飛石連休・藤井ペイジが掘り下げる「辞めても続けてもお笑いの道」と芸人たちの“第二章”に迫る業界騒然のYouTubeチャンネル
芸人相手に一対一で話を聞くインタビュースタイルの動画をYouTubeに投稿し続けているサンミュージック所属のお笑いコンビ・飛石連休の藤井ペイジ。ここ数年でそのYouTubeチャンネルが話題になった。特に「辞めた芸人に話を聴こう」という企画は、往年のお笑いファンのみならず、現役のお笑い芸人にも多くの支持を受けている。辞めた芸人、辞めなかった芸人、今も続けている芸人……。さまざまな思いが交錯するお笑い界だが、藤井ペイジは何を思い、芸人にインタビューし続けているのか?
きっかけはフォークダンスDE成子坂の「伝説」
――YouTubeはいつ頃から始めたのでしょうか?
藤井ペイジ(以下、藤井) 2018年くらいからですね。きっかけは「何か動かないと、このまま何もなく時間が過ぎていってしまう」という焦りですかね。当時は、YouTubeで収益を上げている芸人仲間が増えてきた時期でもあったので、「自分もやってみよう」と思いました。
――収録はすべて生配信。週末、金土どちらかの23時からスタートしていて、後日投稿する動画は生配信した内容を聞き取りやすく編集したものになっています。チャンネル開設当初はどのような動画をアップされていたのですか?
藤井 ちょうど、子どもが2歳でとてもかわいくて(笑)。Vlog(Video Blog)のように我が子の成長記録を投稿していました。ほかにも食べ物を食べてレビューする動画などを上げていたのですが、そういった日常的な内容だけではなく、「辞めた芸人にインタビューをしていったら面白いのではないか?」という考えが頭にあって、試しに始めてみたんです。それが2020年くらいです。
――「辞めた芸人に話を聴こう」はいつ頃、思い付いたのでしょうか?
藤井 かつて、フォークダンスDE成子坂というお笑いコンビがいたのですが、僕が東京に来た頃には入れ違いくらいで解散したため、接点はありませんでした。しかし、周りの芸人仲間は「フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんは天才だった」と口を揃えて言うんです。当時、相方の村田渚さんはピンやコンビ(鼻エンジン)で芸人を続けていましたが、桶田さんは解散以降、表舞台に姿を現していません。そこから、「そんなすごい人がどうして辞めてしまったのだろう?」と思うようになったのです。
――フォークダンスDE成子坂といえば、2006年に35歳で急逝した村田さんと、2019年に48歳で亡くなった桶田さん、それぞれが天才として今日まで芸人たちの間で語り継がれている印象です。
藤井 いずれ、そのような人たちに話を聞く連載を、どこかの雑誌でやらせてもらえないかと思っていたんです。ただ、企画として出版社や雑誌に持ち込むまではいきませんでした。
――もともと、温めてはいたんですね。
藤井 そして、YouTubeがあまりに伸び悩んでいたときに、「辞めた芸人に話を聴こう」をやろうと思ったのです。第1回は「R-1ぐらんぷり」のファイナリストであり、今は構成作家をやっている仲良しの大輪教授に出てもらいました。
――2007年、なたぎ武さんが初優勝した年のR-1ぐらんぷりですね。当時はまだ夕方に放送されていました。
藤井 そうですね。聞いてみたら、やっぱり話が面白い。周囲からの評判も良かったため、「これはイケる」と確信しました。そして、第2回には元・エレファントジョンのガッテン森枝に出てもらったんです。
――エレファントジョンは「THE MANZAI」の認定漫才師に3年連続で選ばれてますよね。
藤井 ただ、このタイミングで新型コロナウイルス感染症が世界的に流行。みんなと対面で会うことができなくなってしまいました。第3回をどうやって行うか考えていたところ、Zoomという選択肢が登場したんです。オンライン通話が一般化したおかげで、地方に住んでいる芸人にも出てもらえるなど、インタビュー相手の幅は広がりました。
『ボキャブラ』が仇に? ブラックパイナーSOSの悲劇
――そこから、現在まで続いているこのシリーズですが、とにかく明るい安村さんの相方だった元・アームストロングのくり(栗山直人)さん、なにわのオバハンキャラ「すち子」で知られる吉本新喜劇の座長・すっちーさんとコンビを組んでいた元・ビッキーズの木部信彦さん、そして「M-1グランプリ」の初代準優勝者である元・ハリガネロックのおおうえくにひろ(大上邦博)さんなど、人選が絶妙です。
藤井 僕が話を聞きたいのは「売れかけた芸人」なんです。その代表格としてハリガネロックさんがいます。『爆笑オンエアバトル』(NHK)で何度もオンエアを勝ち取り、渋谷公会堂で単独ライブを成功させるなど、「いつ売れてもおかしくない」という状態でした。それが、どうして辞めることになったのか? 絶対、未練はあったと思い連絡したんです。
――インタビューのときに心がけていることはありますか?
