中居正広問題とフジテレビの腐敗構造、各週刊誌はどう報じたか?
《日本生命と言えば、筒井義信会長が昨年末、次期経団連会長に内定したばかり。財界への影響力も高まっている。同社に問うと、
「今後の第三者委員会による調査等により、フジテレビのガバナンス上の問題が解消されるとともに、人権の観点での懸念が払拭されるような状態になれば、CM出稿の再開を検討するものと考えています。そうでない限りにおいては、第三者委員会の報告書の内容如何に関わらず、引き続き、CM出稿は見送る方針です」》
フジテレビには厳しい対応をとる企業が多いようである。
お次は、テレビでは好感度抜群だった中居正広だが、こと女性関係に関しては“ノーズロ”だったと報じている新潮の記事。
文春は、中居が引退を発表した時の、元SMAPの3人の反応を報じている。
新潮によれば、中居正広という男、ギャンブルにも女にも目がなかったようである。
《中居は一時期、東京・六本木の高級雀荘に身内と入り浸っていた。
「場所代は基本的に1回約3万円。個室もあったけど、中居はフロアで麻雀を打っていました。いつも父親が一緒で、ほかにはテレビ局の人間もいたかな。当たり前ですが、その雀荘で賭けてない人間は一人もいません」(芸能関係者)》
中居は1997年に25歳の若さで、NHK紅白歌合戦の白組司会に抜擢され、それ以降、紅白では6度、司会を担当している。
女性関係でも芸能界のトップに君臨するという。
《まずは、テレビ朝日の下平さやかアナ(51)だ。1999年9月、週刊誌が二人の熱愛をスクープした。
芸能デスクが振り返る。
「当時、中居が暮らしていた東京・渋谷のマンションに、下平が合鍵で出入りしているという話でした。彼はテレ朝の『ミュージックステーション』の出演を通じて、司会の彼女と親しくなったと言われています。(中略)
次なるお相手は青森県出身のフリーター女性。2003年5月、写真誌が同棲中の彼らを捕捉した。
「中居は張り込んでいた記者を“逆直撃”して、“なんだよ、せっかく引っ越してバレねぇと思ってたのに”と自ら交際を認めています。05年5月には中居家のハワイ旅行にこの女性が同行した場面も目撃されています
(前出・芸能デスク)
もやは、家族同様の扱いだったが、この交際も実ることはなかった。さらに、
「当時フジテレビの中野美奈子(45)とのプリクラキス写真が流出。06年2月には山形のそば店でのグループ会食が目撃され、10月には宮古島での“お忍びバカンス”を女性誌が報じました。一時は婚約情報まで流れたものの、中野アナの両親が否定して立ち切れとなりました」(同)
だが、交際相手の中で最も結婚を熱望したのは、歌手の倖田來未(42)だという。
「07年8月、スポーツ紙が熱愛を報道。08年には立て続けに湯河原や箱根でのお忍び温泉旅行もキャッチされています。また、09年2月に倖田が“電撃婚? 願ったり叶ったりです”と会見で想いを吐露したことも、。しかし結局11年2月、二人は半同棲生活を解消。倖田は別の男性との結婚を選びました」(同)
15年5月には彼女としては3人目のアナウンサーである、フジテレビ・竹内友佳アナ(36)との交際が明るみに。17年3月には、SMAPの振り付けを担当した女性振付師との半同棲生活も報じられたが、いずれも破局したと言われている。》
これだけ多くの女性と付き合いながら、なぜ結婚しなかったのだろうか。芸能関係者がこういう。
「中居はたとえば香取などと違って、基本的に表層的なひと付き合いしかしません。本当に心を許したのは、15年に79歳で他界した父親のほか数えるほど。特に女性に対しては、完全に心を開いたことはなかったのでは。これが結婚できなかった原因ですよ」
ジャニー喜多川の“悪夢”が中居を女性不信に陥らせてしまったのだろうか。
