話題の新刊『爆弾犯の娘』梶原阿貴が語る、指名手配犯だった父親との葛藤の日々

指名手配犯・桐島聡の49年間にわたる潜伏生活を追った高橋伴明監督、毎熊克哉主演映画『「桐島です」』が劇場公開中だ。1974年~75年に起きた一連の連続企業爆破事件に関わった桐島が「内田洋」という偽名を使って過ごす逃亡生活が、リアリティーたっぷりに描かれていることに驚かせられる。
逃亡犯の日常生活を克明に再現できたのには、理由があった。脚本家の梶原阿貴氏は6月24日に初めての自伝『爆弾犯の娘』(ブックマン社)を刊行しており、1971年に起きた「新宿クリスマスツリー爆弾事件」の犯人グループに父親が所属していたことを明かしている。
少女時代の梶原氏は、自宅マンションに隠れていた父親と小学校を卒業するまで一緒に過ごしている。母親は手芸店を営み、父親の本名は知らされず、枕元には大事なものを詰め込んだボストンバッグをいつも用意し、学校の友達にも父親がいることはいっさい秘密……という奇妙な生活だった。
将来を嘱望された舞台俳優ながら、活動家となった父親のことを嫌いつつも、自身も俳優の道を選び、脚本家として父と同じように逃亡生活を送り続けた桐島聡の生涯を脚本化した梶原氏に、「活動家二世」としての愛憎渦巻く心境を語ってもらった。
――『「桐島です」』は高橋伴明監督と『夜明けまでバス停で』(2022年)に続くタッグ作です。今回、伴明監督から「5日間でシナリオを書け」と無茶ぶりされたそうですね。
梶原 『夜明けまでバス停で』のときに、伴明監督には自分の父親のことを話していました。それもあって、「お前なら爆弾犯の日常生活を書けるだろう?」と振られたんです。「逃亡犯の家族の『あるある』を書けばいいんだ」と(笑)。
――『「桐島です」』のシナリオを書き終えて、『爆弾犯の娘』を執筆したわけですね。自分自身の父親のことを書いてみたいと思うようになったんでしょうか?
梶原 いや、思ってはいませんでした。本名で仕事しているので、父親の素性を明かしたらどんな嫌がらせがくるか分かりません。でも、いつか自分のことを書いてみたいなとは思っていました。あくまでフィクションとして発表しようと考えていたんです。しかし、それだとフックが弱いんですよね。「実話です」と言ったほうが威力があります。『「桐島です」』の企画プロデューサーである「ブックマン社」の編集者・小宮亜里さんから背中を押されて、映画の公開に合わせて出版することにしたんです。
――腹を括っての執筆だったんですね。
梶原 そうです。まだ両親とも生きているので、どんな迷惑が及ぶか分かりませんし。両親には事前に許可をもらいました。母親は「これまでさんざん迷惑をかけたんだから、あんたのやることを嫌だとは言えないでしょ。煮るなり焼くなり、好きにしなさい」と。父も同意してくれました。