藤井 絶対に聴こうと決めていることはいくつかあるのですが、毎回「辞めて後悔していないか?」ということから質問しています。実はほとんどの芸人は後悔していないんですよね。
――そんな……。
藤井 というよりも、後悔してまたやりたくなったら身ひとつで、再開することができるんですよ。そのため、後悔した芸人は辞めても一年以内に舞台に戻ってきています。
――ほかにも必ず聞いている質問などはありますか?
藤井 現役、引退問わずインタビューでは「どうして芸人になったのか?」と「どんな学生時代だったか?」ということを聞いています。そうすることで、自分の中でどんどん「芸人の人生」が蓄積されていくのです。「この人はこういうパターンか」「こういうパターンだと売れる可能性があるのか」といったものが、僕の中で体系化されるんですね。
――企画のターゲットはどの層を狙っているのでしょうか? 実は同業者に向けているとか?
藤井 本当はお茶の間のみなさんに見てもらいたいんですよ。内容的にはかなり普遍的なテーマを扱っていますからね。それに、辞めた芸人インタビューというのは、一度「人生をドロップアウトした人たち」じゃないですか。そういう人がセカンドキャリアとしてどんな道を選ぶのか? つまり、このシリーズには「人生は寄り道したとしてもやり直せるんだ」というメッセージも込められています。とはいえ、今のところはコアなお笑いファンと同業者が多いみたいですけどね。
――長年インタビューを続けていて、「売れた芸人」と「売れかけた芸人」の違いはありますか?
藤井 やっぱり、売れた芸人も、売れかけた芸人も、どちらも面白いんですよ。体系化しているとは言いましたが、いま出ているひとつの答えは、結局「運に左右される」ということです。これはブラックパイナーSOSの山野拓也くんに話を聞いたときに強く思いました。
――高校在学中にコンビを結成。10代の頃から『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演するなど、ブラックパイナーSOS は90年代に人気があった印象です。
藤井 そうです。ただ、彼らが『ボキャブラ天国』に出演していたのは、番組が終わるまでのわずかな期間だけなんです。そして、同番組に出演したことで、ブラックパイナーSOSはテレビに出るチャンスを失ってしまいます。
――どうしてでしょうか?
藤井 『ボキャブラ』終了後、テレビには若手芸人が出演できるような「ネタ番組」がなくなったんです。
――確かに。2000年代の前半はベテランたちのコント番組が目立つ一方で、若手のネタ番組の印象はないですね。
藤井 そこから、テレビ局は新たにお笑い番組を作っていきます。もちろん、ブラックパイナーSOSも新番組のオーディションに参加しようとしたのですが、テレビ局側から「『ボキャブラ』の色が付くため、来ないでください」と言われてしまったそうです。
――ブラックパイナーSOSを爆笑問題やネプチューンと同じように、キャブラー(同番組の出演者)としてくくるのは難しいと思うのですが、短期間とはいえ同番組で人気が出たため、フレッシュさがないと思われたのでしょうね。
藤井 これは運が悪いとしか言いようがありません。
売れない芸人たちの希望となったカンニング竹山
――チャンスを掴めずに辞める芸人がいる一方で、売れなくても続けている芸人についてどう思いますか?
