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渡辺裕太インタビュー「僕自身が父に感じていた温かさが、上手く役に反映できた映画『囁きの河』」

渡辺裕太インタビュー「僕自身が父に感じていた温かさが、上手く役に反映できた映画『囁きの河』」の画像1
渡辺裕太(撮影=荻原大志)

タレント・リポーターとして様々なテレビ番組で活躍する一方で、俳優としても舞台や映画を中心に精力的に活動している渡辺裕太。2020年7月に豪雨で壊滅的な被害を受けた熊本・人吉球磨(ひとよしくま)地域を舞台にした映画『囁きの河』で、22年ぶりに再会した父との関係で葛藤する息子を演じる彼に、本作の撮影エピソードや自身のキャリアを中心に話を聞いた。

<インフォメーション>

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『囁きの河』 ©Misty Film

『囁きの河』
2025年7月11日(金)より池袋シネマ・ロサ、シネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開

出演:中原丈雄 清水美砂 三浦浩一
渡辺裕太 篠崎彩奈 カジ 輝有子
寺田路恵 不破万作 宮崎美子

監督・脚本:大木一史
配給:渋谷プロダクション
©Misty Film

“熊本豪雨”から半年後のある日、母(寺田路恵)の訃報を聞いた今西孝之(中原丈雄)は、22年ぶりに故郷の町に足を踏み入れ、山が削られ、多くの家屋が流されて、川の地形まですっかり変わり果てた故郷の姿を目にする。孝之は、22年会うことのなかった息子の文則(渡辺裕太)と再会。文則は孝之の以前の職である球磨川下りの船頭になるための修業に励んでいるが、かつて幼い自分を見捨てた父に心を開こうとはしない。航空会社の社内に立ち上げられた地方活性化プロジェクトの一員として熊本に戻ってきた元同級生・中川樹里(篠崎彩奈)との関係性を、父の過去と重ねる文則。孝之のかつての恋人である老舗旅館「人吉三日月荘」の女将の雪子(清水美砂)は、半壊した旅館をなんとか再生しようと試みるが、孝之の幼馴染でもある夫の宏一(三浦浩一)は、目の前で父が土砂に呑み込まれるのを見てから、雪子と口を利けていない。孝之の隣人・横谷直彦(不破万作)は、妻・さとみ(宮崎美子)のリクエストで、仮設住宅を出ることにするが……。

公式サイト:https://sasayakinokawa-movie.com/

<プロフィール>
渡辺裕太(わたなべ・ゆうた)1989年3月28日生まれ。東京都出身。タレント・リポーターとして日本テレビ「news every.」、「所さんの目がテン!!」、NHK「やさいの時間」などのテレビ番組で活躍する一方、俳優としても舞台や映画に出演するなど、幅広く活動している。主な出演作として、舞台「父との夏」(24)、「R老人の週末の御予定」(25)、映画『アクトレス・モンタージュ』(21)、『メグライオン』(20)、配信ドラマ「エンジェルシンク333 シーズン2」など。近年は落語にも挑戦し、様々な寄席にも出演。野菜ソムリエの資格を持つ、無類のパスタ好き。

公式プロフィール:https://onlyyou.jp/talent/watanabeyuta/
Instagram:https://www.instagram.com/yutawatanabe0328/

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渡辺裕太(撮影=荻原大志)

被災地の皆さんの思いを理解してから撮影に臨まないといけないと思った

──映画『囁きの河』を撮った大木一史監督は、渡辺さんのお父様・渡辺徹さんと面識があったそうですね。

渡辺 過去にお仕事をご一緒されたことがあったそうで、今回の映画で初めて顔合わせをしたときに父とのエピソードをお聞きしました。お仕事をしたのは一回だけなのですが、街中でばったりお会いしたときに、父のほうから大木監督に「こんにちは」と声をかけたそうなんです。それが「すごくうれしかった」と仰っていました。

──『囁きの河』の脚本を初めて読まれたときはどのようなお気持ちでしたか?

