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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義18

『豊臣兄弟!』百姓上がりの秀吉が重視した血統の継承「血筋重視主義」と秀長の側室・慈雲院=ドラマの慶の連れ子という“斜め上”の展開

『豊臣兄弟!』百姓上がりの秀吉が重視した血統の継承「血筋重視主義」と秀長の側室・慈雲院=ドラマの慶の連れ子という“斜め上”の展開の画像1
豊臣兄弟! 前編(NHK大河ドラマ・ガイド)』(NHK出版)

 前回(第18回)の『豊臣兄弟!』では冒頭パートで、戦国大名としての武田家の滅亡につながった「長篠の戦い」がすでに織田家の勝利で終わったこと、さらに明智光秀(要潤さん)、丹羽長秀(池田鉄洋さん)、滝川一益(猪塚健太さん)など織田家の重鎮が各地で活躍していることに並行し、――前回まで何の素振りもなかったのに――松永久秀(竹中直人さん)が信長に反旗を翻し、筒井順慶(永沼伊久也さん)や荒木村重(トータス松本さん)といったニューフェイスの実力者たちが頭角を現した……など織田家内の一大変革がサラッとナレーションだけで済まされました。

市の“ボーイッシュ”的伏線

 また、ついに秀吉(池松壮亮さん)についても「その名を羽柴筑前守秀吉と変え」たというナレーションだけで、とくに掘り下げられることもなく、豊臣兄弟が「木下」から「羽柴」に改姓した事実だけに触れられていましたね(ドラマの秀長〈仲野太賀さん〉は、いまだに「長」秀ですが、本コラムでは彼のことは引き続き、秀長ということでお話させていただきます)。

 それゆえ、史実では「羽柴」という“創作苗字”に密接に関係している丹羽長秀や、柴田勝家(山口馬木也さん)といった面々についての言及はゼロ。「ドラマ好き」の視聴者層には、こういう背景はマニアックにしか思えず、それゆえにカットされたと考えるしかないのかもしれません。ただ、天正3年(1575年)から天正5年(1577年)頃は、信長の天下取り計画が加速する一方で、身内や同盟者の離反が相次いだ激動期でした。松永久秀が離反しただけなく、のちには荒木村重も松永同様に「信長のやり方にはついていけない」と離反しているので、あそこはもうちょっと丁寧に描いたほうがよかったのではないかと思いました。

 とくに「歴史好き」にとっては、そこを描かないのは、いくら「武将」ではなく「人間」としての豊臣兄弟を描くのが本作の主眼だとはいえ、素材から美味しい部分をゴッソリ捨てた料理のようになってしまった気がしました。

 秀吉の家臣団採用試験もコントみたいで面白くはありましたが、あそこまで長い時間を費やす必要はあったのかな……、と疑問に思った視聴者も多いのでは? でもまぁ、小難しいことは本コラムでは捨て置いて、前回が本格的なお目見えだった藤堂高虎(佳久創さん)が非常によいキャラであり、前回はほとんどまるごと「高虎デビュー」の回であったと考えることにしましょう。

 印象的だったのは、再試験の会場から、坐禅姿のまま動かない石田三成を高虎が仏像のように抱えて運び出したシーンです。あの時、高虎役の佳久創さんの腕力だけでなく、背筋をピーンと伸ばしたまま、まったくブレなかった三成役の松本怜生さんの強い体幹に驚嘆させられました。筆者の周囲では「三成は台詞回しまで硬い」という声もありましたが……。

 そして、最終選考で自分は選ばれなかったというのに、石田三成など選ばれた他の3人に「おめでとうございます!」とお辞儀してから潔く退出しようとした高虎の姿も印象に残りました。彼がたんなる“脳筋”――知性とは程遠い、単細胞なマッチョキャラではなく、伸びしろのある若者なのだということがわかるよいシーンでした。

 さて次回(19回)は「過去からの刺客」と題し、「信長(小栗旬)は嫡男・信忠(小関裕太)に家督を譲り、安土に天下一統を見据えた巨大な城を造り始める。秀吉(池松壮亮)は柴田勝家(山口馬木也)を総大将とする上杉攻めに加わるが、作戦を巡り勝家と対立してしまう。一方、慶(吉岡里帆)に他国の武将と内通しているという疑いがかかり、小一郎(仲野太賀)は彼女が密かに足を運んでいるという村へ向かう。そこで小一郎は、慶がひた隠しにしていた悲しい過去を知り――」という内容だそうです。

 予告編の映像を見る限り、「慶がひた隠しにしていた悲しい過去」とは、慶には以前の夫との間に男の子がいて、彼を別の家で養育していることのようですね。

 この問題については、史実では秀長のほうがひた隠しにしようとしていたようです。当時であれば、結婚前に徹底的に調査しますので、女性側が隠し通すことはほぼ不可能。そもそも離婚・再婚が(現在以上に)身近な時代でしたから、女性に連れ子がいたところで、よほどの理由――夫にとって仇敵(の子)とかいう以外はとくに問題にはならなかったはず。それゆえドラマではどういう理由にするのかが楽しみなのですが、史実でも秀長の嫡男については同時代の正式な記録がなぜか一切なく、こういうドラマオリジナルの展開となったと推測されます。

 史実の秀長の正妻は、慈雲院と呼ばれる女性ですが、これは秀長の死後に彼女が出家したときの法号です。彼女の本名や家庭環境、氏素性などは全く後世に伝わっていません。そして、秀長にはその謎の女性・慈雲院との間に授かった、たった一人の男子・与一郎がいた……とされているのです。