藤井 50〜60歳で売れていないのに続けている芸人が増えているというのは、時代の流れですよね。僕が芸人を始めた90年代頃は、そういった芸人はいませんでした。というのも、30歳までに売れていないと恥ずかしい。それに、若い子と一緒にライブに出るのは無理だから自ら身を引く……という、暗黙の了解があったんです。
――スタート当初のM-1グランプリの「結成10年以内」も、「10年やっていて結果が出せないようなら芸人に見切りをつけるべき」という島田紳助さんの考えがありましたね。
藤井 それが、2000年代に入るとカンニング竹山さんや、バラク・オバマ大統領のモノマネで再ブレイクを果たしたデンジャラスのノッチさんなど、30歳を過ぎてから売れた芸人が続々と出てきたんです。おそらく、お笑い番組が増えたからでしょうね。彼らの影響で「自分も続けていればいつかは売れるかもしれない」と、まだ売れていない芸人たちは希望を見出すようになりました。
――そこから、芸人が引退を決意するきっかけには、どんなものがあるのですか?
藤井 自分の意思というよりも、環境に左右されることが多いですね。例えば「子どもが生まれて家族を養わなければならなくなった」などですね。現実的な事情が辞める理由になることが多いです。
――家族を養うために稼がないといけないですからね。
藤井 ただ、今は昔と比べて続けることの難易度が下がってきています。昼間は会社で働いて夜はステージに立つなど、就職しながら芸人を続けている人も増えています。昔はそんな芸人いなかったですよ。まぁ、スナックを経営しながら芸人を続けているおじいさんはいましたけど……。当時は「こういうおじいさんにはなりたくないな」と思っていましたが、スナックがYouTubeに取って代わっただけで、今や僕がその側にいるのかもしれません(笑)。
――時代が変わってきたということでしょうか?
藤井 そうですね。仕事をしながら芸人を続けるということを、周囲が認めてくれる時代になったのだと思います。だって、税金は高いのに給料は上がらないなど、普通に暮らしているだけでもしんどいですからね。
――芸人という生き方も大きく変わっているようですが、リアルな芸人事情に肉薄した藤井さんのYouTubeの評判はどうですか?
藤井 芸人仲間からは基本的に「面白い」と言ってもらえています。「共感できる部分が多すぎて胸に刺さる」という声も聞きます。その人の人生を丸ごと語る、ドキュメンタリーのような内容ですからね。「昔、一緒にライブに出ていた芸人の回は気になって見てしまう」とも言われました。あとは、元・5番6番の2人に出てもらったときには、彼らと同じ事務所のウエストランドがメディアで言及してくれましたよね。
――特に印象に残っている回はありますか?
藤井 元・プラスチックゴーゴーの南郷伯爵こと南郷和幸さんが出演してくれた回ですね。南郷さんはナルコレプシー(突然眠ってしまう睡眠発作)を抱え、それが原因で37歳のときに階段から落ちて下半身不随になってしまい、昨年の10月31日に亡くなられました。そして、僕のチャンネルに出演してくれた動画が、彼の最後の出演作になったのです。このときは芸人仲間からたくさん連絡が届きました。
――なんともやりきれないです。最後にこのチャンネルをどういう方向に持っていくのかを教えてください。
藤井 今まさに芸人を辞めようかどうか迷っている人たちが、このチャンネルを見て、将来を考えるきっかけになればいいなとも思います。あと、芸人だけではなく、一般の方にも見てもらいたいです。何かを目指していたものの、それを諦めて次の道に進もうと考えている人にとって、励みや参考になる言葉がたくさんあると思います。
――長期的な目標はありますか?
藤井 いずれ、このインタビューをまとめた本を出したいと思っています。そうすれば、動画を見ない層にも届く気がしますよね。というわけで、このインタビューを読んでいる編集者の方! ぜひお声がけください(笑)。
(取材・写真=山崎尚哉)
藤井ペイジ(ふじい・ぺいじ)
1972年3月12日生まれ、大阪府出身。大阪NSCの第13期生。同期にはチュートリアルの徳井義実などがいる。1999年、ボケの岩見よしまさとお笑いコンビ・飛石連休を結成。『爆笑オンエアバトル』(NHK)ではゴールドバトラーに認定される。ピンではラジオパーソナリティとしても活躍。
藤井ペイジYouTube公式チャンネル『ぺいじチャンネル』はこちら