広末涼子逮捕で問われる“裏方の責任”…タレントを守るべき人間の仕事とは?

人生で初めてPayPayを使ったその日、奇しくも……失敬。奇しくも、というわけではなかった。しかし私もどんどん最新テクノロジーを駆使する側に回り、ついにiPhoneで支払いを済ませてしまったのである。私はそのとき思った。文明とはこうやって発展してきたのかと……。
テレビスターを殺す怪物の正体
iPhoneを出して「これで支払いできるかな〜」と弁当屋のおばちゃん相手に、たった一人で言ったときの心細さ……黙れ、話は最後まで聞くべきである。ここから、広末涼子さんの境遇に飛躍していくのだ。あの心細さと不安な心理は、広末さんが見知らぬ病院で、たった1人でイライラを募らせた時と同じだったのではないか――すまない。よくよく考えるまでもなく、全然違った。
『インフォーマ』という作品を通して、少しは気づいてくれた人々もいるかもしれないが、私は情報を扱う仕事もしている。どれだけ自分のことを低評価してみても、個人では情報収集力も分析力もトップクラスだと思う。自惚れるな!と思ったそこのネット民は黙っていてもらいたい。私が情報感度においてトップクラスであることは、関係先ならば誰でも知っている。そして書くスピードも群を抜いている。自慢話がしたいのではない。デビューから10年が経った。だから私は今も文筆業界で生き残っているのだ。経験から得た知識。情報収集力からの考察と分析。これが私の最大の武器である。
4月8日、早朝まで原稿を書いていた私がようやく仮眠を取ろうと思ったら、広末さんの逮捕の報が飛び込んできた。ネット民が「自称・広末涼子って本人なの?」とバカ騒ぎしている頃には、本人だということも知っていたし、後になって「なぜ“自称”と報じたのか」をニュースでもっともらしく解説していたが、そんなもの報道関係者なら誰でも知っている。免許証の不携帯ではなく、車内に置きっぱなしにしていたのではないかと推測することもできた。
その時点でもネット民は、「自称・広末涼子」をトレンド入りさせ、遺憾なくその想像力のなさを露呈していた。
ネット民も言いたいことを好きなだけ書いているのだから、私もいちいちネット民をクサすこともご愛嬌と思って、クスッと受け流してもらいたい。その代わりといってはなんだが、報道用語をひとつ伝授しよう。「三あて」という確認手法がある。当局が、最低でも3人の関係者に容疑者の顔写真を見せて、本人で間違いないかと確認する作業のことだ。ごく稀に親に写真を確認したところ「間違いない。うちの子だ!」と言ったものの、実は間違っていたということもある。だから、複数人から裏取りするわけだが、今回は広末さんの関係者をすぐに呼べない静岡が現場だった。しかも、本人は身分証明書を持っていない。ゆえに、当局も「自称」とせざるをえなかったのだ。
そういう時は、急がずに警察の発表を待って、実際の氏名を公表したほうが賢明と思うが、実際には各メディアがスピード競争を繰り広げる。そんな中でも社風というものもあって、今回ある意味テレビ朝日は“らしさ”を発揮し、「自称」を省いて一番槍をついてみせた。つまりテレ朝が1番に広末涼子さん本人であると断定して報じたのである。その根拠は、本人が「広末涼子」と名乗っていること、別の病院へと搬送されたマネージャーらしき男性も広末さん本人だと言っているからというものであった。
見切り発車ではないか? と突っ込まれれば、テレ朝は「確かな筋から裏をとっていた」と反論するだろうが、それは警察関係者からの耳打ち、つまり非公式情報だろう。そんなことくらい、報道の現場を知るものであれば、誰だってわかる。だが相手は広末さんなのだ。テレ朝以外は、慎重な姿勢をとり、99パーセント広末さんだとわかっていても、警察の公式発表通り「自称・広末涼子」の姿勢をとったのだ。テレ朝を非難したいわけではない。私もかつて仕事で関わったことがある。ただ、それが社風だと言いたいだけだ。
ところで、別の病院へ搬送された「自称マネージャー」は一体、何をしていたのか。この男性は、現在、広末さんが撮影中の映画のキャスティング担当でもあることから、マネージャー的立場で広末さんをサポートしていたようだが、私に言わせれば、今回の問題の本質はそこにある。
なぜ広末さんについていながら、本人にバンドルを握らせていたのだ。その時点でマネージャー業としては失格ではないのか。仮にどれだけ本人が運転すると言っていても、仕事からの帰りはれっきとした公用である。現時点で事実関係はわからないが、広末さんのサポートするために男性は同乗していたのだろう。
本人がマネージャーと名乗っている以上、マネージャーの仕事をまっとうすべきである。それは、担当するタレントを安全に送迎したり、現場で世話を焼くことではないのか。広末さんがその時に何をしていたのか、どんな状態だったかなんていう憶測は、私はネット民とは違って一切興味がない。
広末さんは、国民的に知られたスターである。彼女の逮捕に、多くのファンが落胆したことだろう。その責任の一端はマネージャーにあるのではないか。とある業界なら、指が飛ぶくらいでは済まない話だ。
メディアに欠落した視点
誤解なきように言っておくが、私は広末涼子さんのファンでも何でもない。ただ、マネージャーは何をしていたのか──純粋にそう思うのだ。もしマネージャーが運転していれば、もし同じ病院に付き添っていれば、少なくともこんな結果にはならなかったはずだ。事故に遭い、怪我を負ったことは災難だったが、プロの仕事としては、えらく頼りないではないか。
私はかつて、原作・監修を務めたドラマ『ムショぼけ』で、予算の都合から劇用車も送迎車も自ら手配し、俳優部の送迎を自分で担当した。普段、人を乗せて運転する側の人間ではないが、当時はコロナ禍で予算も限られ、しかも地元・尼崎での撮影だったので、『ムショぼけ』に出演してくれたメインキャストの送迎は、可能な限り私が務めた。
そのとき私は、ハンドルを握る以上、絶対に事故は起こしてはならないと気を引き締めていた。主演もヒロインも、脇役の板尾創路さんも後部座席に乗せて、最大限の神経を張り巡らせた。怪我など絶対にさせられない──それが裏方の責任であり、俳優部には最高のお芝居をしてもらえるような環境を整えるのが、私の仕事だった。引き受けた以上、言い訳はできない。
だからこそ、広末さんの本格復帰に向けた作品に深くかかっているというこの男性がハンドルを握っていれば、少なくとも今回のような事態にはならなかったのではないか。そんな思いに至るのだ。
これから捜査がどう進展するかはわからない。だが、ネット民やしょうもないコメンテーターがしたり顔で推測してみせる薬物疑惑やことの是非は、それ以前の問題なのだ。
4月8日は火曜日だった。火曜といえば、木曜発売の「女性セブン」も「週刊文春」も「週刊新潮」も校了の日で、広末さん逮捕の報を受け、大慌てで「女性セブン」も「週刊文春」も記事を差し替えることになった。ただ「週刊新潮」は、記事を差し込むことなく、黙殺した。週刊誌には週刊誌の社風があり、これも新潮“らしさ”なのである。
見渡してほしい。こんな角度から分析しているメディアが他にあったか。広末涼子さん逮捕という大きなトピックに目を曇らされ、事件の本質に気づいていない。各社が似たようなニュースを報じても、そんなものには意味がない。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)
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