも撤退戦とは言えないと提示してきたのだ。具体的には次のように示してきた。
核心は旧来の市場競争からの脱却である。「合格者数」という指標は、少子化などでいずれ形骸化する。その消耗戦からいち早く抜け出す「先手」の戦略だ。これは合理的な経営判断といえる。無駄な競争の費用を、新たな成長領域へ集中させるのである。
新たな成長領域とは、EdTechや教育DXである。駿台は近年、AI教材やICT教材を開発している。法人研修やコンサル事業にも進出した。これは「戦略的ピボット」である。縮小する予備校事業から、成長領域へ経営資源を再配分している。
この決断は、競争のルール自体を変える試みでもある。価値基準を「数」から「質」へ転換させようとしているのだ。「学びの本質」の追求は、新ブランドの確立につながるかもしれない。よってこの決断は「逃げ」ではない。未来で勝ち抜くための一歩なのだ。
「賭け」の危うさ ― 転換に潜む3つのリスク
しかし、この「戦略的転換」は成功が約束されたわけではない。極めて「危うい挑戦」である。このAIが提示したシナリオには、3つの深刻なリスクが潜んでいる。
第1は「認識のリスク」である。市場が「競争に敗れた」とネガティブに捉えるかもしれない。そうなると優秀な生徒や講師が流出し、負のスパイラルに陥る恐れがある。
第2は「実行のリスク」である。ノウハウの異なるEdTechやBtoB事業を成功させるのは困難だ。新市場は競争が激しく、収益化に失敗する可能性がある。
第3は「共食い」のリスクである。新規事業が主力事業を侵食し、ブランドを弱めるかもしれない。
結局、この決断は衰退を避けるための「生き残りをかけた賭け」なのだが・・・。AIが提示した「戦略的転換」となるだろうか。
そもそも少子化で大学入試が緩和され、「Fラン大学」などと揶揄される大学が増える中で、{Fラン大学」とは無縁だった駿台が「東大ブランド」を捨てる必要はあるのか。
すべての企業に突きつけられた問い
駿台の事例は、教育業界だけの問題ではない。少子化に直面するすべての日本企業への問いである。古い成功モデルが通用しない今、企業はどちらの道を選ぶべきであろうか。
過去の栄光に固執し、衰退を受け入れる「静かな撤退戦」か。 それとも、リスクを承知で自己変革し、新たな市場を創る「戦略的転換」か。
駿台は、成功の保証なき「危うい橋」を渡っている。この賭けの成否は、日本企業の未来を占う試金石となるであろう。
次回、こうした駿台の動きから、今後、予備校業界、教育支援産業はどのように変化をするのかをみてみる。少子化で、どこも厳しいように見えるかもしれないが、光明はあるかもしれない。
(文=後藤健夫/教育ジャーナリスト)