伝説の小学生アイドルグループ・ねずみっ子クラブの人気メンバー2人がユニットを結成! 宮澤寿梨&井上恵美子「じゅりえみ」40代からの挑戦

伝説の小学生アイドル「ねずみっ子クラブ」から30余年――。
それぞれの道を歩んでいた元メンバーの宮澤寿梨と井上恵美子が、40代でユニット「じゅりえみ」として活動を再開。
“セクシー小学生”と呼ばれたデビュー当時から、再びタッグを組むことになった2人の軌跡、現在の活動、そして未来への展望を追った。
エポックメイキングだった「セクシー小学生」
――「ねずみっ子クラブ」は、1992年にバラエティ番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系)内の企画「セクシー小学生コンテスト(正式には『セクシー小学生ゴングショー』)」から誕生した、平均年齢10歳の女性アイドルグループ。当時、“史上最年少アイドル”として世間を驚かせました。
井上恵美子(以下、恵美子) 私は3歳から児童向け雑誌やおもちゃ広告のモデルをしていたのですが、グループには事務所からの推薦でオーディションを受けて参加しました。
宮澤寿梨(以下、寿梨) 私も母が応募したので、何のことやらさっぱりでした(笑)。
――プロデュースは秋元康氏が手がけ、グループ名は彼が以前にプロデュースした「おニャン子クラブ」の妹分として「ねずみっ子」と命名。当時デビューしたメンバーには、タレントの仲根かすみさんも在籍していました。当時から寿梨さんと恵美子さんは仲が良かったのですか?
寿梨 はい。恵美子のお母さんにもとても良くしていただきました。親同士も仲が良くて、私の実家は長野だったので、東京に住む恵美子の家に泊まらせてもらって、そこから仕事に通うことが多かったです。
――当時、私はテレビ越しにその“セクシー”に衝撃を受けて、親から「ほら、同い年でこんなに輝いているぞ」と比べられた苦い記憶があります(笑)。恵美子さんはグループ卒業後、モデルとして活躍されていたそうですね。
恵美子 18歳まではティーン誌やブライダル誌を中心に、モデルの仕事を続けていました。大学進学と同時に少しずつ活動をセーブし、20代前半で結婚。ミュージカルが大好きで、宝塚に憧れていた時期もありましたが、バレエ必修という壁にぶつかって断念しました(笑)。
――バレエは苦手だったのですね。
恵美子 20歳の頃、友人に頼まれて初めて司会台本を手にしたことがきっかけで、「しゃべるのは苦手だったはずなのに、意外と楽しい!」と感じて、そこから司会の仕事を本格的に始めました。気づけばもう20年以上、ブライダルや企業のイベントを中心に司会を続けています。通販番組にもモデルやゲストとして出演したことがあります。
――現在は中学生と小学生、3人の子どもの母として、家庭と仕事の両立に奮闘中だそうですね。
恵美子 子どもたちはSNSの使い方にとても詳しくて、「じゅりえみ」のSNS運用について、いつも教えてもらっています!
またステージに立つ?”をきっかけにユニット誕生

――寿梨さんといえば、98〜99年放送のスーパー戦隊シリーズ『星獣戦隊ギンガマン』(テレビ朝日系)のギンガピンク役が代表作。当時は10代でグラビアアイドルとしても注目されました。
寿梨 グラビアのお仕事をしたり、オリジナル・ビデオ作品『亡霊学級』で主演を務めさせていただいたりと、すごく貴重な経験をさせていただきました。『ギンガマン』の1年間も撮影尽くしでとにかく大変でしたが、今となっては本当に多くを学ばせてもらったと思っています。
――『亡霊学級』は73年に「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で不定期連載された、つのだじろう作のオカルトマンガが原作です。テレビ番組『ほんとにあった怖い話』(フジテレビ系)や映画『予言』(2004年)などで知られる“ホラーの父”・鶴田法男監督が、96年に実写化。30年近くの時を経て、24年にリバイバル上映されました。
寿梨 オリジナル・ビデオ作品だったのですが、コアな監督ファンの方々が「映画館で観たい」と言ってくださって、監督もずっと何とか実現できないかと考えていたようです。ついに劇場での上映が決まったときに、「舞台挨拶に登壇してもらえますか?」と鶴田監督からDMでオファーをいただきました。そして実際に劇場へ行ってみると、たくさんのお客様がいらして……。あのときは感動しました。
――寿梨さんが35歳で復帰を決意されたきっかけが、配信番組『超次元電視いと、まほろば』だったとか?
寿梨 全然、決意とはほど遠いですよ(笑)。友人の柴田かよこに「特撮好きが集まる配信番組があるから出てみない?」と誘われて、16年にゲスト出演したのがきっかけで、気づけばレギュラーになっていました。そして、来年(2026年)で10年続く番組になります(笑)。16年が私の“再始動元年”で、24年に恵美子と合流して「じゅりえみ」が誕生しました。

――結成に向けて、大きな目的や後ろだてがあったわけではなかったそうですね。
寿梨 恵美子と久々に飲んだときに、あまり深く考えずに「またステージに立つ?」と口にしたら、そのまま話が転がっていきました。
恵美子 最初は「冗談かな?」と思ったのですが、寿梨ちゃんの目がキラッとしていたので、「あっ、本気なんだ! だったら面白そう、やろう!」と誘いに乗りました。
寿梨 最初は、恵美子には子どももいるし、すごいお金を出してあげられるわけでもないし、仕事としても大変だろうからと遠慮気味に話していたんです。でも、始めてみたら、振り付けもしっかり覚えてきてくれたりして、「あっ、思っていた以上に本気なんだな」と感じました。むしろ、言い出しっぺの私より真剣に取り組んでいます(笑)。
遅くない! 40代からの挑戦

――小学6年生の頃からの間柄。気心の知れた相棒との“ノリ”がスタートだったわけですね。
寿梨 ユニット名をどうするかという話になったとき、「エミジュリじゃない?」と、言ったんですけど、「ジュディマリ(JUDY AND MARY)みたいだから、“ジュリエミ”がいいんじゃない?」と、焼き鳥屋で決めました(笑)。
――かつて小学生アイドルだったお2人が、40歳になって新しいアイドルの形として、再びエポックメイキングになり得る。そのステージは、同世代やあらゆる世代に「まだ遅くない」と勇気を与えてくれますね。
寿梨 いざ、「何をやろうかな」と考えたとき、ねずみっ子クラブ時代に歌っていた先輩(おニャン子クラブ)の曲や、私たちが当時ライブで歌っていた曲をYouTubeで改めて見たんです。そしたら、当時のファンの皆さんがすごくパワフルに応援してくれていて、「ああいう感じを40〜50代になっても一緒に楽しめたらいいな」と思ったんです。だから、みんなが知っている曲をあえてカバーして、パフォーマンスしていきたい。それがベースですね。将来的にはオリジナル曲もやっていきたいです。

恵美子 今は「流しのじゅりえみ」ということで、飲食店などに突然お邪魔して曲を披露する企画をやっています。私たちのことをまったく知らない人たちにも楽しんでもらえる空間を共有して、SNSのアカウントをフォローしていただくという流れですね。
寿梨 40代からの挑戦は、“できる・できない”ではなく、“挑戦そのものを楽しむ”ことが大切だと思っています。ライブ会場で年齢も肩書きも飛び越えて笑い合えたら、それが最高の成功だと思います。
(構成・文・写真=髙坂雄貴)