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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『豊臣兄弟!』放送談義16

『豊臣兄弟!』今川家を見切った家康、成長した万丸は宮部家を…「小谷落城」で描かれる地獄への本丸と“登場しない”信長の配偶者の謎

『豊臣兄弟!』今川家を見切った家康、成長した万丸は宮部家を…「小谷落城」で描かれる地獄への本丸と“登場しない”信長の配偶者の謎の画像1
『豊臣兄弟!』に出演する仲野太賀、小栗旬、池松壮亮(写真:Getty Imagesより)

 前回(第16回)の『豊臣兄弟!』は“養子(人質)問題”と、“織田信長(小栗旬さん)と比叡山との対立”が2本の大きな柱になっていましたね。百姓だった時代は、誰かエラい人たちから“守られる側”だった木下家ですが、一族こぞって織田家にお仕えするようになり、秀吉・秀長兄弟(池松壮亮さん・仲野太賀さん)がかなりエラくなってしまった結果、知らず知らずのうちに“誰かを守る側”になってしまっていた――という描かれ方には興味深いものがありました。

“魔王・信長”が誕生した一通の手紙

 侍になれたことで彼らの生活は豊かになった。しかしその代償は思いのほかキツく、百姓時代にはありえなかった「愛しい我が子を、養子という名の人質として誰かに差し出さねばならない」という人生イベントも発生……。「皆で笑顔になることが減った」という秀長の言葉には重みがありました。

 兄弟の姉である「とも」(宮澤エマさん)は織田家に、豊臣兄弟や夫のように“宮仕え”している立場ではないので、よけいにお腹を痛めて産んだ我が子を誰かに捧げねばならないという武士の慣習には納得いかなかったのでしょう。

 しかし史実では、「人質になる」もしくは「養子になる」という人生の転機は、そうそう悪いことばかりでもなかったのです。百姓から武士になって間もない木下家でぬくぬくと育てられるより、当時のインテリの代表格である僧侶にして武将でもあり、おまけに人格者である宮部継潤の養子として過ごす間に、万丸が武士として磨かれる可能性があったはずです。

 他家の人質に出されることは、当時の武将たちにとっては、一種の国内留学でした。もちろん実家と他家の関係が悪化したら殺されてしまうので命がけではあるのですが、たとえば徳川家康(当時、竹千代/松下洸平さん)が、実家と主従関係にあった今川家の本拠・駿府(静岡市)で過ごした期間は、天文18年(1549年)から永禄3年(1560年)までの約11〜12年間にも及びました。

 当時の駿府には京都の文物が流れ込み、“東の都”というべき高水準の文化がありました。そこで家康は8歳から19歳という、人間としての基礎が出来上がる時期のすべてを、今川家の準家族として過ごしたのです。当時の基準ではかなり田舎の三河の領地でずっと過ごしていたら、家康が「天下人」になれていたかは不明というしかありません。駿府において家康は今川義元(大鶴義丹さん)の軍師・太原雪斎(たいげんせっさい)から軍学の英才教育を受け、義元の親戚にあたる瀬名姫というお嬢様とも結婚させてもらっています。傍目には“至れり尽くせり”の厚遇を受けていたのです。

 そうやって今川家は家康に恩を売る――もっというと厚意を押し付けながら、家康を自分たちの政治のコマとして養育するのに努めていたのですが、非常に興味深いことに、家康は養家をあっさり裏切りました。

 永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」で義元が新興勢力・織田信長に討ち取られると、当時、今川方の武将として兵糧を運び込む仕事をしていた家康は、「織田軍の追撃から逃れる」という格好の大義名分を得て、スタコラサッサと駿府から逃亡。故郷の三河に戻ってしまったのです。

 それでも家康は、義元のあとを継いだ今川氏真に「織田相手に父上の仇討ちをするなら加勢しますぞ!」みたいな手紙を書きおくり、「私は三河に帰ったけど(準)家族なのは変わらないよ!」と演技だけは続けるのです。しかしそれも半年ほどで終了でした。家康は蹴鞠にしか興味がない(と見えた)氏真を見限り、今度は今川の宿敵である織田家に接近していくのです。

――以上がドラマで描かれる前の家康の履歴書なのですが、『豊臣兄弟!』の家康が、他の作品には見られない以上にロコツな功利主義なのも、複雑すぎる彼の生育環境が影響しているものだと考えると面白いのです。

 そしてどこか政略結婚と似ている部分もある人質・養子問題なのですが、やはりドラマの市と浅井長政(中島歩さん)のように男女の愛情が絡んでくる(場合もある)政略結婚に対し、人質などは準家族にすぎないため、実家と養家の利害関係が薄れた時点で縁が切れ、それで「おしまい」となることも多々ありました。

 万丸(藤田蒼央さん)が宮部家の養子だった時代は10~11年ほど。史実では元亀2年(1571年)、「比叡山焼き討ち」の直後に宮部継潤(ドンペイさん)の養子(人質)となった万丸は、天正10年(1582年)の「本能寺の変」の直前まで宮部家にいました。そして宮部吉継(または吉浄)と名乗り、少年時代のほとんどを宮部継潤の義理の息子として過ごしていたのです。これは、万丸に支配者側の人間としての魂が植え付けられる時間でもありました。

