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週刊誌スクープ大賞

「10年で約3倍」激増する東大の中国人留学生 疑惑の斡旋の黒幕は東大職員?

「10年で約3倍」激増する東大の中国人留学生 疑惑の斡旋の黒幕は東大職員?の画像1
東大(写真AC)

今週の注目記事・1「“疑惑の中国留学生斡旋”黒幕は東大職員だった」(『週刊文春』7/24日号)
同・2「参政党の政策&憲法草案を徹底検証」(『週刊文春』7/24日号)
同・3「外国人政策『4つの大問題』」(『週刊新潮』7/24日号)
同・4「藤島ジュリー景子が『ラストインタビュー』で初告白した『嵐』『SMAP』『ジャニー喜多川』『歪な母子関係』」(『週刊新潮』7/24日号)
同・5「トヨタ会長が読売社長に苦言『センチュリー引き上げ』騒動の全内幕」(『週刊新潮』7/24日号)
同・6「阪神独走 藤川監督の放任がサトテルを覚醒させた」(『週刊文春』7/24日号)
同・7「女子プロゴルフ界の新星が17歳年上のバツイチ社長と真剣交際 一緒にタワマンへ」(『FRIDAY』8/1日号)
同・8「米作り芸能人6人 汗と愛情の詰まった新米プレゼント!」(『FLASH』7/29・8/5日号)
同・9「死にたくなければ『のど』を鍛えなさい」(『週刊ポスト』8/1日号)

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 このところ文春の誌面に精彩がない。今週は、文春の巻頭特集「『自公で45議席取れれば……』石破茂が錯乱した!」を取り上げていないが、こんなことは初めてだろう。

 日曜日に参院選の投開票があり、多くのメディアが予測したとおりに自民党は38議席しか取れなかった。公明党も8議席で、参院も過半数割れとなった。

 それでも石破は、各テレビ局にまんべんなく出て、「続投する」といい切った。今後、党内から引きずり降ろそうという勢力が出てくるか注目だが、おそらく出てこないのではないか。

 衆参共に過半数割れでは、誰がやっても苦しい政権運営になるのはわかりきっているからだ。

 それにしても、最近の文春はどうしたことだろう。

 今週の大きな読み物は、ドン・キホーテ創業者の安田隆夫(76)の最末期がんの告白。内容はなかなか読ませるものだが、左トップというのはな~。

 歌手・加藤登紀子の連載インタビューというのも、文春がやらなくてもと思ってしまう。

 何も、毎号不倫スクープを載せる必要はないが、文春らしい切れ味の特集を読んでみたいと思うのは私だけではないだろう。

 私の友人は、「文春は朝日新聞になってしまった」と指摘する。報道メディアとして世間的に認知されたが、朝日同様、守りに入り、記事がつまらなくなってしまったというのである。

 週刊誌から「破天荒さ」や「胡散臭さ」がなくなっては、もはや週刊誌ではない。

 最近は、不倫をスクープしても、「社会性がない」「他人のプライバシーに手を突っ込むべきではない」という批判がSNSを中心に巻き起こる。

 昔の週刊誌なら、「そんなら読むな!」とケツをまくれたが、今の文春ではそうはいくまい。

 スクープを連続しても部数は落ちていく。編集部の士気は上がらない。社の内部からも「不倫文春」と囁かれているのかもしれない。

 しかも文藝春秋社の経営はなかなか厳しい。社屋を建て替えしたいといわれているそうだが、その資金が……。

 文春がかつてのような活気を取り戻すにはどうしたらいいのか。いま一度立ち止まって考えるべき時期ではないか。

 さて、最初の記事はポストの年寄り向けの健康記事である。

 死にたくなければ「のど」を鍛えろというものだが、私のような老人には切実な問題である。中でも「誤嚥性肺炎」予防は、生死を分けるといっていいだろう。

 汚い話で恐縮だが、夜、寝ている時、たんが絡まって出そうと思うが、なかなか出ない。ゼエゼエやっているうちにたんが気管支に入りそうになる。

 慌てて起きて、精一杯、声を出して吐き出すが、もし起きれなかったらと思うと気が気ではない。

 私は今、週2回、リハビリのための運動をする施設に通っているが、そこでも誤嚥性の話になり、口の「パカタラ」運動をする。

 これは、パ、タ、カ、ラと大声でいうだけなのだが、これが誤嚥性肺炎を予防するにはいいというのだ。

 ポストでも横浜弘明寺呼吸器内科、内科クリニックの三島渉理事長が、

「『パカタラ体操』は口の周りや舌、のどなど『食べる、飲み込む』うえで重要な筋肉を鍛えることができます。

『パ』は唇を閉じる力を強化し、食べこぼし予防にもつながる。『タ』は舌先の力を鍛えて食べ物を運ぶ力を強化。『カ』はのどの嚥下反射を高めます。『ラ』の発音は舌全体の柔軟性を高め、活舌の向上にもつながります」

