二宮和也『8番出口』、今年度ナンバー1の傑作が見せてくれた世界

映画館が好きだ。小さい頃から映画館が大好きだった。その想いは今も昔も変わらない。だから今でも時間があれば映画館へと出掛けているのだが、今年観た映画で二宮和也さん主演『8番出口』は群を抜いて最高におもしろく、鳥肌が立った。クライマックスの締め方もめちゃくちゃ良かった。
改めて述べるまでもなく『8番出口』は、ゲームの実写化である。もちろん私もプレイしたことがある。みんなで楽しむことができるゲームなので、そんな時間が大好きな私にとってはうってつけのゲームだった。
『地獄に堕ちるわよ』の舞台裏
そのゲームの映画化である。どうやって『8番出口』を物語として映画にするのか。曲がりなりにも作品づくりに関わる人間の端くれとして、観る前から興味があった。しかも主演は二宮和也さんである。絶句した。「こんな展開にできるの⁉」と、その創作力に圧倒された。見事に起承転結が決まっているのだ。そこに主演を務める二宮さんの芝居である。素晴らしかった。ラストは……すまない。いろいろな感情が込み上げてきて、うるうるしてしまった。
『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』のキャスティング段階のことだ。もしかすると嵐の二宮さんがキャスティングできるかもしれないと、藤井道人監督から連絡があったとき、私は狂喜乱舞した。それは今に始まったことではない。関テレで『インフォーマ』シーズン1が放送されていたとき、二宮さんがXで、インフォーマを観ていると投稿してくれた。私たちはその投稿に大いに沸いた。そして森田剛さんと二宮和也さんの共演が、続編となる『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』で実現できれば、物語としてもより強いものになると考えていた。
そこから、スケジュールの調整などを重ね、その実現に向けて必死に動いてくれていたのが、企画・プロデュースを担った藤井監督であった。もし藤井監督がいなければ、森田さんと二宮さんの共演は実現していなかった。
作品づくりとは、物語を生み出すだけではない。私たち裏方の仕事は、作品を生み出し世の中に放つだけではなく、表に出ることのない場所で一喜一憂しながら、物語が生きる最高の環境や条件を整えていくことも、そしてプロモーションも、私たちの大事な仕事なのである。
できることは何でもする。肩書きにとらわれない。みんなで汗をかく。そうして唯一無二の作品が生まれてくるのだ。
今だから言える裏話をしてもいいだろうか。当初、二宮和也さんにオファーしていた配役は、高野龍之介ではなかった。二宮さんの多忙なスケジュールの中で、もし出演が実現するなら――と生まれたのが高野龍之介だった。その高野を輝かせてくれたのが二宮和也さんの芝居である。現場でその演技を観ながら、私は圧倒されていた。
前作『インフォーマ』シーズン1でのこと。プロットを叩き終えて、クランクインを目前に控えた時期だった。私の記憶はすまぬが凄まじい。具体的には、3年前の6月30日のことだ。藤井監督から「横浜流星さんが出演してくれることになった」と連絡があった。
そこから監督と二人で話し合い、「横浜流星さんが出演する第6話を神回にしよう」と決め、そこから1日で書き上げたのが、横浜さんが演じることになる河村愛之介である。スピードに関しては、私は世界に出ても負ける気はしない。
河村愛之介という名前には、私なりのこだわりと想いを込めた。横浜流星さん演じる河村愛之介が、ドラマや小説を観た人から「愛之介!」と呼ばれて愛されるように――そう願って筆を執った。それだけに、このキャラクターには愛おしいほどの愛着を持っている。それを同じ思いを込めて『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』で生み出したのが、二宮和也さんが演じきってくれた高野龍之介だった。
そうした想いから、原作小説『インフォーマⅡ−Hit Away−』(サイゾー文芸刊)では、ドラマとは異なる世界観でどちらも楽しめるように、河村愛之介と高野龍之介を“生き別れた双子の兄弟”として描いている。
週刊誌の餌食になる俳優たち
自信を持って言える。ドラマ『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』を楽しんでくれた人には、現在刊行中の『インフォーマⅡ−Hit Away−』をぜひ読んでもらいたい。動画コンテンツやSNSの普及により、活字離れが久しい昨今でも、活字で読む者の想像力を膨らますことができると思っている。それくらいの自信がなければ、私は小説なんて書いていない。
私はさまざまな仕事をしているが、“いちばん金にならない小説家”としてのプライドは誰よりも持っている。小説家こそが物書きの最高峰だと思っている。筆を握って25年。負けられない。文芸は売れないという言葉程度で、諦めるわけにはいかないのだ。意地でもいつかは100万部。私はそれしか見ていないのだ。
そのためには……すまない。ついつい熱くなってしまった。映画『8番出口』である。
『インフォーマ−闇を生きる獣たち−』で見せてくれた二宮さんの人柄は、お世辞ではない。芸能界で長きにわたりトップを走り続けている人だけあって、素晴らしい。俳優部だけじゃなく、スタッフへの気遣いも超一流なのだ。
こんなことは私くらいしか言えないから言ってやるが、いくらお芝居がうまくても、人気や知名度があっても、それだけでは俳優として生き残ることなんてできないぞ。
笠松将なんてなんだあの子は。現場の態度なんてすこぶる悪かったし、本来ならば、記事化することもできるようなスキャンダルも抱えていた。彼に限らず、トップに立つことのできない人、もしくはいまいち人気が出そうで出なかった人には、お芝居だけではない。そうした気遣いや配慮を欠いた者は結局はどこかでつまずき、週刊誌の餌食になるのだ。
そんな高飛車な人間を、いざという時に誰が守ってやりたいと思えるのだ。だが生き残っている人々はやはり違う。画面に映らない部分の姿勢まで素晴らしいのだ。二宮さんが現場で見せた姿はまさにプロそのものであった。
映画『8番出口』を観ていて「これは凄いな」と感心させられたのは、ゲームを題材にした物語をゲームの内容を壊すことなく、観終わった後にゲームをやりたいという衝動を駆り立てることにもあったのだが、もう一つは撮影現場である。
基本的にはひとつの舞台だけで物語を進行させて見せるのだ。同じ地下鉄の地下道を行ったり来たりするだけで、あれだけスピーディーでかつ、物語の整合性が欠くことがない作品はなかなか誕生するものではない。そしてラストの見せ方も見事である。抽象的とも思える様々な表現を一瞬で回収してみせたのだ。
冒頭でも記したように、私は映画館が大好きである。よく映画館に足を運ぶ。映画を観ている2時間だけは、忙殺されている日常を忘れて、その世界に没頭することができる。生きていれば忙しいのは誰だって同じである。だが映画館は、常日頃の雑念を忘れさせる空間だ。その雰囲気で場内は満ち溢れているのだ。
そして、素晴らしい映画を観終わった人々の表情。どの顔も興奮が顔中いっぱいに広がっている。それは帰る場所も、向かう先も違う人たちの人生が一瞬だけどリンクする瞬間でもあると思っている。
そんな中で観た映画『8番出口』は、間違いなく今年一番の作品だった。良い作品との出会いは、私にとって次なる物語を生み出す刺激にもなる。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)
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