だが、芸能界を引退しても生活に困ることはないようだ。さる芸能関係者はこう語っている。
「中居の出演番組のギャラは、ピーク時には1本200万円に達していたと言われています。1年50周で計算した場合、1番組で年間1億円の収入。5番組で5億円です。しかも、これにCMのギャラや特番の臨時収入、SMAPの歌唱印税も入るわけです。年収で10億円に達した年もあったのでしょう。税金分を引いても純資産は20億円を下回らないと言われています」
だがまだ52歳。華やかな芸能界しか知らない男が、これからの人生をどう生きていくのか? 島田紳助のように引退後はゴルフなど遊び三昧という生き方ができるのか。まだまだ中居は注目を集めそうだ。
元SMAPの草彅剛は約1年前、中居との関係を問う文春の取材に対して、
「ねぇ。まぁ、どうなんでしょうかね。どうなのかね。それはね……」
と慎重に答えていたという。
今回のことを受けて、稲垣、草彅、香取は、
「突然のことでまだ心の整理がついておらず、言葉が見つかりません」
とコメントを発表した。3人が中居と今付き合っていても、中居の心の内にあるどす黒い傷には気付かなかったであろう。
ポストは、中居との性的トラブルを抱えてしまったX子がフジテレビの会見を見てどう感じたのかを報じている。
「おかしなところや納得のいかない説明は山ほどありました。会見で港さんや遠藤さんが口を滑らせたことがきっかけで、被害の内容を特定するような動きがますます盛んになり、この期に及んでもなお人権侵害されている気分です」
そう話している。
フジテレビの人権軽視の風潮は、港社長や編成幹部のAが更迭されてもなお残るのではないか。それに我慢できず、X子が沈黙を破ってあの日の真相を語りだす日が来るかもしれない。私はそんな気がしているのだが。
中居にX子を紹介し、今回の事件の遠因になった編成幹部のAは、自身も不倫トラブルを抱えていたとFRIDAYが報じている。
不倫の真相とは? Aが語った中居事件の真相とは?
FRIDAYDigital(01月30日)から引用してみたい。
《中居が芸能界を引退し、フジテレビの経営陣が次々と辞任を発表するなか、最大のキーマンとなっているA氏。そんな彼について、驚きの情報が飛び込んできた。なんと、A氏は現在、中居と同じように女性との間に“トラブル”を抱えているという。その内容とは、テレビ業界関係者の女性と不倫関係になり、さらに両者の間に重大な問題が発生し、法的なトラブルに発展しているというのだ。さらに驚くことに、その代理人を務めているのは中居と同じ犬塚浩弁護士だという。
A氏が抱える“不倫トラブル”とはなんなのか──。被害に遭ったのは、テレビ業界で働いていた佐藤美穂さん(仮名・30代)だ。美穂さんの知人が語る。
「苦しんでいる美穂を見ていると悔しくて。Aさんに人生の歯車を狂わされたのはX子さんだけじゃないということを伝えたいんです。
美穂は根っからのテレビっ子で、大学卒業後は裏方としてテレビの世界に飛び込みました。そこで出会ったのがAさんでした。もともと、彼の手がけたバラエティが好きだったこともあり、美穂にとっては憧れの存在だったようです。
4年ほど前のある日、向こうから『よかったら会いませんか?』とLINEが来たといいます。しかも、Aさんはいきなり『ラクだから宅飲みがいい』と、美穂の自宅マンションに上がり込んできた。そして、肉体関係を迫ってきたそうです」》
なんとかその場は断った。Aは既婚者で子供もいる。
美穂はわざわざ引っ越しまでしたというのだが、仕事場で顔を合わせることもある。そしてAに押し切られるように不倫関係に陥ってしまったというのである。
彼女の家に泊まって、そのまま出勤することもあったという。
美穂もAにのめり込んでいった。FRIDAYはそんな2人のやり取りのLINEも入手している。
しかし、彼女の知人がいうには、Aは態度をエスカレートしていったというのだ。
