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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義21

『豊臣兄弟!』前田利家の「直火で熱した巨大な釜に生きたまま…」実戦せずに敵の戦意を削る高コスパの“恐怖による支配”

『豊臣兄弟!』前田利家の「直火で熱した巨大な釜に生きたまま…」実戦せずに敵の戦意を削る高コスパの“恐怖による支配”の画像1
仲野太賀(写真:Getty Imagesより)

 前回(第21回)の『豊臣兄弟!』では、竹田城主・太田垣輝延役として、本作の主人公・秀長役の仲野太賀さんの実父・中野英雄さんが出演。ネットが盛り上がっていました。90年代の記憶ですが、中野さんって『愛という名のもとに』(フジテレビ系)のチョロ役など、人がよすぎるがゆえに生きづらさを抱えるキャラを得意としていた印象でしたが、今回の太田垣は徹頭徹尾、憎まれ役。

“天空の城”竹田城の攻略

 あまりの傲慢さに無血開城を目指していた“ホトケ”の秀長も激怒し、「家臣をなんじゃと思うとるんじゃー!」と思わずパンチ。太田垣が鼻血を出してしまったので、秀長が目指していた無血開城は、目前で達成ならずという「フハハ」と笑うしかないオチで終わりました。これに対し、筆者の周辺では「トンデモを通り越してイカした展開」との声も出ていましたね。

 史実――といえるほど、秀長による竹田城攻略作戦の詳細は残されてはいませんが、前回のコラムでもお話したとおり、水や食料といった物資の補給がしづらい高地の山城ゆえに、ヘタに籠城などしようものなら命取りだと判断した太田垣が早晩に逃亡して落城……というあっけなさでした。しかしそれだと映像にしても面白くならないので、ドラマのような話が用意されたのでしょう。

 ただ、計略にまんまとひっかかって水場に降りてきていた竹田城の兵たちに「存分に水を飲みなされ」という配慮を見せた秀長のやり口に対し(ていうか、あの水場の水は飲んでも大丈夫なのか……という濁り方でしたが)、秀吉(池松壮亮さん)も上月城(こうづきじょう)にて大勝利を収めたものの、「上月城の者は皆斬首され、女子供に至るまで磔(はりつけ)、串刺しにされて西との国境にさらされたと。それをお命じになったのは、羽柴筑前守様であると」という前野長康(渋谷謙人さん)のセリフと、処刑場を眺めながら不敵な笑みを浮かべているようにすら見える陣羽織姿の秀吉まで映されたので、敗者に対する兄弟のスタンスの違いが鮮明となりました。

 これらは天正5年(1577年)、「(第1次)上月城の戦い」で秀吉が本当に行ったことで、史料によると敵兵の首はすべて斬首。城内の女性も「磔」、子供は「串刺し」で殺し、その遺骸を反・織田方の播磨の武将たちへの“見せしめ”として晒したという逸話からです。

 また前回も触れたように、竹田城の(最初の)落城からわずか4カ月後、天正6年(1578年)3月には前回も少し登場した播磨の有力大名・別所長治(下川恭平さん)が裏切ったので、秀吉は別所家の居城・三木城を取り囲み、完全に物資供給をストップさせたうえで“見せしめ”として「干殺し」にしています。

 こちらはドラマの秀長がやって見せたような心理戦としての「干殺し未遂」とは異なり、「織田を裏切ればこうなるぞ」と理解させるための“なぶり殺し”でした。

 人道意識が高い現代人の感覚からすると、この手のパフォーマンスはあきらかにやりすぎで、サイコパスのニオイすら感じるのですが、これが戦国時代なのです。

 たとえば「(第1次)上月城の戦い」の少し前の時期に、信長から越前国(現在の福井県の北部〜中部あたり)の平定を任されたものの、支配に手間取っていたのが柴田勝家です。とくに同地で厄介なのが「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで極楽往生できると信じている「一向宗」の信徒たちであり、彼らを中心とした農民一揆でした。天正3年(1575年)から翌年にかけての話です。

農民一揆を鎮圧した前田利家の活躍ぶり

 この鎮圧になんとか成功した一人が、当時、勝家の部下だった前田利家(大東駿介さん)です。その様子を記録した「一向一揆文字瓦」と呼ばれる瓦が、昭和7年(1932年)、利家とゆかりが深い小丸城跡(現在の福井県越前市)から発見されており、これによると利家は捕えた1000人ほどの叛徒たちを「磔」だけでなく、「釜煎り」でも殺したというのです。「釜煎り」とは直火で熱した巨大な釜に油を注ぎ、人間を生きたまま放り込んでしまう恐ろしい処刑法でしたが、前田利家の大のお気に入りだったといわれます。

 問題の瓦が発見された当初、この利家の“蛮行”については、ほぼ知られていなかったので、一向一揆の生き残りが、利家への反感から捏造したものでは……とさえいわれていました。

