『インフォーマ』がATP賞を受賞した40代最後の夏…そこで見つけた“自分”の原点

アツい夏である。振り返ってみても何年ぶりかわからないほど、海に花火に心霊スポットと、毎週、イベントを計画して、若い子たちを中心に、自分の会社に関わってくれる人々と夏らしい日々を満喫している。
これまでだったら考えられない時間だ。いつもならば仕事がひと段落すると、休む間もなく次の仕事、次の原稿の用意に入ってきた。
きっかけは偶然であった。
これから、8月、10月、12月と書籍を出版していく中で、いったんすべての書籍の原稿を担当編集者に渡して、手放せた6月のこと。気づいてしまったのだ。
「げっ!俺、49歳じゃん!来年50歳になっちゃうの?マジで!?」と。
時の流れとは残酷で恐ろしいものである。ついこの前までは、確かに夏の甲子園で躍動する高校球児たちをテレビで観て、お兄ちゃんたちに見えていたのに、いつの間にか彼らが幼く見えてしまっていたのだ。
それだけ歳をとったということなのだが、それにしても来年2月で50歳である。もうすでに幼馴染の同級生の中には、大台を迎えてしまったものたちもいるのだ。
その現実は、私に重く恐怖としてのしかかってきた。そして閃いてしまった。40代最後の夏くらい、夏らしいことをしてみようと。
去年の11月くらいから、今までの限界を超えてやろうと思い、がむしゃらに書き続けた。睡眠時間なんて平均3時間なかったのではないかと思う。6月までの7カ月間、連載マンガや新しい物語で、自分が生み出した登場人物の名前を覚えるのだけでも頭がパンクしそうなほど、執筆作業に追い続けられていた。そして束の間の休息が終われば、一度手放した原稿が担当編集から返ってくることはわかっている。そもそも、書籍の原稿を完全に手放しても、自分の会社の仕事や書く仕事はいつも通りあるのだ。
決して心からのんびり休めるわけではないが、それでも週末くらいは、40代最後の夏の思い出づくりに励もうと決めた。
先日、来年から撮影予定の作品の脚本に筆を入れているとき、『ザ・ファブル』で知られる漫画家の南勝久さんからこう言われた。
「やっぱり沖田さんは作品作りが好きなんですよ!」
その通りだと思う。物語を書いている時に「楽しくて楽しくて仕方がない!」なんて感じる瞬間は微塵もない。むしろ過酷で地味な作業だ。それは小説家を志した25歳の時から何ら変わらない。
プロだから書ける書けないという問題ではなく、どんなスポーツでも趣味でも何だってよい。それを職業にした瞬間、葛藤や苦しみが伴うのは当然のことだ。だからこそ、達成した時の喜びや感動は、何ものにも代えがたいものになるのである。
去年の夏、私はバンコクにいた。異国の地で撮影が行われたドラマ『インフォーマ―闇を生きる獣たち―』の現場にいたのだ。この作品の原作となる物語を書き出したのは、さらにその前の年の5月からだ。5月にタイに渡り、街並みを見て、そこから執筆活動に入った。
そこから2年の時を経て、今回、ATP賞のドラマ部門奨励賞を受賞した。インフォーマで言えば、もう4年半前になる。
『ヤクザと家族 The Family』で監修を務めたことから付き合いが始まった藤井道人監督に「今度は情報屋を主人公にした物語を作りませんか⁈」とたった一言言われたことから始まったのだ。最初は2人だけだった。まだ正式なタイトルもなかった物語を2人だけで「インフォーマ」と呼び合い、『ムショぼけ』のクランクインの日に、私が書いたプロットを藤井監督が、テレビ局にプレゼンするための企画書にしてサプライズで持ってきてくれた。
賞を受賞すれば、その時のことが鮮明に蘇る。それは決して銭金だけではない戦いの日々であり、だからこそ得られた喜びである。地道にやっていく姿は決して、人々の目に知られることはない。人々は結果だけを見て判断する。その過程にあるべき苦悩や葛藤には、目を向けることはない。だからこそ、いいのである。それが白日の下に晒されてしまえば、それが刺激になり他者の眠れる才能を呼び起こしてしまいかねないではないか。眠ってる才能はそのまま寝てもらっていればいいのだ……。ウソである。
文化、文芸の発展は、人々の想像を凌駕した人間が突然変異的に誕生することによって起こることは時代が証明している。誰からも理解も支持もされない中で、未来に何の保証もない中で、諦めずに一つのことと向き合い、余暇を休むことなく努力できるかどうかだけだ。ただ、それを成し遂げた人間が新たな道を開拓し、広げていくのだ。
自分のためにやってきた。私は常に「自分のために」と言い聞かせている。何もそれは、自分が贅沢したいとかそんなことを言っているのではない。自分の生み出した作品で、誰かにワクワクしてもらいたいという気持ちだって、自分が望むものであり、突き詰めれば自分のためだ。
困っている人を救いたい、周囲の人間を笑顔にしたいという気持ちだって、それは結局は自分のためだと私は思っている。それをこの夏、みんなの笑顔をみながら確信している。すまない。世の中のためとか、ボランティアとか、社会福祉活動なんてことは、私はどうでも良い。そんな高尚な人間になりたいとも思わない。
ただ、私が大事に思う人間には、いつも笑顔でいてほしいし、ワクワク、ドキドキしていてほしいのだ。そして、そこまで働くからこそ、みんなを集めて、夏の思い出を作る経済力もできるし、みんなを喜ばせることができるのだ。そして私の周囲から「『インフォーマ』の続きを、『ムショぼけ』の続きをやってくださいよ!」と言ってもらえるのだ。
50歳を目前に迎えて、自分の言葉を取り繕ったり、嘘をつかなくても良くなってきた。
自分がなにを期待されているかわかっている。そのためにまず私が誰よりも汗をかき、情熱を持って取り組んでいかなければならない。だからこそ、周囲も「そこまで頑張っているならば、実現させてやろう」と思ってくれるのだ。
来年には、世界配信の映像作品、映画、テレビドラマに小説の映像化、もうすぐマンガの新連載も始まる。テレビドラマとのメディアミックスも準備中だ。
今年の夏は、全力で遊びながら、その分、全力で仕事するつもりである。いろいろと楽しみにしてもらっていても、いいのではないだろうか。
9月に入れば、プロデューサーのジョニーと仕事で台湾へ行く予定である。私たちの夏はまだまだ終わらない。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)