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『この世界の片隅に』終戦80年上映、のん起用でスマッシュヒットの戦争映画は何が“新しかった”のか

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© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会
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 終戦80年となる今年8月、戦時下の広島・呉を舞台にしたアニメーション映画『この世界の片隅に』がリバイバル上映されることが決定した。

2ちゃんねる発“参加型コンテンツ”の功罪と今昔

 2016年11月12日に公開された本作は、戦時中のどこまでも普遍的な“日常”を描くことで武力闘争がもたらす悲惨さと命の尊さを浮かび上がらせ、戦争映画としての新地平を切り拓いた。大資本を味方にしたわけではなく、初週全国63館という小規模スタートだったが、公開直後から絶賛の声が相次ぎ、2週目には68館、3週目には82館と着実に上映館数が増加。最終的には累計484館、累計動員数は210万人を突破する異例の大ヒットとなった。

 パイロット・フィルム作成のためにフィルムクラウドファンディングを行い、目標金額2000万円をはるかに超える3921万1920円を集めたことや、主人公・すずの声に俳優・のん(31)を起用したことも当時話題となった。SNSでも〈この世界に永遠に残したい映画〉〈今までとは違った断面での戦争の怖さを感じた〉などと評判が評判を呼び、「#このせか(※『この世界の片隅に』の略称)はいいぞ」というハッシュタグも誕生。通常原爆にまつわる映画は夏に話題にされることが多いが、海外サイトでも評価されるなど、11月という肌寒い時期に熱い注目度を見せた。

 いったい、何がそこまで観客の心に“響いた”のか。日本一ガチな映画批評に定評のある映画評論家・前田有一氏が当時のムーブメントを振り返りながら、魅力を紐解く。

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© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

戦争の悲惨さではなく“日常を描く”という新基軸

 戦争を題材にした映画は世界中で作られ続け、その例は枚挙にいとまがない。日本のアニメーション映画に限っても、『火垂るの墓』(1988)や『はだしのゲン』(1983)など、いわゆる名作は語り継がれるべき内容として、教材としても扱われてきた。本作が新しかったのは、徹底して日常生活の描写“だけ”で戦争が脅かすものを感じ、考えさせる映画を作った点だ。

「片渕須直監督が描きたかったのは、戦争そのものではなく、何気ない日々がいかにかけがえのないものであるか、それを失うことがどれほど恐ろしいことかといった“日常生活の意義や価値”を問う物語。例えばご飯を炊くシーンひとつでも、戦争の時代が舞台になると、現代を舞台にした家族ドラマのそれとは輝きが違ってくる。そうした“輝き”を、丁寧に散りばめたのがこの作品だと思います」(前田有一氏、以下「」内同)

“輝き”は裏返しとなり、反戦のメッセージを強烈に訴えかける。主人公・すずさんが戦時下を懸命に生きる様は、幅広い人の共感と感動につながった。

「それまでの戦争映画は、戦争の悲惨さを強調するために何かを批判したり、人の死を美談として描いたり、何かしらのメッセージを頭に掲げ、何かと戦っている作品が多かった。けれどこの映画は、『淡々とした日常生活から入っている』ことがポイントです。さらに片渕監督が戦時中の市民生活の目線を貫いたことで、どんな人にも響く作品に仕上がっているんです」

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© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会

1秒1秒を丁寧に 徹底された“時代考証”

 片渕監督は映画制作にあたって文献資料や当時の地図を集めるだけでなく、何度も広島・呉を訪れ、時代背景をつぶさに調べ、思いを馳せたという。以前、制作会社MAPPAのスタジオで片渕監督にインタビューを行ったことがある前田氏は、「自腹で集めた資料が、天井まで壁一面の棚にぎっしり詰められていた」と振り返る。

「部屋の隅には焼夷弾の薬莢のようなものまであって、とにかく資料の量に圧倒されました。企画始動から公開まで約6年もの歳月をかけているんですよね。実際の歴史との齟齬がないように、1秒1秒を丁寧に作られたようです。

 例えば、戦争映画では女性がモンペを履いているシーンをよく見かけますが、具体的にいつから履いていたのかというと、なかなか答えられないでしょう? 実際は、“戦争が始まったからモンペが当たり前”ではなく、物資が不足してきた都合で履かざるを得なくなったというのが史実だそうです。いつ、何月何日から履き始めたかまで調べないと、本当の意味で“すずさんが生きてきた時代”を描くことはできないというわけです。ディテールのレベルが段違いです」

