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グロすぎ騒然『サブスタンス』が「邦画では撮れない」ワケ 還暦デミ・ムーアがたるんだ尻以上に突きつけた現代社会の「ホラー」

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『サブスタンス』でゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門最優秀主演女優賞を受賞したデミ・ムーア(写真:Getty Imagesより)

 5月16日に公開された映画『サブスタンス』が衝撃的なグロテスク描写と、ルッキズムや男社会への批判というテーマをビビッドに表現した作風で、議論を巻き起こしている。

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「ボディホラー」とも称される本作は、長くスターの座に君臨したエリザベス(デミ・ムーア)が、“ババア”を理由に――明言はされないが、若い俳優と交代させるというのだから、意図は明白だ――番組から戦力外通告を受ける。焦るあまり禁断の再生医療に手を染めると、まやかしの自我と欲望が暴走し、“もう一人の自分”によって自分が壊されてゆくというストーリー。

 綿密に練られた物語展開と刺激的な演出のなかで圧巻の存在感を見せつけたのはアカデミー賞の主演女優賞にもノミネートされたデミ・ムーア(62)だ。

『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990)で大出世したムーア。『幸福の条件』(1993)では大富豪に100万ドルで買われる人妻役、『G.I.ジェーン』(1997)では軍人役で丸坊主になるなど、常にチャレンジングな役を買って出てきた。

 そんな彼女が本作で演じたのは「50歳を超えて芸能界から“用無し”とみなされた元スター」。実は、ムーア以前にオファーされた女優は何人かいたものの、みな辞退したという。リアルが突きつけられるような役柄に尻込みするのは当然といえば当然かもしれないが、ムーアは引き受けた。たるんだ裸体をさらし、自己嫌悪と嫉妬と絶望で醜く歪む感情を全身に投影することで、生きている人間の生々しさを演じ切ったムーアは、「IndieWire」のインタビューで「俳優としても人間としても成長した」と述べている。

「すべてをさらけ出す」女優デミ・ムーア、62歳の気概

 鬼気迫るといってもいいムーアの姿(あえて演技ではなく、“姿”と書く)には、“日本一ガチな映画批評”で定評のある前田有一氏も唸る。

「日の当たるところにいたいがため、究極の再生医療『サブスタンス』に手を出し、そのおぞましい魅力に飲まれる痛々しさ。自分をきれいに見せる美容や整形は誰もが行うものでしょうけど、それは何のため、誰のためにするのかという問いを突きつけます。

 作中の設定は50歳ですが、実際よりも衰えた体である方が“画”として鮮烈なため、ムーアは62歳で衰えた部分をさらけだしました。まず、その気概が素晴らしい」(前田氏、以下「」内同)

「私を暴走させたもの」女性監督の怒りが爆発した物語

 再生医療「サブスタンス」は、グリーンの活性剤を注射すると背中を突き破って若く美しい自分=上位互換体が出てくるところから、“2つの顔をもつ自分”がスタートする。決して現状の自分本体が美しくなるわけではないところが、ポイントだ。

「美容整形、画像加工など、自分を美しく見せる行為をしていても、公言する人は多くない。背中から美しい自分が出てくるという設定は、タブーである秘密の開示であり、ある種の皮肉でもあります」

 現代社会を揶揄するかのような表現の連続に、前田氏は、本作がハリウッドを牛耳る男社会への批判であることを指摘する。

「これは女性であるコラリー・ファルジャ監督の怒りを描いた物語なんですよね。監督が描きたかったテーマは『エリザベス=私を暴走させたのは何か?』。暴走させる原因は芸能界に根深いルッキズムや性差別、年齢差別という名の“暴力”だという訴えです」

自ら観客席に13万リットルもの血糊を…

 マーガレット・クアリー(30)演じるエリザベスの上位互換体・スーは、〈7日ごとに母体(50歳の身体)と入れ替わらなくてはならない〉というルールに従い、芸能界での「光」を手に入れる。しかし、光に当たっていられるのは「7日間」ごと。“美”に縛られるスーは母体に戻ることを拒否するようになり、徐々に“本体”を見失っていく……。

 作中で繰り返し唱えられる象徴的なフレーズは“You are ONE”。本体も、美しく取り繕った体も自分のはずなのに、“元”の自分を認められない──すなわちルッキズムに取り憑かれた人間と、そうさせた社会への痛烈な皮肉が込められている。

 くわえて、それだけ尽くしてもすぐに使い捨てられてしまう世の中の風潮や巨大なショービジネスの構造までも、本作は鮮明に描き出す。

「スーという承認欲求の化け物にエネルギーを食われて醜い怪物と化したエリザベスが、本来スーが起用された大晦日の生放送に出演するためにスタジオを訪ねるシーンがある。誰がどう見てもおかしいのに『よく来た』と招き入れられるわけですが、あれこそ最大の皮肉。結局“使う側”はショー・マスト・ゴー・オン。タレント自身の変化に気が付かない」

 そしていざ、怪物となったエリザベスがステージに上がると、その醜悪な見た目に観客は阿鼻叫喚。前田氏はその悲鳴こそ暴力そのものだという。

「さらにエリザベスはステージ上で男たちから刃物で切り付けられる。噴き出した血が客席を真っ赤に染めますが、あれはこれまで女性側が受けていた(ルッキズムや年齢差別などという)“暴力”への逆襲であり、捨て身の問題提起。監督自らホースで13万リットルもの血糊をぶちまけたそうです」

 最終的にエリザベスは顔だけになり、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにある、自身の名が刻まれた星型のプレートの上へ。そこでは、承認欲求を満たしたくて常に気を張っていた姿から一転、穏やかな微笑みを浮かべている。その笑みが意味するものは何か。

「一瞬微笑むも、その後あっさり高圧洗浄で流されてしまうところも意味深い。無常というか、彼女はなんとつまらないものにこだわっていたんだろう……と考えさせられます。エリザベスがここまでしても世間はすぐに忘れてしまうのだ、と。ただし星型のプレートは残る。彼女の残した女優としての実績は燦然と輝き続けるところが、この映画の“希望”です」

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 実在の人物がモデルになっていることも、本作のポイントだ。

「プロデューサーのハーヴェイ(演:デニス・クエイド)は、アメリカの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン(73)がモデルとされています。彼は長期にわたる性暴力・性的虐待とその隠蔽工作が発覚して2017年に逮捕されており、『MeToo運動』のキッカケにもなりました」

 自分たちのいる業界を批判する企画には、危うさがつきものだ。前田氏は「この手の映画は、日本ではまず生まれない」と語る。なぜ、日本では無理なのか。

「たとえばジャニー喜多川氏による性加害問題は何十年も経ち、BBCなどが報じてやっと白日の下に晒すことができるようになったように、基本的に忖度の国。業界批判映画を作ったら永久に干されるか、出禁になるか……そもそも誰も出資しないでしょう。一方ハリウッドでは、闇を批判する映画も作る。まして本作は堂々たるA級作品であり、主演もデミ・ムーアというスター。アメリカだからこそ生まれた作品と言えます」

 前田氏は、「承認欲求を暴走させているのは、あんたたちよ!というメッセージをぜひ読み解いて」と言う。悲鳴の裏側には、女性たちの切実な“怒り”がある。“大衆にちやほやされる”という承認欲求を満たすために必須なのは“美”だと思わせるリアル社会こそが、ホラーなのかもしれない。

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(取材・文=町田シブヤ)

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2025/06/16 12:00