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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義20

『豊臣兄弟!』荒木村重の紹介による黒田官兵衛との出会い、そして総大将初体験・秀長による“天空の城”竹田城の攻略

『豊臣兄弟!』荒木村重の紹介による黒田官兵衛との出会い、そして総大将初体験・秀長による“天空の城”竹田城の攻略の画像1
豊臣兄弟! 後編(NHK大河ドラマ・ガイド)』(NHK出版)

 前回(第20回)の松永久秀大爆死、いかがご覧になりましたか。松永久秀が憑依したかのような表情の竹中直人さんが、涙まじりの笑顔で見せた最期でしたが、背景に流れる劇伴も含め悲壮感はなく、むしろ爽快でした。やりたいことをやりきって死ぬ! これの何が悪い!という印象で、当時の武将の何割かはああやって自害していったのではないか……などと思わせられるシーンでした。

松永久秀の“バクチ人生上等”な大爆死

 竹中版の松永は熱く語りまくるものの、そのセリフの最後には必ず「――と言ったら、信じるか?」の一言がついており、真実か嘘かは面白ければどうでもいいのだ!というドラマでの松永の人生哲学と、ドラマそのものの方向性がぴったり被った内容でした。

 おまけに本物の平蜘蛛の茶釜はすでに信長(小栗旬さん)のコレクションに密かに入っており、松永が持っていたのは贋作づくりが特技だった松永の父の手による(という触れ込みの)レプリカに過ぎなかったという「どんでん返し」付き。我々は一体何を見させられてきたのだ……という一幕でしたね。

 今回もごく基本的な枠組みだけは史実に沿いながら、その他はすべてがドラマオリジナルという「大河ドラマ」としてはかなり異端な演出の連続で、実に興味深く拝見しました。

 さて次回(第21回)の『豊臣兄弟!』は、「風雲!竹田城」と題し、「秀吉(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)は、荒木村重(トータス松本)に代わって織田と毛利の間で揺れる播磨の攻略に当たる。難しい任務と思われたが、村重の仲介で出会った姫路城代・小寺官兵衛(倉悠貴)は、見事な手腕で播磨の国衆を織田方につけてみせる。半兵衛(菅田将暉)の案で、秀吉はさらに西方へ兵を進めることを決め、西播磨へ。一方、小一郎は但馬の竹田城攻めを任され、初めて総大将として戦に臨む!」という内容だそうです。

 注目すべき最初のポイントとしては、秀吉の右腕――もっというと戦国時代には職業としては存在しなかったのですが、確実にそういう存在はいたはずの「軍師」となった黒田官兵衛との出会いが、荒木村重による紹介としてドラマでは描かれるという点ですね。

 何気なく「あらすじ」では語られていますが、実際、この時の荒木がどんな表情かが注目ポイントになると思います。史実の荒木にとって、本当なら信長の肝いりによる新担当者として秀吉が選ばれ、着任してきたという事実は非常に気分が悪いことだからです。

 荒木は信長から摂津(大阪北中部と兵庫の一部)を任されてきた重鎮で、それまで播磨の国衆――次回登場の小寺官兵衛や別所長治などの外交窓口も担当していました。荒木が黒田を秀吉に紹介するとのことですが、史実でも親交が深かったこの二人の出会いも『黒田家譜』などによると、当時まだ20代の若きホープだった黒田が「これからは織田の時代だ」と当時の主君・小寺政職を説得し、信長の軍門に下らせたことがきっかけだとされており、史実的にも十分ありうるラインの話です。

 そうやって親しくなってきた年下の“腹心の友”であり有能な黒田を、望まぬ形で退任させられる自分の後任者・秀吉に紹介せねばならないときの荒木の表情は今後のドラマの重要な伏線になるでしょう。

 実際、このとき感じていた大きな信長への不満が翌年(天正6年・1578年)、荒木が織田から離反し、部下を通じて熱心に引き抜き交渉をしてきていた毛利輝元(濱正悟さん)に接近した事件の直接的な原因となったからです。トータス松本さん演じる荒木はこれまでの出演内容を見る限り、さばけた関西弁のフランクな人柄のようですが、荒木の正室「だし」もドラマに登場することがアナウンスされているので、心を許した妻の前では、荒木も外ずらのよさとは裏腹に猜疑心が強く、神経質な部分を露わにするのではないか……と期待しています。

 ちなみにこの翌年に荒木が信長に反旗を翻したとき、黒田は信長の命としてではなく、自身の強い意思として「毛利に下ったという荒木殿の謀反は何かの間違いだ」といって、荒木が立てこもった有岡城に乗り込んでいくのです。

 しかし、ここで一度は黒田の提案で信長の軍門に下ったものの、信長のやり方が気に食わなかった黒田の直接の主君である小寺政職が暗躍、介入したので事態は最悪となります。黒田が荒木に拉致監禁されてしまうんですね。

 一度は織田方の武将となった小寺政職ですが、次回のドラマのあらすじにもその名が見られるように、「中国地方の雄」である毛利の猛攻を食い止めるだけの十分な兵力が織田からは送られてこず、それは信長による様々な地域への軍事侵攻が原因でしたから、地元密着型の中小領主にすぎない小寺としては「風呂敷広げすぎの織田に未来はないな……ココらへんで損切りして毛利方につくか……」と考えずにはいられなくなっていたのでしょうね。

 次回以降くわしくお話しますが、大変なことになっていく、と覚えておいてください!

