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沖田臥竜の直言一撃!

新作『木漏れ陽』が与えてくれた、小説家としての確かな手応え

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イメージ(画像:Getty Images)

 年末年始、ある映像作品の撮影現場での仕事中、空き時間に休憩スペースの床に座り、壁にもたれて、iPhoneのメモに物語を書き殴っていた。その時、人が来たのを感じて視線を上げれば、ある大物女優が座られていた。

 うおっ!

 思わず、口から声が飛び出しそうになった。それくらいの大物女優である。挨拶に立とうかと考えた。挨拶は、人としてのマナーである。だが、その勇気が湧いてこなかったのだ。

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 ドラマや映画に携わることは少なくない。『インフォーマ』のように原作・監修として仕事をするときは、お会いするキャスト、スタッフには挨拶はさせていただく。対して、自身が原作にかかわっていない作品の監修・所作指導の場合は人様の現場にお邪魔する感覚だ。ゆえに空き時間はなるべく気配を消し、空気と同化するようにしている。できるだけ邪魔にならないようにしているのだ。

 この時の仕事も監修・所作指導。何度も立ちあがろうと試みたが、床にへばりついた腰が上がらない。私は、こうした時のアドバイザー役ともいっていい旧知の映像プロデューサーにLINEを打った。

 彼は普段、LINEも電話もレスポンスがすこぶる遅い。だが嗅覚だけはするどい。私が困っているときなどのレスポンスは鬼のように早い。ならばいいじゃないかと思う諸君、侮るなかれである。ヤツはただ私が困っているのを見て、大笑いしたいだけなのだ。そんな相手にアドバイスを求めるほど、この時は気が動転していたのだろう。

 アドバイザーに今の状況を説明すると、返信の行間からは、ヤツが大笑いしていることがうかがえた。

 「おはようございます! よろしくお願いします!」と言えばいいんですよ(笑)

 最後には、惜しみなく(笑)の文字まで入れてきやがった。私は内心で叫んだ。

 バカ野郎! 明日には帰るのに「よろしくお願いします!」はおかしいから、どう挨拶するかを悩んでいるんだと。

 結果、私はアドバイザーに苛立ちを覚えながら、女優には気づかないふりに徹して、物語のプロットの続きを書くことにした。そうこうしている間に、今度は2人の大物俳優が私の両サイドに座られたのである。

 前置きが長くなってしまった。そうした環境で書かれたプロットを経て完成したのが、5月17日に角川春樹事務所から出版される小説『木漏れ陽』である。
 
 小説家が世の中に何人いるか知らないが、大物女優と大物俳優に囲まれて、物語を書いた経験がある者はそうはいないだろう。

 蛇足だが、先日、少し聞きたいことがあって久しぶりにアドバイザーの携帯に電話をすると、コールが鳴る前に出て、「お声が聞きとうございました!」と言ってきたのである。相変わらず嗅覚の鋭い男である。このアドバイザーこと、プロデューサーのジョニーから届いた今年の誕生日プレゼントは、50円のLINEスタンプであった。

誇りとは、他人に理解してもらうことではない

 話を本題に戻そう。用意は良いだろうか。今回は泣かせたいと思っている。

 私が物語を生み出すとき、いつも念頭に置いているのは、クスッと笑えて甘酸っぱく、泣ける作品にすることだ。どんな題材であったとしても、そこに登場する人物たちにはそれぞれの人間模様があり、そのひとつひとつが織り重なり、物語の軸になっていくのだ。当然、物語に笑いと涙は必要不可欠になってくる。そのエッセンスを『木漏れ陽』では存分に散りばめてきた。

 私は25歳から小説を書いている。辛くて苦しい夜も、物語を書くことで、何度も困難を乗り越えてきた。「こんなことをしても無駄ではないか」と自分自身に負けそうな夜は、自分が描いた小説が映画化され、それを観た見知らぬ人たちが映画館で涙を流す姿を想像し、折れそうな心を叱咤してきた。
 
 振り返った時に、過去の自分の作品を客観的に評価することは難しい。もちろん書いている最中も本当によいものかどうか、実際のところわからないものだ。しかし、デビューから10年。『木漏れ陽』を書いているときに、初めてその感覚が変わった。筆の運びが上達していると実感できたのだ。『木漏れ陽』を書き上げたことによって、次の作品、その次の作品と、今も書き続けている。

 今年に入って多分、物語だけで30万文字は書いたと思う。物語を生み出すときは、酒も呑まないし、書いているときは、タバコも吸わない。何かそれが儀式のようなこだわりからではない。筆の質もスピードも落ちるからだ。そもそも私は無駄な概念やこだわりにとらわれずに生きている。仕事において、そのこだわりが足を引っ張るようならば、取り払う。物語は文芸だ。つまらないこだわりは必要ない。    

 ある程度、形にまとめるまでは日々苦悩の連続だが、その分、世に放つときには、苦悩を乗り越えた者だけが味わえる喜びを噛み締めることができる。書くことが好きなんだと思う。脳内がオーバーヒートして熱を出しても、物語を書くということが私は好きなのだと思う。同時に、その行為を誇りにも思っている。

 誇りとは、他人に理解してもらうことではない。自分自身に言い聞かせることでもない。感じることだ。

 これから来年、再来年に向けて、物語を続々と世に出していく。その第一弾が小説『木漏れ陽』である。人生をいつか顧みたとき、49歳で劇的に爆発したと思えるようにしたい。

 カレンダーの5月17日に赤丸をつけてもらえれば幸いです。

 寒い冬が終わり、春がそこまでやってきている。今年も熱く燃える夏にできたらよいなと思う。

(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)

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沖田臥竜

作家・小説家・クリエイター・ドラマ『インフォーマ』シリーズの原作・監修者。2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、小説やノンフィクションなど多数の作品を発表。小説『ムショぼけ』(小学館)や小説『インフォーマ』シリーズ(サイゾー文芸部)がドラマ化もされ話題に。調査やコンサルティングを行う企業の経営者の顔を持つ。

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最終更新:2025/03/15 12:00