『バック・トゥ・ザ・フューチャー』唯一の欠陥、「ホワイトウォッシング」問題を考える
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タイムパラドックスを扱った大人気SFコメディといえば、ロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)です。マイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイドの掛け合いの面白さに、伏線が次々と回収されていくシナリオも見事です。劇場公開から40年を迎えたわけですが、ここまで時代をこえて愛され続けるコメディ映画も珍しいでしょう。
日本では、声優の三ツ矢雄二が主人公のマーティを吹き替えたテレビ朝日の『日曜洋画劇場』版、若手時代の織田裕二が吹き替えたフジテレビ版、俳優の宮川一朗太が吹き替えたBSジャパン版、「七色の声を持つ男」山寺宏一が20代のときに吹き替えたソフト版が存在します。さらに2月7日(金)放送の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)では、人気声優の宮野真守をマーティ役に起用した新吹替版『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がオンエアされます。
長年にわたって『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が日米で愛され続ける理由と、唯一の欠陥とされる問題点について触れたいと思います。
ドクは「マンハッタン計画」のメンバーだった
舞台となるのは1985年、米国カリフォルニア州にある架空の街「ヒルバレー」です。マーティ・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は、ギター演奏とスケボーが大好きな普通の高校生です。年上の親友である天才科学者のドク(クリストファー・ロイド)に頼まれ、実験の手伝いをしたことから珍騒動に巻き込まれてしまいます。
ドクが発明したのは、デロリアン型のタイムマシンでした。プルトニウムが燃料です。しかし、「原爆を作ってやる」とリビアの過激派を騙してくすねたプルトニウムだったため、実験中に襲撃に遭ってしまいます。ちなみにドクはかつて「マンハッタン計画」に参加して、オッペンハイマー博士と一緒に働いたことがあるという設定です。
過激派に襲われ、ドクは凶弾の餌食に。マーティは命からがらデロリアンに乗り込み、1955年へとタイムトリップします。この年はマーティの父親・ジョージ(クリスピン・グローヴァー)と母親・ロレイン(リー・トンプソン)が付き合い始めたという、マクフライ家にとってはメモリアルな年に当たります。ところが、ジョージとロレインの出会いの場に、マーティが現れたために、マクフライ家の歴史が大きく変わってしまいます。
30年前のロレインは好奇心旺盛な女子高生で、なんとマーティにラブラブ光線を発するのでした。実の母親にマーティが迫られるシーンは、何度観ても笑ってしまいます。
5年の歳月を費やして脚本を完成させた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですが、なかなか興味を示す映画会社がなかったことが知られています。脚本を送られたディズニー社は、ロレインがマーティに迫るシーンを「近親相姦を思わせる」という理由で、映画化を断っています。いかにもディズニー社らしい逸話です。
ノスタルジーのマトリョーシカ状態
1950年代の米国は、ユースカルチャーが花開いた時代でした。1945年に第二次世界大戦が終わり、欧州やアジアはボロボロ状態でしたが、米国は被害が少なく、かつてない黄金時代を誇ることになります。その後、1960年代になると米国はベトナム戦争へと突入し、輝きを失ってしまいます。
1980年代にはヒルバレーの中心街もスラム化が進み、ホームレスがたむろするようになっていきます。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た多くの米国人は、ピッカピカに輝いていた1950年代を思い出し、甘いノスタルジーに酔いしれたのです。
一方、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開された当時の日本はバブル景気に向かって、活気に溢れていた時代でした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌「パワー・オブ・ラヴ」を大ヒットさせたヒューイ・ルイスをはじめとする洋楽が次々とMTVで流れ、マーティが愛用していたNIKEシューズも大人気でした。1980年代の日本では、ハリウッドのブロックバスタームービーや洋楽が大流行していたのです。
米国人が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て1950年代を懐かしむように、日本人も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大ヒットした80年代カルチャーを思い出し、うっとりするわけです。奇しくも日米間で、ノスタルジーのマトリョーシカ状態が生じているのです。
差別はたいてい悪意のない人がする
娯楽作品として非常によくできている『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですが、一部では非難する声もあります。物語のクライマックス、ダンスパーティーのステージで、マーティはギター演奏を披露することになります。パーティーを盛り上げなくては、父と母の交際が始まらないからです。
ステージ上で調子に乗ったマーティは、ロックの開祖とされるチャック・ベリーが得意とした「ダックウォーク」から、ジミ・ヘンドリックスばりのギターの背中弾きまでやってみせます。いちばん盛り上がるクライマックスですが、このシーンが問題視されています。
チャック・ベリーが始めたとされるロックンロールを、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では白人であるマーティが始めたことになっています。チャック・ベリーと同様に、ロック史上最高のギタリストとされるジミ・ヘンドリックスもアフリカ系のミュージシャンです。そうしたアフリカ系ミュージシャンたちが築いてきたロックの歴史を、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は白人のものとして改ざんしているというわけです。
近年、ハリウッドでは「ホワイトウォッシング」問題が大きく取り沙汰されるようになってきました。ホワイトウォッシングとは、原作などではマイノリティーだったキャラクターを映画化の際に白人俳優が演じることです。2015年の米国アカデミー賞の主要賞にノミネートされたのがみんな白人だったことからも、米国映画界の人種問題に関する無関心さが広く知られるようになりました。その反動もあって、最近のハリウッドの映画会社は「多様性」をしきりに謳うようになっています。
批判の声に対して、ロバート・ゼメキス監督は「ただのジョークなのに」とこぼしています。ゼメキス監督にアフリカ系ミュージシャンたちを貶めようという意図があったとは思えませんが、『差別はたいてい悪意のない人がする』(大月書店)という本も出ているので、気をつけたいところです。「ユーモアの意味は社会的文脈によって変わる」と同著は語っています。
エンタメ作品として『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はとても完成度が高い作品です。今夜の『金ロー』を観ながら、大笑いする人は大勢いるはずです。でも、その笑いはマジョリティー側のものであり、笑えずにいるマイノリティー側の人たちがいることも覚えておいたほうがいいんじゃないでしょうか。
この記事を読んで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観ても純粋に笑うことができなくなってしまったという人がいたとしたら、それはおそらく歓迎すべきことなのだと思います。
(文=映画ゾンビ・バブ)