 しかしこれも歴史の謎なのですが、なぜか同時代の史料に与一郎は登場しません。前回のドラマでも触れられたとおり、秀長は兄・秀吉が先輩家臣である丹羽長秀と柴田勝家の苗字から一文字ずつとって創作した「羽柴」の姓を名乗っていた時代に与一郎は生まれていたと考えられるのに、なぜか与一郎は羽柴与一郎ではなく、木下与一郎として、江戸時代の史料――たとえば、織田信長の御小姓として有名な森蘭丸の実家・森家についての史料である「森家先代実録」などに与一郎の情報が見られるくらいなんですね。

 そして、与一郎の早逝についても、それが江戸時代の史料でしか確認できないのがミソなのです。与一郎がいくつで亡くなったのか、どんな子どもだったのか、そして本当に与一郎という名前だったのかすら、秀長と同時代の「一次資料」では不明なのでした。

 それでも与一郎は永禄11年(1568年)頃に誕生し、天正10年(1582年)頃、15歳くらいで早世したとされることが多く、天正10年といえば、信長が明智光秀に本能寺の変で討たれる大事件が起きた年なのです。

家庭運が薄かった豊臣家の人々

 この時期の秀長は信長の直臣というより、兄・秀吉の家臣として、織田家には間接的にお仕えしていましたが、「主君」信長だけでなく、自身の家庭でも嫡男とされる与一郎を失ってしまう大波乱が起きたのが天正10年頃だった――と推測されるのです。

 ちなみに兄・秀吉も家庭運が薄く、正式な記録では、彼が53歳のときに、淀殿が産んだ鶴松が最初に授かった子どもでした。しかし鶴松はわずか3歳で夭逝し、秀吉はたいへんにそれを嘆き悲しみました。

 その一方で、秀長も与一郎を失ったにもかかわらず、これを嘆いた記録をまったく残していません。秀長が兄に比べて冷淡だったというわけではなく、プライベートな記録は残したくないというポリシーがあったのではないか……と推測される一幕です。

 そして、与一郎が亡くなったとされる時期の直後に、秀長は兄・秀吉から強く望まれ、信長が不在となった織田家の跡目争いに参画した秀吉のため、兄の協力者である丹羽長秀との関係を強固にするべく、長秀の三男・千丸(仙丸)を養子にもらっています。

 秀長は考えあって千丸を自身の跡継ぎにするべく育てていたのですが、これまた兄の強い意向で、天正16年(1588年)頃、豊臣兄弟にとっては甥にあたる秀保(姉の子)という男子を秀長の後継者に据えることになったのでした。

 ということで、居づらくなった千丸を養子にしたのが、秀長の重臣である藤堂高虎でしたが――、ここから歴史の皮肉としかいいようのない展開となるのです。

 おそらく秀吉は百姓上がりであるがゆえに、逆に武家が重視しがちな血統の継承を強く意識し、「身内」の秀保を秀長の後継者として推したのでしょう。しかし文禄4年(1595年)4月16日、秀保は享年17歳で急死しました。その一方で、藤堂高虎の養子となった千丸あらため藤堂高吉は享年91歳(諸説あり)まで元気に長生き。たいへんに優秀な人物として知られ、藤堂本家(津藩主家)の分家筋にあたる名張藤堂家の祖にもなっています。

 ということで、仮に秀吉が「血筋重視主義」に陥ってさえいなければ、秀長の家系だけは養子の当主にせよ残り、跡継ぎ不足に泣くことになる羽柴(豊臣)政権も多少は安定を見せていたのかもしれません。まあ、奔放すぎる秀吉のブレーキ役だった秀長が早死してしまった時点で、波乱は必定だったでしょうが……。

 実子(?)の与一郎に続き、兄の意向で養子にした秀保まで失ってしまった秀長にとって、継承者問題解決に向けた選択肢は「いさぎよく若い側室を迎える」か「正室・慈雲院の顔を立て、彼女との間に子作りを試みる」の二択でした。

 ここで、通常なら「側室を迎える」となるのでしょうが、秀長はそれをしませんでした。正室の許可なく側室を持つことができないのが当時の掟だったので、秀長にとって慈雲院はよほどの「恐妻」だったのか、あるいは慈雲院に強い愛情(と執着)を秀長が抱いていたのかもしれません。

 まぁ、その秀長も最晩年には数々のご乱行といってもよい女性関係を持つようになるのですが、それはまた別の話。はっきりいえばカッコわるい「中年危機」そのものが、それまでひたすらにクリーンだった秀長の晩節の特徴だと思われるのですが、それにつながる当時の武将たちを悩ませた後継者問題のテーマを今後のドラマがいかに描いていくのか、興味深いものがあります。

 とりあえず、与一郎という秀長の謎の嫡男については、いつまでも出てこないと思っていたら、正室・慈雲院=ドラマの慶の連れ子という形で想像の斜め上の登場になるようですから、普通に描けばかつての昼ドラ真っ青、真面目だった夫が若い雌狐にたぶらかされ……的なドロドロ愛憎劇になりがちな秀長の晩年についても『豊臣兄弟!』は面白い仕掛けでスパッと見せてくれるのかもしれません。秀長の「変化」がどう描かれるのか、興味津々です。

「小谷落城」で描かれる地獄への本丸

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

X:@horiehiroki

堀江宏樹
最終更新:2026/05/17 12:00