 ところがさらに出世を重ねた豊臣秀吉にとって、宮部は人質を与え、懐柔すべき相手ではなくなり、もっというと宮部は秀吉自身の右腕的存在(=スタッフ)になってしまったので、秀吉の中では、貴重な政治のコマである万丸を宮部家に置いておくのはもったいない……と思えたのでしょう。信長による四国攻略計画が本格化したタイミングで、万丸は宮部家を出され、四国の有力者である三好康長(笑岩)のもとに養子として送られたのです。

 万丸が家康のように養家をスパッと見切れるタイプだったかは不明ですが、三好信吉と名乗ることになってすぐ、彼には次の展開が訪れたのでした。

“養子”となった万丸の転機とは

 織田信長が「本能寺の変」で亡くなり、織田家の権力を本来なら部外者の秀吉が掌握するという、実質的なクーデターが発生したからです。かくして万丸も権力者にはなったが、実子がいないままの叔父・秀吉に求められ、その養子となったのです。

 ところが……豊臣秀次と名乗るようになった彼の運命は栄転しきったように見えますが、悲惨な終わり方をしています。秀吉がかつては自分の養女だった淀殿を側室にしてしまい、彼女との間に二人の実子――鶴松と秀頼が誕生したので、「養子なんか、相続の火種にしかならない」ということで、秀吉の跡を継ぎ、豊臣家出身の二人目の関白となっていたにもかかわらず、秀次とその家族たちは、秀吉の命により根絶やしにされたのです。

 こういう秀吉の“闇落ち”以前に秀長が亡くなっているため、今年の「大河」では触れられない一件となるでしょうが、「血」や「実子」への執着も武士らしいといえば武士らしく、木下家が百姓だった時代にはありえなかったことだと思われるのでした。

 結局、秀長のいう「百姓時代のほうがみんな笑顔になれていた」というセリフの重みは木下家の人々にとって、時間とともにどんどん重みを増す“呪い”となっていくはずです。

 さて次回(17回)はついに『小谷落城』と題し、「武田信玄が対織田の兵を挙げて遠江へ侵攻、三方ヶ原で迎え撃った家康は大敗する。義昭も京で挙兵し、信長は絶体絶命と思われたが、なぜか急に武田軍が撤退。後ろ盾をなくした義昭は…。危機を脱した信長は浅井・朝倉攻めを再開、進退極まった長政は小谷城に籠城する。小一郎と藤吉郎は、何とか市らを救い出そうとするが…」との内容になるそうです。

 これはついに地獄の本丸までドラマが突き進んでいく印象ですね。

 個人的に前回、一番面白かったシーンは、信長の頼れる義弟・浅井長政の裏切りを受け、同時に愛妹・市(宮﨑あおいさん)との関係にも暗雲が垂れ込め、どこか物憂げな様子の信長を家臣たちがケアする場面でした。

 豊臣兄弟が“猿踊り”を披露し、重臣たちが偶然を装いながら、次々と酒や肴を持って集まってくるので、気遣われている信長も「わしはそれほどヤワではない」と口では言いながらも、「今宵は楽しかった」と本音を呟いていました。

 しかし、これはまさにそうした家臣たちの姿によって、かつては信長のケアをこなしていた市の不在が明らかになる一幕でもあったのです。

 そもそも、本作のように「信長の妹」である市の存在だけがクローズアップされ、「信長の配偶者」が一切登場しない本ドラマのような作品はわりと珍しいはず。

――ドラマでは濃姫や帰蝶などの名前で呼ばれることが多いものの、美濃の斎藤道三(麿赤兒さん)の娘として、信長に天文18年(1549年)の春に嫁いだとされながらも、その後の彼女の動向はほとんど不明なのです。しかし近年では帰蝶の存在がクローズアップされるケースが目立つのですね。

 2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』における、「本能寺の変」で太刀を振り回して明智勢を圧倒する濃姫(内田有紀さん)や、2023年の映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』では、信長(木村拓哉さん)以上にアクションシーンが目立つ帰蝶(綾瀬はるかさん)などが印象的すぎる中、「嫁」より「妹」一辺倒のシスコンにして、孤高の信長が描かれる『豊臣兄弟!』はなかなかに特殊といえるかもしれません。史実の信長には記録に残さないだけで、正室だけでなく大量の側室がおり、彼女たちの間に一説に「22人(12男10女)」の子宝を授かっていたわけですから……。

 史実の信長はドラマの信長のように孤独ではなく、子だくさんのビッグダディだったのですが、子どもがいない秀吉とは別の意味で苦労もしていたでしょうね。

 史実の信長は誰かとパパッとやって、パパッと寝るという生活を続けたがゆえに、それだけの子だくさんパパになれた(気がする)のですが、それはある意味、そこまで相手の女性を選んでいなかったということでもあり、その結果として、生まれた男の子たちに父親譲りの突出した資質の持ち主はいなかったといえるのではないでしょうか。

 つまり、信長のカリスマを継承する器の息子がいないという現実につけこんだのが秀吉なのですが、この辺の史実の秀吉の狡猾さをドラマがどう描くのか、今回のように養子=生贄というエグい話をお涙頂戴の“美談”としてキレイにまとめられるのか、非常に楽しみです!

信長の“逃げ恥”

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『エリザベート~神の手を持つ王女~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2026/05/03 12:00