CYZO ONLINE > カルチャーの記事一覧 > お笑いコンビ・エル・カブキインタビュー

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶の画像1
(写真:西田周平)

 芸歴16年目以上の芸人が出場できるお笑いショーレース『THE SECOND〜漫才トーナメント2025』(フジテレビ)でベスト32に選出され、大会のトップバッターとして金属バットと対戦したものの、惜しくも敗退したエル・カブキ。

「誰がわかんだよ!」というツッコミで、政治からお笑いまで時事問題をイジっていくエル・カブキの漫才スタイルは、今後の日本のお笑い業界で受け入れられていくのか?

 THE SECONDから1週間経ったタイミングで、2人に話を聞いた。

『R-1グランプリ』全ネタ振り返り

『THE SECOND』初参戦でベスト32入り

――『THE SECOND』お疲れ様でした。拝見しましたが、エル・カブキさんのほうがウケてたと思います。

エル上田(以下、上田) ウケてたっしょー! どう考えても(笑)。それもっと言いふらしといてください。あれ、ヤラセでしょ!

――いや、そこまでは……。

上田 ただ、真面目な話、対戦相手の金属バットはうまかったです。あぁ見えて、ちゃんとお客さんを満足させて帰すのが上手なんですよ。

デロリアン林(以下、林) もう、次回は金属バットに背後から襲いかかるしかないですね。

上田 いや、今回正面から叩き潰されたんだよ!

 でも、俺らの方がウケてましたよね?

――面白かったです!

上田 気遣われてんじゃん!

――いえいえ……。対戦を終えて反響はどうでしたか?

上田 正直、今回ベスト32に入ったときが、人生で一番連絡が来ました。その日のうちに連絡いただいたのが、ダイノジの大谷(ノブ彦)さんと三浦マイルドさんです。

 すごい人脈! ライブも増えましたね。

上田 ギャラのいいライブが増えました(笑)。Xに「ノーギャラでいいのでライブ出してくれる方、連絡ください」と投稿したらギャラのいいライブが増えたので、今後もこの手を使っていこうと思います。

――幼なじみや同級生、養成所の同期でもないお二人が、芸人を目指したきっかけはなんだったんでしょうか?

上田 小学生の頃からTVで『鶴瓶上岡パペポTV』(日本テレビ系)という、笑福亭鶴瓶さんと上岡龍太郎さんが打ち合わせなしでフリートークする番組、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)のフリートークが大好きだったんです。

――関西芸人同士のフリートークは魅力があります。ただ、上田さんは神奈川県出身ですよね?

上田 神奈川県出身なのですが、中学生の頃に爆笑問題さんの漫才を見て、「標準語のしゃべりでもこんなに面白いんだ!」と身体に電流が流れるような感覚がありました。そこから、「芸人になりたい」と漠然と思うようになり、小・中・高の同級生と吉本興業の養成所(NSC)に入りました。

「爆笑問題が好き」という共通点

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶の画像2
エル上田(写真:西田周平)

――今はフリーで活動されていますが、最初は吉本に所属していたんですね。

上田 養成所を卒業する時のオーディションで、何百組も受ける中、4組しか出られないルミネtheよしもとのメンバーに選ばれたんです。あの時から勘違いが始まりましたね。その後、すぐ叩きのめされるんですけど(笑)。そのコンビは事務所も転々としながら、5年半活動して解散しました。

――そこから、新しい相方探しが始まったんですね。

上田 当時、芸人同士の相方募集掲示板みたいなのがはやっていて、一週間で8人くらいと会っていました。

――マヂカルラブリーの野田クリスタルさんが、ピン芸人時代に相方募集掲示板を利用していたとよく話していますが、みなさん使われていたんですね。

上田 喫茶店みたいなところで、お互いのネタ帳を見せ合っていたのですが、なかなか合う人がいなかったんです。

――相方のデロリアン林さんとはどこで出会ったんですか?

上田 当時のアルバイト仲間から「芸人の友達が、地元の北海道から上京して、相方を探しているんだけど一回会ってみない?」と言われたんです。それが林君でした。

――どんな印象でしたか?

上田 パッと見が良かったのと、会っていきなりグダグダよく分からないことをずっとしゃべっていたので、「しゃべれる人なのかな」と。あと、第一声が「爆笑問題さんが好き」だったので、これは一回やる価値あるかなと思いました。

――お笑いの趣味が共通したのですね。

上田 僕が養成所に通っていた時期は、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の第一回が開催された直後だったため、何百人もの生徒がいたんです。でも、意外なことに「爆笑問題さんが好き」という声は聞かなかった(笑)。こんな流れでエル・カブキは2009年6月に結成しました。

ダウンタウンやとんねるずが禁じられた家

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶の画像3
(写真:西田周平)

――そこから一度も解散せず、今に至るわけですね。運命的です! それでは、林さんが芸人を目指したきっかけはなんだったんですか?

 もともと、お笑いは大好きで爆笑問題さんや伊集院光さんのラジオが好きで「あっ、いいなぁ」と思っていました。あとは。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)も好きでしたね。でも、なぜか家が厳しくて、ダウンタウンさんやとんねるずさんの番組は見るのを禁止されていたんですよ。

――両親が教師であれば分かる気はしますが、林さんの実家はラーメン屋さんですよね?

 そうですね。子どもながらに「なんでなんだろう?」と思っていました。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)なんて、おっぱい普通に出てくるんですよ! それでも、見ても良かった。

――線引きが謎ですね。

 唯一、親に干渉されずに好きに楽しめたのが深夜のラジオだったんです。特に伊集院さんの『深夜の馬鹿力』を楽しみに生きていました。

――そこから、芸人になりたいと思い始めたのでしょうか?