「’21年冬ごろ、Aさんから『今度、3Pしない? 楽しいよ』と誘われたそうです。後日、松本さんの性加害疑惑が明るみに出たとき、好みの女性のタイプとして『某コーヒーチェーンで働いていそうな雰囲気』と指示していたと報じられましたが、それを見た美穂はゾッとした様子でした。美穂はまさにそのチェーン店でのアルバイト経験があった。『もしかして、あの時の提案を受けていたら、私も松本さんに紹介されていたのかな』と怖がっていました」
それでもAとの関係を断ち切れないでいたが、そんな中“決定的な出来事”が起き、それを契機に美穂は関係を清算する決意を固めたというのだ。
トラブルの内容はわからないが、強い精神的なショックを受け、会社も辞め、好きだったテレビ業界からも距離を置いた。
「現在、美穂はトラブルの賠償を求めて、弁護士を立てて話し合っています。驚いたことに、Aさんの代理人は中居さんと同じ犬塚浩弁護士だそうです」(美穂の知人)
彼女がAとのトラブルを抱えたのも、中居がX子とトラブルを抱えた時期と同じ2023年の6月頃だというのだ。
同時期に同じようなトラブルを抱えた二人が同じ弁護士に依頼している。中居とAの親しさが窺えるではないか。
1月下旬、FRIDAYはAを直撃。記者の呼びかけに一切答えず、前を向いて歩き続けたという。
しかし、質問を続けると、根負けしたように「忙しいの手短に」といいつつ、取材に応じたというのである。
美穂との不倫トラブルについては一切答えなかったが、中居のトラブルにあなたも関与していたのかと聞くと、
「中居さんがX子さんと二人で会ったことも知らない。会自体の存在も知らない。誘われてもいないし、キャンセルもしていない。間違った報道がされて悔しいです」
中居の飲み会に何度X子を誘ったのか?
「マックスで3回です。絶対に」
他局の女子アナを中居さんの飲み会に呼んだという報道があったが?
「それは第三者委員会に関わるのでお答えできません」
忘年会を除いて、女子アナとタレントと一緒に飲む場はあったか?
「まったくないとは言いませんが、頻繁にはなかった。“上納”なんてありません。アナウンサーも含めてみんな大切な仲間で、接待要員に使うことはありません」
第三者委員会の調査にはどのように対応するのか?
「中居さんと公私をともにしてきたからといって庇いたいということは一切ありません。僕は正直に、協力するだけです」
初めて聞くAの肉声だが、Aの抱える闇はまだまだ深そうである。
最後は、フジテレビの諸悪の根源とまでいわれている日枝久取締役相談役だが、その権勢をどのように得たのか、その権力構造を壊すことができるのかを、文春と新潮の記事から読み解きたい。
まずは新潮から。
現在は関西テレビの社長の大多亮(66)が、記者会見で港フジテレビ社長との違いを明らかにし、中居に対する気持ちを聞かれ、「怒り? そうとってもらって結構です」と答えて男をあげたが、フジの元役員はこう語る。
「大多さんが昔、自分が手かけたドラマ『東京ラブストーリー』の主演女優である鈴木保奈美と不倫関係にあったことは知る人ぞ知る話です。芸能人との距離が近すぎるという点では、大多さんこそ“ザ・フジテレビ”という人。そんな人が会見で何を言っても説得力はありません」
新潮はご丁寧に、1990年6月に「フォーカス」が撮った大多と鈴木とのツーショットをモノクログラビアに載せている。
関テレに飛ばされた大多に、フジ本社に戻ることはないのかというとそうではないようだ。フジの元重役がこう話す。
「日枝さんは活躍している人でも、1、2年子会社などに出して様子を見る、ということをしばしばやります。そこで腐ればおしまいだけど、頑張っていれば戻ってこられることもある。共同テレビの社長として外に出されたけど、復帰した港さんもそうですしね。大多さんもカンテレの社長として外に出されたとはいえ、フジでは専務まで任されたわけだし、大出世ですよ」