 また、秀長が、現在でも「天空の城」として観光名所化している竹田城の攻略にチャレンジという部分も見逃せない内容になると思われます。秀長が「初めて総大将として戦に臨む!」とあらすじにはあり、史実通りなのですが、竹田城攻略には素晴らしい采配を見せているんですね。

“天空の城”竹田城の攻略リスク

 太田垣輝延(おおたがき・てるのぶ)が城主の竹田城があるのは標高約353.7m、ふもとからの距離が約250mという非常に高所にある文字通り「天空の城」でした。ちなみに山城の名城とされる上杉謙信の居城・春日山城の約2倍の高さです(春日山城の標高は約180 m)。

 そんな自然の地形を活かした防御力満点の山城を、記録によれば、総大将初体験の秀長がわずか数日で落としたというのはどんな魔法を使ったのか……と疑問に思っても当然です。

 しかし秀長が攻撃したのは竹田城というより、そこに籠城する人々の心理だったのでした。秀長の活躍は『信長公記』(巻十・天正5年11月の条)にも記され、それによると秀長は「直(ただち)に但馬国へ相働き、先山口岩州の城を落城し、此競(このいきおい)に小田垣(=太田垣)楯籠る竹田へ取懸り、是又退散」――凄まじい速度で岩州城(山口城)を叩き潰し、その勢いのまま太田垣輝延たちが立てこもった竹田城に取り掛かろうとしたので、太田垣たちは戦わずに逃げ出してしまったのでした。

 しかもこの当時の竹田城は豊臣時代に改築された竹田城をモデルとした現在の観光名所・竹田城とは異なり、木塀・泥塀で囲われているだけの山城にすぎませんでしたから……。

 ゆえに太田垣たちが不名誉ながら、迅速な敵前逃亡を選んだのは、山城を攻められたときのリスクを回避したかったからだと思われます。山城の防御性能は非常に高いものの、それは攻撃する側が様々なコストを計算して「やっぱり手出しはやめておこう」と思わせる部分が大きいのですね。そこの一点を突破されると、籠城している側は大変なことになりがちでした。

 太田垣家は同時代の山城よりもかなり高所に竹田城を築かせながら、そのそばにも天空の城下町というべき生活・物資の拠点を作らせてはいましたが、これも城がある山全体を敵方に取り囲まれてしまえばジリ貧間違いなし。

 その包囲網を打ち破ってくれる外部の援軍が期待できれば別ですが、今回、毛利家がどの程度動いてくれるかは未知数。というか、期待薄だったのでしょう。そうなれば最終的には固く閉ざした城壁の中で水や食料が足りなくなり、主従ともども全員が飢餓地獄に陥る……というシナリオが確定していたのでした。

 実際に信長が竹田城以上の高さにあった浅井家の小谷城(標高約395m)を3年かかって干上がらせたという逸話を竹田城主が知らぬわけもなく、そこに秀長が圧倒的な軍事力を見せつけ、竹田城の手前にある岩州城(山口城)を、開戦直後に大量の軍兵を投入してぶっ潰すという電撃作戦敢行で落としていたので「抵抗など無意味」と気づいた太田垣たちは逃亡一択。あっさり城を明け渡したのでした。

 ちなみに開戦直後に総力戦を仕掛けて敵方の拠点を制圧するのはナポレオンが好んだ作戦であり、近代兵法の基本なので、秀長の将としてのセンスは冴えているといえるでしょう。

 ちなみに前回、2回目の信長への投降を拒絶して“大爆死”した松永久秀でしたが、太田垣輝延に至っては一度目の逃亡の翌年(天正7年・1579年)、織田方による「中国攻め」が本格化し、竹田城の管理が手薄になったタイミングを見計らって城を奪還。

 しかしそれに怒った秀吉に翌・天正8年(1580年)に攻められると、「ごめんなさーい」とあっさり再降伏。秀吉は信長譲りで、降伏者に対してはビジネスライクな対応をするのが基本なので、命は助けられました。その後はさすがに没落したともいわれますが……。

 しかし、史実の豊臣兄弟が恩情的なのはあくまで早期降伏を選んだ者だけなんですね。この最初の竹田城の落城からわずか4か月後の天正6年(1578年)3月には、播磨の有力大名・別所長治が裏切ったので、後世まで悪名高い「三木城の干殺し」が開始されました。完全に物資を絶たれた別所長治の居城・三木城内は飢えと渇きの地獄絵図となっています。

 ほかにも天正9年(1581年)の「鳥取城の渇え殺し」など、ヘタに抵抗して籠城策を取ろうものなら餓死者を食って生き延びるしかない生き地獄にまで叩き落とすというのが史実の豊臣兄弟の常だったのですが……ここらへん、あまりに酷くて「大河ドラマ」の枠では描けないだろうということで、ドラマでは省略か、ナレーション一本で終わってしまいそうな気がします。

 史実を知れば知るほど、それとかけ離れたドラマの豊臣兄弟の笑顔と人情は、人心荒廃の乱世に降臨したホトケのように見えてしまうのですが、それだけに今後の展開が楽しみでなりません。

百姓上がりの秀吉が重視した血統の継承

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2026/05/31 12:00