 中学生のときには、もうなりたいと思っていましたね。高校生のときには友達と「将来、一緒に路上とかでお笑いやろうや!」と、話していました。ただ、実家がラーメン屋をやっていたので、高校を卒業したら、なんとなく親に気を遣って料理の専門学校に入りました(笑)。卒業して天ぷら屋の板前になったんですよ。そこで2年くらい働いていました。

――板前生活は大変だったんですか?

 ちょっと、いろいろ……。はい(笑)。最後は店舗を縮小するということで従業員を辞めさせないといけないというタイミングで、もともとお笑いをやりたかったので、自分から辞めました。

――その後、札幌よしもとに入るのでしょうか?

 札幌よしもとの月一回あるライブで、3回優勝すると所属できるんですよ。そこで1年半くらいかかって所属になりました。

――そのときの相方さんは?

 高校のときに「いつか一緒にお笑いやろうや!」と、話していた友達と再会して、札幌から函館に帰る車の中で「あのときの約束覚えてる?」と言われたのです。ちょうど、天ぷら屋が従業員を減らしているタイミングと同じでした。

――素敵ですね。

 ただその後、札幌よしもとで活動するんですが、解散してしまい、ひとりでお金を貯めて「とりあえず東京にでも行くか」という気分になったんです。

M-1の最高成績は3回戦

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶の画像4
デロリアン林(写真:西田周平)

――エル・カブキは『THE SECOND』で注目されましたが、『M-1グランプリ』にも長年出場されてきました。2024年がラストイヤーでしたが、M-1はやはり時事ネタだと通りにくかったのでしょうか?

上田 どうでしょうね? そういう噂も聞いたことはあったし、実際ウケてもなかなか通らないという経験もしました。今思うと、M-1ラストイヤーまでの数年間は、そういった「噂」を信じて、自分たちのスタイルを貫き通せなかった感じがします。

――うまく迎合するのが難しかったのでしょうか?

上田 どうせなら、最後まで大会の基準に合わせずに、自分たちの一番やりたいネタをやり続けていれば良かったですね。ある意味、「自分たちとの勝負に負けた」という感じかもしれません。

――エル・カブキの漫才でおなじみの「誰がわかんだよ!」は発明レベルのツッコミだと思います。このスタイルができたきっかけはありますか?

上田 僕がサンクスでアルバイトしていたときに、商品の名前を一個一個発表して、その商品をひたすら説明するだけの漫才をやったんですよ。そのとき、お客さんがザワザワしている感じがしたんです。

――ザワザワ?

上田 決して、ウケてはいない(笑)。だけど、お客さんの間でなにかしらの感情がうごめいている……。そこで、相方に「もう一回同じネタやらせて!」とお願いして、別のライブでまったく同じネタを披露したのですが、そこで、商品の説明終わりに「誰がわかんだよ!」と連呼したらこのコンビで初めて拍手笑いが起きたんです。

 「売れた!」と思いましたね。

上田 そこから16年やり続けています(笑)。「コンビニのサンクス」という題材が芸能人シリーズに変わり、「瀬戸内寂聴」や「神取忍」などの題材を経て、今は時事ネタで「誰がわかんだよ!」と言い続けています。

アルバイトと芸人の両立! 今後の展望

あの日、「誰がわかんだよ!」と叫んだ――エル・カブキが歩んだ16年と『THE SECOND』の記憶の画像5
(写真:西田周平)

――ちなみに今お二人はアルバイトをされているのですか?

上田 水道検針のバイトをしています。かなり融通が利くので、芸人の間で広まっています。錦鯉のまさのりさん(長谷川雅紀)に紹介していただきました。

――よく、エピソードトークで聞きますよね。

上田 もともとは僕らと同じくTHE SECONDベスト32に選ばれた、チャーミングの野田ちゃんさんが、みんなに紹介してくれたんです。朝から健康的に歩き続けるバイトなので、数々の芸人の命を救ってくれています(笑)。

――芸人活動と両立しやすいんですか?

上田 朝7時までに連絡すれば休めて、自分で代わりのシフトを探さなくていいので、急遽お笑いの仕事が入っても支障が出ないのがいいですね。

――林さんは?

 僕はカラオケ屋の店員です。もう15年やっていて、朝勤、昼勤、夜勤、どこでも入れますね。

――重鎮ですね。最後にお二人の今後の目標を教えてください。

上田 「闇営業」ですね。

――今日び、闇営業なんて言葉聞かないですよ……。

 プロレスの前説とかもやらせてもらってるんで。

上田 あんま闇営業のあとに具体的な仕事言っちゃダメなんだよ! お笑い以外にもプロレスや格闘技関係でいただいているお仕事もあるので、これからもいろいろなところに呼んでもらいたいですね。

2025年の賞レース決勝進出者を予想しよう

(構成=山崎尚哉)
(撮影=西田周平)

 

エル・カブキ
ボケのデロリアン林とツッコミのエル上田からなる、2009年結成の時事ネタ漫才コンビ。事務所には所属していない。芸能人のマニアックな情報や時事ネタを扱った林のボケに、上田が詳しい補足説明を加えてから「誰がわかんだよ!」とツッコむ漫才を得意とする。『THE SECOND~漫才トーナメント~2025』(フジテレビ系)ではベスト32に選出されたものの、開幕戦ノックアウトステージのトップバッターとして金属バットと対戦し、惜しくも敗れた。

エル・カブキ公式はこちら

山崎尚哉

1992年3月生まれ、神奈川県鎌倉市出身。レビュー、取材、インタビュー記事などを執筆するほか、南阿佐ヶ谷でTALKING BOXという配信スタジオを運営中。テクノユニット・人生逆噴射の作曲担当で別名DJ.YMZK。

X:@yamazaki_naoya

山崎尚哉
最終更新:2025/04/18 22:00