渡辺 2020年7月の熊本豪雨で、地元の方々は生活が脅かされ、多数の犠牲者もいらっしゃった。僕自身は舞台となった人吉球磨地域に行ったことがなかったですし、水害を経験したこともありません。深刻な出来事を題材にしているので、ただ台本を読んで演じるのではなく、ちゃんとその場所のことを知って、皆さんの思いを理解してから撮影に臨まないといけないと強く思いました。

──初めて人吉市に行ったときは、どんな印象を抱きましたか。

渡辺 まだ水害の被害が残っている地域も拝見しましたが、全く手付かずだったり、空き地になってしまったりしている場所もありました。また嵩上げ(かさあげ)をしている住宅が多くて、1階は吹き抜けの駐車場にして、2階を住居やお店にするという建て方をされているんです。再び水害があったときの対応策として1階は住居にしないという選択をされていて、そういう景色を見ると、いろいろ考えさせられました。映画のテーマもそうですが、この地で生き続けるという選択をするのであれば、どう生きるのかという問題意識が家の建て方にも表れているなと感じました。

──リポーターとして災害現場に行ったことはありますか?

渡辺 東日本大震災のときに行かせていただいた経験はありますが、ここまで被災地で暮らしている方々の生活や人間性に触れさせていただいたのは初めてでした。僕が演じた文則は、球磨川下りの船頭になるための修業に励む男です。実際にモデルになった方がいて、その船頭さんと長い時間を過ごして、川下りの稽古をしていただいたんです。そうするとリポーターとして被災地に行って、現地の方のお話を聞いて、その印象をテレビで語るというのとは感じ方も違うんですよね。当たり前ですが、被災地でも楽しいことがあれば笑いますし、日々の暮らしで喜びを感じることもたくさんあって。そういうことに寄り添って、被災地に携わるのは貴重な経験でした。

──川下りを経験したのも初めてですか?

渡辺 初めてでした。何メートルもある長い船を、ちょっとした突起に重たい木の櫂を乗せて、それを転がすだけなんですが、シンプルな動きだからこそ難しくて。ヤジロベエのような状態で水をかかなきゃいけないんですよね。油断すると、すぐに櫂が落ちちゃうんですが、そうすると推進力がなくなってしまう。櫂は傾け過ぎても落ちるし、川の流れに押されて落ちることもあるんです。

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『囁きの河』 ©Misty Film

──稽古期間はどのくらいでしたか。

渡辺 数日に分けての稽古だったんですが合計2週間ぐらいです。文則の父・孝之を演じた中原丈雄さん、モデルになった船頭さんと3人で丸一日、船に乗り続けるという時間を過ごしました。ちょうどレギュラー出演していた『news every.』の生中継の仕事が終わったタイミングだったので、人吉市に滞在して、一つのことに集中することができました。稽古を通して「生きる」ということを本気で考えることができましたし、東京から人吉市に戻ってくるたびに「帰ってきた」という安心感もあって。肉体的な辛さはありましたし、肩を脱臼しかけたこともありましたが、稽古自体は嫌じゃなかったんですよね。文則を演じる上でも大切な時間でした。

──文則は父との関係に葛藤を抱えていますが、役作りの上で意識したことはありますか。

渡辺 まず父親に対してどうこうというよりは、この町で生まれ育ち、他の選択肢もあるけれど、この環境で生きていくことを文則は選んだ。災害で多くのものを失い、同級生が地元を離れていく中で、地元に居続ける。その理由を深く考えることが、とても大事だと思いました。きっと文則は球磨川に魅了されているんですよね。恨んでも恨みきれないほど球磨川を憎んでいるはずなのに、それを上回るほどの思いがある。そういうものを感じるところから役作りが始まりました。

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渡辺裕太(撮影=荻原大志)

都会に行けば、便利は便利だけど、心の豊かさは地元にある

──渡辺さん自身、お父様との関係に葛藤した経験はありましたか?

渡辺 文則は最初、22年ぶりに再会した父に対して、軋轢、反発、怒り、悔しさなどがあったけど、一緒の時間を過ごすことで父の背中の大きさやぬくもり、憧れのようなものも感じていきます。正直、僕自身と父との関係で、「これは似てるな」と感じることはありませんでしたが、撮影で中原さんと同じ船に乗って進んでいくシーンが増えていく中で、僕自身が父に感じていた温かさが、上手く役に反映できたのかなと思います。

