山口組の中核組織・弘道会に代替わり情報、それが意味することとは?

2015年8月、六代目山口組は確かに分裂し、空前絶後の事態へと突入した。しかし10年という歳月が経過し、今となっては、それが何かの間違いだったかのような様相すら呈している。六代目山口組から分裂して誕生した神戸山口組、そこからさらに離脱して結成された絆會、独立路線を歩むことになった池田組、二代目宅見組——どの組織も現在も存在している。だが実際には、六代目山口組が武力行使をやめ、一方的に抗争の終結を宣言して以降、不穏な出来事は起きていない。
つまり分裂抗争の終焉は、六代目山口組の意向次第であったと言えるのではないか。
山口組が異例の8月人事
「六代目山口組から離脱した組織は、例外なく衰退し、防戦一方となっていました。確かに解散はしていませんが、だからといって活動内容が表に出てくることもほとんどありません。10年前の分裂当時は各地で衝突やトラブルが相次ぎ、離脱や移籍も頻発していましたが、年を追うごとに六代目山口組が力の差を見せつけ、何事もなかったかのように圧倒していったのです。その最前線に立っていたのが、司忍組長が創設し、髙山(清司)相談役、竹内(照明)若頭へと継承された弘道会でしょう」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
弘道会は分裂抗争においても、その武力を遺憾なく発揮してきた。それは分裂問題に限らず、これまでの数々の武功があったからこそ、六代目山口組の頂点に司組長が君臨し、髙山相談役が若頭に長年にわたって務めてきたと言える。その役目は三代目弘道会の会長である竹内若頭に継承されたが、現在、その弘道会で代替わりが行われるのではないかという噂が業界関係者の間を駆け巡っている。
「2013年、髙山相談役が当時、山口組の若頭職に専念するため、それまで率いていた二代目弘道会を竹内若頭に禅譲しました。今回、竹内若頭も、山口組若頭という重責に専念するために、後進へ代を譲ることは十分にあり得るでしょう。そして仮にそうなった場合、次期会長候補として俄然注目されるのが、三代目弘道会で若頭を務める野内組の野内正博組長です」(前出・ジャーナリスト)
野内若頭といえば、分裂抗争のさなか、弘道会の中でも先頭に立ち、その名を全国に轟かせた人物である。髙山相談役が府中刑務所から出所した後には、三代目弘道会の若頭に就任。分裂問題の渦中では、武闘派として知られる権太会などが続々と野内組へ移籍し、勢力を拡大したことでも知られている。
「権太会が神戸山口組系から突如、野内組へと移籍したときには、業界内でも大きな話題になった。それだけ権太会の名は知れ渡っていたし、その移籍が神戸山口組の衰退の一因になったとも言われている。その他にも、野内組には大阪に本拠を置く二代目北村組といった武闘派組織も、分裂抗争の最中に加入した。野内組長と二代目北村組の西川純史組長は、過去に同じ刑務所の同じ工場で苦楽を共にした関係にあり、強い信頼関係で結ばれていると聞いたことがある。そのとき野内組長が服役していた刑務所は関西にあり、その模範的な服役態度は当時から評判になっていた」(業界関係者)
野内組の勢力は、すでに“プラチナ級”と称されており、ヤクザ社会の人事は決定するまで予測が難しいものの、現在、野内組長に注目が集まっているのは確かである。
「仮に弘道会で代替わりが起これば、それはすなわち七代目体制への布石ということになるでしょう。弘道会の強さは、武闘派としての面だけでなく、人事面での手腕にも定評があります。つまり、万全な体制を整えた上で、次の代へとスムーズに移行させるのです。これは六代目山口組においても同様で、人事を一挙に動かすのではなく、時期やタイミングを慎重に見極めながら、着実に組織改革を進めています。分裂問題を解決して以降の六代目山口組は、すでに次世代を見据えていると言えるのではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)
確かに10年前の夏、六代目山口組は分裂に至った。しかし10年が経過した今、六代目山口組はそれを微塵も感じさせることなく、着実に前進し続けている。その強烈な牽引力の源泉は、中核組織である弘道会であることは間違いない。
(文=山口組問題特別取材班)
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