指名手配書で並んでいた父親と桐島聡の写真
――小学校から戻ると、父親がいつも自宅にいた。母親と自分が外出中に音がしないよう水洗トイレを流さないため、トイレはいつも臭いが立ち込めていた……、など少女時代の様子がリアルに描かれています。
梶原 当時は本当に父親のことが嫌でした。「この人がいなくなればいいのに」とずっと思っていたんです。でも、父に対する不満を口にすると、母から叩かれました。小学校時代の私は父が逃亡犯であることを知らずにいたんですが、父を庇う母の様子からも「この2人には人には話せない、特別な秘密があるんだな」とは思っていました。
――いつもは明るく優しいお母さんですが、「我が家の掟」が厳しく決められていた。「家の住所は教えない。友達を家に連れてこない。110番には電話しない。学校で『君が代』を歌う場面があっても歌ってはいけない」など独自のルールを、少女時代の梶原さんは守らなくてはいけなかった。秘密ごとの多かった阿貴さんが、友達と「こっくりさん」をして、「阿貴のお父さんは本当はいる」と言い当てられるエピソードなど、少女時代の体験が梶原さんの記憶の中で今も鮮明に息づいていることを感じさせます。
梶原 こっくりさん、小学校のときに流行していたんです。自分では10円玉が「いいえ」のほうに行くように指で押していたんですが、なぜか「はい」のほうに動いてしまった。「あっ、こっくりさんには父親のことがバレているんだ」と驚きました。あれは、一体なんだったんでしょうね。
――一時期、交番に張り出されていた指名手配写真で、梶原さんのお父さんと桐島聡が並んで張り出されていたそうですね。
梶原 はい。『爆弾犯の娘』のカバーのイラスト(宮坂猛さん挿画)は、それを描いたものです。映画『太陽を盗んだ男』(1979年)で新宿コマ劇場前の派出所が映るんですが、そこでも桐島さんの隣に父の指名手配写真が並んでいる様子が映っています。
――父親と一緒に外出したのは、小学校最後の運動会の直前にリレーの練習をするために夜の公園へ出かけた一度きり。小学校を卒業すると、お父さんは警察に出頭することに。父親なりに、ひとり娘のことを想っていたことが伝わってきます。
梶原 父は時効停止状態だったので、いくら逃げ続けても時効にはならなかったんです。それで諦めて、私が中学に進学するタイミングなら、名前が変わり、生活環境が変わっても多少はストレスが軽減されるだろうと両親は考えたみたいですね。
――中学進学後は、嫌っていた父親と同じ俳優の道を目指すことに。
梶原 警察に自首した父は裁判を経て、刑務所で過ごすことになりましたが、調べてみると逃亡前の父は、蜷川幸雄演出の舞台に準主演クラスで出演するなど、俳優として活躍が期待されていたことが分かったんです。明るい将来があったはずなのに、自分の道は諦めてしまった。無念だったとは思うんです。それで「じゃあ、私が代わりになってやろう」と。近所のおばさんから「あなた、宝塚に行けばスターになるわよ」などと煽(おだ)てられたこともあり、勘違いしてましたね(笑)。
――中学1年生で若松孝二監督と対面し、芸名を考えてもらったなどのエピソードもすごい。
梶原 初めて会った映画人が、若松監督でした。下ネタばかり言うので、「日本の芸能界はろくなもんじゃないな」と思いましたね(笑)。若松監督の『パンツの穴3』(1990年)で女優デビューしたんですが、その後でオーディションで選ばれた『櫻の園』(1990年)が公開されると、若松監督は『櫻の園』がデビュー作だと言えとアドバイスしてくれたんです。若松監督なりに、私のことを考えてくれてたみたいです。

「やさしさを組織せよ」は今の時代に求められる言葉
――『「桐島です」』の脚本ですが、主人公の桐島はやはり梶原さんの父親像が投影されているように感じます。
梶原 そうかもしれません。でも、父は指名手配犯だったにもかかわらず母にプロポーズして、私が生まれたわけです。父も母も、どうかしてますよね。その点、桐島さんはすごく真面目だった。なので、父が母と出会わずに、そのまま逃げ続けていたらどんな生活を送っていたんだろうかと想像して書いたんです。桐島さんも父も、同じ21歳のときに事件を起こし、逃亡生活を始めています。父は母にプロポーズした上に、母を働かせてヒモ状態の生活を送っていました。外出せずに、自宅に篭(こも)っていれば、それは見つかりませんよね。それに対し、桐島さんは工務店の作業員としてずっと働き続けた。桐島さんと同じグループにいた宇賀神寿一さんは新聞配達員として働き、逮捕されています。出所した宇賀神さんからも話を聞きましたが、宇賀神さんが逃亡する際に桐島さんは実家から届いた仕送りの半分を渡したそうです。とても純粋な人だったんだなと思います。
――『「桐島です」』のような実話ベースの映画が公開されると、「犯罪者を美化するな」と非難する声が挙がります。
梶原 あれだけの大事件を起こした犯罪者をなぜ英雄視するんだという声が必ず出ますよね。8人の死者を出した「三菱重工爆破事件」の犯人と勘違いしている人が多いみたいですが、桐島さんは「三菱重工爆破事件」の後から加わっています。彼が関わった事件では死者は出ていません。人がいない時間帯を狙って爆破事件を起こしていたんですが、一度だけ怪我人が出たことにはすごく苦しんでいたそうです。でも、批判する人たちは、映画は観ないで批判する。なぜ、50年前に起きた事件の犯人についての映画をこのタイミングで公開するのか。それはすごく大事なことだと思っています。
――彼らがやろうとしていたことは、血を流さない非暴力の社会革命だったと。
梶原 そうだと思います。宇賀神さんが「やさしさを組織せよ」という言葉を追悼文に書いていますが、その言葉を見つけたときに「これだ!」と思い、伴明監督にすぐに見せに行きました。伴明監督もすごく同意してくれました。ここ数年、在日外国人に対するヘイトが強まっていますよね。まだ社会のことをよく分かっていない若者は、外国人ヘイトに賛成してしまいがちです。でも、桐島さんが生きていたら、外国人ヘイトにはきっと反対の立場だったと思います。毎熊さんは桐島さんと同じ広島出身ということもあって、大学生時代はまだ備後弁が抜けてなかったんじゃないかなど、細かく役作りして桐島聡になりきってくれています。「毎熊さんってかっこいいよね」というきっかけでかまわないので、まず『「桐島です」』を観てもらいたいんです。爆破行為という手段には同意できなくても、彼らは何のためにやろうとしていたのかを考えてもらえればと思うんです。