──モデルになった船頭さんから感じ取ったことなどはありますか。

渡辺 船頭さんは人吉で生まれて、ずっと地元で仕事をしてきた方で、球磨川や川下りを愛するというよりも生活の一部、自分の体の一部のような感覚をお持ちだと思うんです。それが災害によってとんでもないことをされたという、裏切られたような気持ちもあったはずです。だからこそ日々の営みの中で、次はどう災害に向き合っていくのか、どうしたらまた観光客を呼び戻して、観光地として復活させられるのかという発想になっていらっしゃるんですよね。この映画への協力も、そういう思いがあったからこそだと思います。

──復興への思いを強く感じたんですね。

渡辺 都会に出たほうが何かと便利だし、家族から「こっちに来なよ」と言われている方もいるでしょうが、でも自分はここにいるという決断をする。都会に行けば、便利は便利だけど、心の豊かさは地元にあるんです。そういう気持ちは東日本大震災で東北に伺ったときもお聞きしたので、船頭さんの思いも理解できました。もちろん東京に住んでいる自分には、分かり切れない部分もありますけどね。

──大木監督の演出方法はどのようなものでしたか。

渡辺 演技についての細かい指示はないんですが、「今、彼はどういう状況でここに来たのか」というバックボーンを詳しく話してくれるんです。そして「“怒り”だからといって、分かりやすく怒ろうとしないで」という演出から、大木監督の思いが伝わってきました。

──撮影で一番苦労したことは何でしたか?

渡辺 天候に左右されることです。映画自体が線状降水帯での物語ですが、本当に豪雨の予報もあって。2024年の2月、6月と時期を分けて撮影したんですが、特に6月の撮影は大変でした。梅雨の真っ只中でしたからね。台本では晴れのシーンでも、大雨が降っているから、ここは大雨のシーンに変更しましょうと柔軟に変更することもありました。人吉は霧が綺麗で幻想的なので、それを待って撮影するシーンもあったのですが、霧の出るタイミングは天気予報を見ても分かりません。地元の人たちから、「この天気予報で、この気温、この時間だったら、霧が出ると思います」とピンポイントの時間帯を教えてもらって、当初のスケジュールを動かして早朝に撮影しました。地元の方の知識には大変助けられましたね。天気に応じて全員のスケジュールを合わせるのは大変でしたが、それによってチームワークも向上しました。

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『囁きの河』 ©Misty Film

──撮影中は、ずっと現地に滞在されたそうですね。

渡辺 映画のモデル・ロケ地にもなり、実際に復興した「人吉旅館」に滞在させてもらいました。そこで寝て、ご飯を食べて、撮影もする。そうすることで人吉の風景、食べ物、人々の思いなどを感じながら演じることができたんです。非常に助けられたのは、人吉出身の中原さんが、どこに行っても顔見知りがいて、地元の方々に愛されているんですよね。毎日、食事のときは一つのお店に偏らないように違う場所に連れて行ってくださって。そうやって中原さんが義理堅く、人付き合いを大切にされているから、僕たちも地元の方に応援していただけたんです。

──完成した映画を見た印象はいかがでしたか。

渡辺 クランクインの前に大木監督から、「お芝居をしようと思わないでほしい」と言われたんです。過剰に演じようとしなかったことで、それが文則の生き様になっているなと。それは他の登場人物もそうで、生きている人をそのまま見せているなと感じました。それは映像にも表れていて、球磨川だったら、余計なことをせずに、素材そのままを見せる。それによって純度の高い人吉球磨の映画になっているんですよね。

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渡辺裕太(撮影=荻原大志)

舞台はエネルギーをダイレクトに伝えることで、ダイレクトにエネルギーが返ってくる

──ここからはキャリアについてお伺いします。この世界に入ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

渡辺 高校生のときに選択で演劇の授業があったんです。そこで友達と一緒に出し物を考えて、お客さんに観てもらうというプロセスを経験したときに、舞台上に立って、暗闇の中でライトを浴びてお芝居を披露するのが楽しかったんですよね。自分たちが作ったものでお客さんが笑ってくれるのも気持ちが良くて。明確に「この世界でやっていくんだ!」と決めた訳ではなかったのですが、その経験があったからこそ、大学生になって養成所に行ってみようというきっかけになりました。

──それまで芸能界に憧れはなかったんですか?