 しかし、その原文を精査すると、どうやら前田方の誰かが「しぶとい抵抗勢力を恐怖による支配で効果的に鎮圧した前田利家さまの功績」として「磔」や「釜煎り」を後世に伝えようとして瓦に刻んだと考えるほうが正しいと考えられるようになっています。実際にそれで農民たちは沈黙を余儀なくされたので、“効果”はあったのでしょう。

 そもそも前回のドラマで描かれたように城主・太田垣輝延があまりに暴君なので、配下たちは秀長の人徳にひれ伏し、臣従も約束してくれたわけですが、このように「領主の交代」を家臣たち、ひいては地域の住民たちがすんなり受け入れてくれるケースは珍しいのです。

 それゆえ武将から見て、実戦を行わずに敵方の戦意を削げる抜群のコスパの良さが“恐怖による支配”の長所なのですが、短所としては「どうせ殺されるくらいなら!」という敵方の態度硬化がありました。

 たとえばこれからドラマでも描かれるであろう、天正6年(1578年)の荒木村重(ドラマではトータス松本さん)による信長(小栗旬さん)への謀反事件でも、彼の居城・有岡城を完全包囲されても投降に応じない荒木を揺さぶろうと織田勢が男女関係なく、領民たちを皆殺しにしたと伝えられています。

 しかし荒木が立てこもっていた有岡城が落城した後も、和平条件で折り合いがつかなかったので、織田方は荒木の一族も次々と処刑したのですが、この時、有岡城の落城前に“見せしめ”として仲間を殺された地域住民や荒木方の残存勢力が結託し、尼崎城、花隈城の2つを拠点として、その後約2年もの間、徹底抗戦を続けました。恐怖で人間を支配しようと処刑を連発しすぎた織田方の対応は、荒木村重の謀反事件の対策としては完全に悪手となったのです。

 ちなみに秀吉と利家は、二人とも比叡山を焼き討ちにした織田信長の家臣ですから、この手の残虐な処刑は「信長の命令だから抵抗できなかった?」と訝る方もいらっしゃるでしょう。

 しかし答えはNOです。

 信長とは影響関係のない奥州(東北)の実力者で、「独眼竜」と讃えられた伊達政宗も、天正13年(1585年)8月27日、虎視眈々と政宗の失脚を目論む敵対勢力・蘆名(あしな)家に内通していた家臣・大内定綱(おおうち・さだつな)の居城・小手森城に猛攻をしかけ、わずか1日で落城させています。しかしその後の政宗は小手森城内にいた男だけでなく、女、子供も全員、城内で飼われていた犬も含めて「動くものはすべて皆殺し」にしたのでした。

 実は当時の政宗はわずか18歳の“新米領主”です。しかも彼が御家騒動の末に家督を継いでわずか1年という時期でしたから、ここでこれ以上の離反を防ぐためにも「私を甘く見たらひどい目に遭うぞ」という強いメッセージを出す必要がありました。それゆえ“見せしめ”のために、一説に1000人もの哀れな人々を生贄として皆殺しにせねばならなかったという背景があるのです。また「義の武将」とされる上杉謙信とて“見せしめ”の処刑や、敵地から奪ってきた人民を奴隷として売買して儲けるなどの行為を日常的に行っていたことは有名ですね。

 それゆえ、良識ある現代人が眉をひそめるような手合の作戦の多くは「残虐趣味」とか「力の誇示」といった類いのものではなく、効果はあるかもしれないけど、やる側の余裕のなさをも世間に露呈する「両刃の剣」だったという事実は覚えておくとよいでしょう。

「武将たちがどんな作戦を取ったのか」は「なぜそう決断せざるをえなかったのか」につながり、そこに史料が十分残されていない武将たちの内実が読み解けるものなので、後世のわれわれには興味深い一幕ではあります。

 ドラマでは現時点でも余裕を残した信長ですが、史実では天正年間ともなれば、臣下ともども「かなり追い込まれていた」のは事実。さらに各地の支配にも苦心していました。それが信長と部下たちの残虐行為連発のゆえんであり、松永久秀(竹中直人さん)、荒木村重など織田方から離反しようという勢力がどんどん出始めた理由のひとつだと考えられます。そして、これらは信長が討ち死にする「本能寺の変」に向かって、織田家が内部から崩壊を始めていたという証しでもあるんですね。

 次回(第22回)は『播磨大誤算』と題し、「一度は播磨を手中に収めたかに見えた秀吉だったが、半兵衛の悪い予感が的中。服属したはずの国衆たちが反旗を翻し、呼応して毛利・宇喜多も挙兵する。しかも折悪く半兵衛の体調が悪化し、秀吉は味方を見捨てて撤退することに。自責の念にさいなまれる秀吉は、ある夜、足を踏み外して頭を打ち、なんと記憶をなくしてしまった! 小一郎は、秀吉の記憶を取り戻そうと手を尽くすが……」という内容だそうです。

 都合の悪いことが起きると記憶をなくすというのは「韓ドラか!?」と思わせる、力任せの展開ですが、大胆なフィクションの混入も厭わないのが本作の良いところでもあります。今後のドラマが大きな歴史の変革をどのように描いていくのか、非常に楽しみです。

“バクチ人生上等”な大爆死

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2026/06/07 12:00