最新作『また逢いましょう』も父と娘の物語に
――7月18日(金)からは介護問題を題材にした『また逢いましょう』も公開されます。主人公・優希(大西礼芳)の父親(伊藤洋三郎)は崖から落ちて重症を負い、介護生活を余儀なくされます。『夜明けまでバス停で』に登場したホームレスのバクダン(柄本明)と同様、こちらも梶原さんの父親がモデルですね?
梶原 『「桐島です」』と『また逢いましょう』は、同時期に脚本を書いていたんです。父の出所後、私たち家族は解散し、父とは四半世紀ほど連絡が取れない状態でしたが、10年前に母の実家に姿を見せ、母と一緒に暮らすようになりました。それから1年も経たないうちに、父は崖から落ちて、介護施設で暮らすようになったんです。父は施設でもうまいことやっていて、先日はケアマネージャーの方が休みの日に映画館へ連れていってもらったそうです。『「桐島です」』を観て、帰りにウナギを食べたよ、と軽い感じで言ってましたね(笑)。
――脚本家デビュー作となったのが、TVアニメ『名探偵コナン』(日本テレビ系)だったというのも印象的です。江戸川コナンも、自分の正体を周囲に隠していますよね。
梶原 言われてみれば、確かにそうですね。脚本を書き始め、知り合いのプロデューサーや制作会社に持ち込んでいたんですが、売れなくなった女優が書いた脚本と思われて、相手にされなかったんです。アニメなら、女優としての過去は関係なしで読んでもらえると考え、『名探偵コナン』のシナリオコンペに応募したところ、採用されることになったんです。
――『また逢いましょう』では、梶原さんの女優時代に『櫻の園』で共演した中島ひろ子さんが介護施設のベテラン職員を演じています。イノセントだった少女たちがすっかりタフな大人の女性に成長したことが感慨深いです。
梶原 『櫻の園』で共演したみんなとは、その後もずっとつながっていて、『爆弾犯の娘』が出版されてすぐに読んでくれました。「知らなくてごめんね」と謝られましたね。別に誰も悪くないのに(笑)。
――お父さんのことをカミングアウトし、いろんなことがここに来て結びついているんじゃないでしょうか。
梶原 本当にそうですね。これから、私は何を書けばいいんでしょうか(笑)。

『爆弾犯の娘』
著者/梶原阿貴 出版/ブックマン社
(c)梶原阿貴/ブックマン社 2025
(構成=長野辰次)

映画『「桐島です」』
監督/高橋伴明 脚本/梶原阿貴、高橋伴明
出演/毎熊克哉、奥野瑛太、北香那、原田喧太、山中聡、影山祐子、テイ龍進、嶺豪一、和田庵、白川和子、下元史朗、甲本雅裕、高橋惠子
配給/渋谷プロダクション 新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
(c)北の丸プロダクション
https://kirishimadesu.com/

映画『また逢いましょう』
原案/伊藤芳宏 脚本/梶原阿貴 監督/西田宣善
出演/大西礼芳、中島ひろ子、カトウシンスケ、伊藤洋三郎、加茂美穂子、田川恵美子、神村美月、梅沢昌代、田中要次、田山涼成、筒井真理子
配給/渋谷プロダクション 7月18日(金)よりアップリンク京都、シネ・ヌーヴォ、7月19日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開
(c)Julia/Omuro
https://mataaimasho.com/
梶原阿貴(かじわら・あき)
1990年、映画『櫻の園』で俳優デビュー。主な出演作に『青春デンデケデケデケ』(1992年)、『M/OTHER』(1998年)、『のんきな姉さん』(2004年)、『ふがいない僕は空を見た』(2012年)など。2007年にTVアニメ『名探偵コナン』(日本テレビ系)の「消えた1ページ」で脚本家デビュー。『夜明けまでバス停で』(2022年)では、キネマ旬報ベスト・テン日本映画脚本賞などを多くの賞を受賞した。