日枝が編成局長時代につくったキャッチフレーズが「楽しくなければテレビじゃない」だったが、これが社のイメージを形作っていった。
フジ元社員もこういう。
「あのキャッチフレーズは『自分たちが楽しくなければテレビじゃない』ということ。だからワイワイガヤガヤ盛り上がっている時に“セクハラですよ”とか言う社員はすぐ飛ばされるし、生き残れない。楽しくなければテレビじゃない、というノリが、倫理的に問題のある行動でも、ノーと言えない体制を生み出して組織が腐っていったのです」
フジの女子アナがタレント同然の活動を始めたのは80年代だった。
「同じ頃から女子アナが接待要員とみなされるようにもなりました」(フジ・メディアHD傘下の元役員)
日枝の権力が絶対的なものになるのは92年以降。
「フジサンケイグループではこの年、ある『政変』が起こっている。鹿内春雄の急死(享年41)にともなって後継者となったのは、鹿内信隆氏の娘婿で養子の宏明氏だった。その宏明氏の会長解任を求める動議が産経新聞社の取締役会で成立し、可決。これを受けて宏明氏はフジサンケイグループ会議議長やフジテレビ代表取締役会長等の職も辞任することになったが、この『クーデター』を指導したのが日枝氏、その人だった」(新潮)
「日枝さんに誰も文句が言えなくなったのは、彼がクーデターのような形で権力を奪取したことも関係していると思います。役員としては、もし日枝さんのやり方に反発したらクーデターの時のように知らないうちに根回しがされて、気づくと日枝さんを批判するのは自分だけ、という状態になるかもしれない不安感があるわけです」(フジの元重役)
2001年、日枝は会長に就任。その4年後に起こったライブドアによるニッポン放送株買い占め騒動では、矢面に立ってマスコミの取材に応じ、難局を切り抜けたのだ。これにより、ますます日枝に逆らう者はいなくなった。
フジの元役員はこういう。
「いずれ自分の脅威になるような優秀な人を偉くせずに外に出してしまうのも日枝さんのやり方。遡ると、『ひょうきん族』や『笑っていいとも』を手掛けた横澤彪さんは社長どころか、役員にもなれなかった」
新潮はこう結ぶ。「日枝氏が今、噛みしめるべきは、『権力は腐敗する』という言葉ではなかろうか」
お次は文春。
日枝が院政を敷く背景にはを、長年掌握する社内の人事権があるとみる。
「俺が顔を知らない奴は局長以上にしない」
そう公言してはばからないという。
フジテレビ元幹部は間近で見てきた光景の一端を明かしている。
「役員人事の際、日枝氏が社長室に新役員を呼び出し、直々に任命するのがしきたりになっている。社内では『まるで天皇陛下による任命式のようだ』と揶揄されてきました」
フジ幹部がこう話す。
「今の役員は日枝氏に任命された子飼いばかり。意見できる人は誰一人いない。会見直前に行われた臨時取締役会でも日枝氏の会見出席について議題にすら上がらなかった」
会見翌日、芸能関係者のX子は、友人に思いの丈をこう明かしたという。
「私の話を一切聞くことなく、“加害者”の主張を鵜呑みにしてきたのに、今になって、彼のレギュラー番組を継続したのは被害者のプライバシーや心を守るためと説明されても、到底、納得できない」
当時、多数の女性が動員されるのが年一回の温泉旅行での接待だったという。編成幹部がこういっている。
「大物司会者のお気に入りの女性アナが動員され、宴会の席ではコンパニオン扱いでした。彼女たちは酔った大物司会者と着衣のまま合体するという卑猥なダンスを強いられるのです。会の主催者であるA氏は止めもせず、『次はお前が行け』とばかりに場を盛り上げていました」
まだまだ、フジテレビの“醜聞”は出てきそうである。(文中敬称略)
(文=元木昌彦)