渡辺 中学生までは、両親がテレビに出たり、舞台でお芝居をしたりする姿を見て、とてもじゃないけど僕にはできない、ただただ「すごいな」という気持ちでした。

──大学2年生のときに明治座アカデミーの12期生となりますが、なぜここを選んだのでしょうか。

渡辺 新聞の広告を見て応募したんですが、明治座は父が舞台をやっていたし、歴史のある大きなところで信頼できるなという気持ちがありました。お芝居だけではなく、日本舞踊も習いましたし、立ち居振る舞いや所作も学びました。

──明治座アカデミーに通って良かったことは?

渡辺 僕と同世代だけではなく、シニアの方まで受け入れる養成所だったので、様々な人たちと出会うことができました。後々、そこで出会った同年代の仲間と「劇団マチダックス」という劇団を立ち上げることになりましたし、実は今のマネージャーも養成所の同期だったんです。

──そうだったんですか!

渡辺 「お前がタレントをやって、俺にマネージャーをやらせてくれ」と言ってくれたんです。

──今も劇団に所属しているのでしょうか。

渡辺 劇団マチダックスは町田市を拠点に活動していたのですが、コロナ禍を機に2021年に解散しました。ただ大学時代に「ポップンマッシュルームチキン野郎」という劇団に所属して、劇団マチダックスと並行して活動していたのですが、そこは今も続けています。

──ご両親は俳優業に賛成だったのですか?

渡辺 そもそも養成所に申し込んだとき、何の相談もしなかったですし、反対されることもありませんでした。父からは「俳優をやるからには先輩後輩だから、お前を後輩として見るぞ」とかっこつけたことは言われましたけどね(笑)。

──タレント活動を始めるにあたって、二世タレントとして見られることへの複雑な思いはなかったのでしょうか。

渡辺 20代前半はめちゃくちゃ嫌でした。でも今思うと、二世タレントとして見られることは一つの取っかかりなだけで、その肩書きだけではやっていけないんですよね。

──ただ親子共演は、あまりなかったですよね。

渡辺 両親が夫婦でお仕事をしない主義だったんです。僕自身も両親のエピソードは楽しく話していましたが、ずっと共演は避けていました。両親は僕が共演したかったら別にいいよぐらいのスタンスではあったんですが、そういうオファーがあったときも全部お断りしていました。ただ2021年に父のデビュー40周年記念イベント「徹まつり」で、朗読劇「家庭内文通」を親子3人でやったんです。僕も三十代になっていましたし、それをきっかけに考え方も変わりました。

──昨年からは舞台にも精力的に出演していますね。

渡辺 2014年から『news every.』のレギュラーをやらせてもらって、ありがたいことに忙しい日々を送らせていただいていたんですが、スケジュール的に思うように舞台に出演できなかったんですよね。それで2023年に『news every.』のレギュラーが終わったタイミングで、『囁きの河』の撮影に入り、昨年は地方公演も含めてたくさんの舞台をやらせていただきました。だから僕としては昨年が俳優としての第二のスタートだと思っています。

──舞台ならではのやりがいや魅力は何でしょうか?

渡辺 エネルギーをダイレクトに伝えることで、ダイレクトにエネルギーが返ってくる。それは他のお仕事ではなかなか味わえないことです。緊張感や役者同志がぶつかったときのパワー、そこからの爆発力が舞台の魅力で、たまらなく好きですね。

──最後に改めて『囁きの河』の見どころをお聞かせください。

渡辺 映像が綺麗で、人吉球磨という場所をありのままに映し出しているので、まずは人吉球磨の魅力を感じていただきたいです。ドラマで言うと、人間はどこで生まれるかを選べません。それぞれが与えられた環境で、自分自身で何かを選択していく。それぞれがどんな選択をするのか、どんな葛藤があるのか。その地に生まれた人じゃないと分からない部分もあると思いますが、自分の立場に置き換えて、「この環境をこう捉えていけばいいんだ」と考えるきっかけになって、それぞれの勇気に繋がるような作品になればうれしいです。

(取材・文=猪口貴裕)

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猪口貴裕

出版社勤務を経て、フリーの編集・ライターに。雑誌・WEB媒体で、映画・ドラマ・音楽・声優・お笑いなどのインタビュー記事を中心に執筆。芸能・エンタメ系のサイトやアイドル誌の編集にも携わる。

最終更新:2025/07/11 09:20