 本作には、節米食「楠公飯(なんこうめし)」や、「大根とカタバミの和え物」など戦時下の料理が登場する。片渕監督はそれらを自分でも食べてみることで、すずさんの手仕事や感性にも寄り添った。

「あの時代においては特に、食事とは生命に関わる大切な営み。戦争によって物資不足が深刻化し、イワシの干物4匹しか配給されなかった日にすずさんは知恵を振り絞り、野草を使ったおかゆを作りますが、片渕監督も実際に作って食べてみたそうです。どんな味だったのか聞くと『カタバミは結構美味しかった』と。そういった積み重ねが、圧倒的な没入感を生み出したのでしょう」

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監督と俳優、双方のファンが起こした「奇跡」の「軌跡」

 また、本作を語るうえで欠かせないのは、なんといっても多くのファンによる後援でじわじわと人気を獲得していったというヒストリーだ。クラウドファンディングに出資したサポーターの数は3374名にのぼり、1133日にもわたってロングラン上映された記録は2025年6月現在で日本最長連続上映日数をキープしている。社会現象にもなった本作の盛り上がりを、前田氏は「『負けないぞ!』というエネルギーが結集した結果」と分析する。

「片渕監督は漫画を原作に脚本を書き上げるなかで、おそらく結構早い時期に主役はのんさんだとイメージしていたのではないかと思います。当時、のんさんは独立騒動がきっかけで、メディアへの出演が激減していたこともあり、大きなチャンスをムダにさせないというファンの想いと、事務所退所により芸名変更を余儀なくされるなどの旧態依然とした芸能界への対抗心が爆発したことも大ヒットの要因だと思います」

 ファンの支援があったのは、のんだけではない。テレビアニメ『名犬ラッシー』(1996)の監督や『魔女の宅急便』(1989)で演出補佐を務めてきた片渕監督にもまた、熱心なファンがついていた。

「片渕監督は、宮崎駿や押井守のもとで長く実務面を担い、日本のアニメ界を代表する巨匠たちのクオリティを支えてきた縁の下の力持ちだったんです。なかでも、とことん足と手を動かして作る姿勢には定評がありました。

 業界人はもちろん、コアなアニメファンにも片渕監督の心構えは届いていて、そんな監督がつくりたいものを支えたい。なんとか報われてほしいというファンは多かったものなんです。そうした片渕監督のファンと、のんさんのファン――メインストリームに対するアンチテーゼがこの作品を育てたことはたしかだと思います。そして今も、本作に胸打たれたファンたちによる“100年先に残したい映画”という思いが、約10年越しのリバイバル上映を実現したのでしょう」

 すずさんが生きていたら、今年で100歳。平和な世界が続くことへの祈りとともに、この作品に込められたメッセージは時を超えて人々に届けられ続けるのだろう。

『かくかくしかじか』、「泣いた」

(構成・取材:吉河未布 文:町田シブヤ)

片渕須直が監督・脚本を手がけた
長編アニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年公開)

出演者:
のん
細谷佳正 稲葉菜月 尾身美詞 
小野大輔 潘めぐみ 岩井七世 牛山茂 新谷真弓/澁谷天外(特別出演)

原作:こうの史代『この世界の片隅に』(コアミックス刊)/企画:丸山正雄
監督補・画面構成:浦谷千恵 キャラクターデザイン・作画監督:松原秀典/美術監督:林孝輔/音楽:コトリンゴ
プロデューサー:真木太郎/監督・脚本:片渕須直
製作統括:GENCO/アニメーション制作:MAPPA/配給:東京テアトル/製作:「この世界の片隅に」製作委員会

© 2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会
2025年8月1日(金) より テアトル新宿・八丁座ほか全国にて期間限定上映
配給:東京テアトル

町田シブヤ

1994年9月26日生まれ。お笑い芸人のYouTubeチャンネルを回遊するのが日課。現在部屋に本棚がないため、本に埋もれて生活している。家系ラーメンの好みは味ふつう・カタメ・アブラ多め。東京都町田市に住んでいた。

X:@machida_US

最終更新:2025/07/05 18:00