 このほかにも、「あいうべ」体操というのもある。こちらには口臭予防効果もあるそうだ。

 年寄りって忙しいんだよ。

 お次はFLASHの米作り芸能人たちの紹介と、彼らの作ったお米を読者に進呈するという好企画。

 だが、米作りをしている芸能人って多いんだね。

 あの雑誌「LEON」で「ちょいワルおやじ」として有名になったパンツェッタ・ジローラモ(62)は妻の実家である福島県会津美里町で、有機栽培のコシヒカリなどを生産。それらを「GIRO米」としてブランド化しているというのである。

 夫の遺志を受け継いで千葉県鴨川市の「鴨川自然王国」の周辺の棚田でコシヒカリを作っているのは歌手の加藤登紀子(81)。

 大桃美代子(60)は、実家のあるコシヒカリの本場、新潟魚沼でカブトエビ米を作っている。

 永島敏行(68)も千葉県芝山町で米作り。もう30年以上になるという。神取忍(60)、パークマンサー(47)も米作りに励んでいる。

 私は米作りは手伝えないが、米の炊き方やうまい米のお供を作るのは得意。誰か、コシヒカリの新米を送ってくれないかな。もうずいぶん、コシヒカリとはご無沙汰だな。

 さて、何かと噂の多い女子プロゴルフ界だが、今度は青木という期待の“新星”が、ずいぶん年上のおっさんと真剣交際していると、フライデーが報じている。

「うだるような暑さが続いていた7月上旬のある夜、都内のカフェのオープンテラスで一組のカップルが向かい合って座っていた。周囲の喧噪をヨソに女性は終始俯きがち。食事を終えると女性――プロゴルファーの青木香奈子(25)はハンカチで目元を押さえ、男性を見つめる瞳がみるみる赤くなった」という。

 25歳の新人とはだいぶ年を取っているようだが、フライデーによれば、「青木は昨年、6度目の挑戦でプロテストに合格した苦労人です。その一方でアマチュア時代から知名度はバツグン。インスタグラムのフォロワー数は10万人超え、デビュー前から9社とスポンサー契約を結ぶ大型ルーキーとしてゴルフ界注目の存在です」(ゴルフ雑誌編集者)

 この日、彼女は「資生堂・JAL レディスオープン」に出場したが、4オーバーで予選落ちしたという。そんな失意の彼女を愛車のテスラで迎えたのが件の男性だったというのである。

 その後2人は近くのタワマンへと消えていったそうだ。

 どんな人物か?

「アパレル会社を経営するA氏です。会社の年商は10億円以上。青木は’23年の春、キャディーとして働いていた宮崎県のゴルフ場で17歳年上のA氏と知り合い、関東で活動するための資金を援助してもらったと聞いています。確か、A氏は結婚していたと思うのですが……」(同)

 青木側は、「お付き合いしている」と言明し、Aのほうも「私は離婚しており、交際している」と認めた。

 青木プロは、優勝より一足早く、人生のホールインワンを決めそうだという。

 ところで、ドジャースの大谷翔平の活躍で、すっかり忘れられた感のある日本のプロ野球だが、振り返ってみれば、セリーグは阪神が独走態勢で、パリーグは日ハムが首位という珍事?

 特に阪神の強さは今のところ図抜けているようだ。だが、監督の藤川球児(44)は今年監督に就いたばかり。

 特別な監督の才があったとは思えないのだが、この快進撃はなぜだ?

 文春で2022年に阪神で打撃コーチを務めた藤井康雄(63)がこう話す。

「十二球団で唯一、チーム防御率一点台を保っている投手陣でしょう。村上頌樹や才木浩人、伊藤将司に加え、今シーズンから加入したデュプランティエもリーグトップの百五奪三振と好投している。先発陣に目が行きがちですが、石井大智や湯浅京己、岩崎優らのリリーフ陣も安定しています」(いずれも13日時点、以下同)

 1995年から2003年まで阪神のピッチャーとして活躍した川尻哲郎(56)も、こう太鼓判を押す。

「左肘手術のリハビリを終えた髙橋遥人も一軍に復帰するし、他のチームからみたら羨ましい限りの先発陣。中継ぎ陣も良い投手が揃っているから球児も無理して完投させず、休ませながら使っている。外国人助っ人投手に頼らず、ゲームを作れる日本人ピッチャーが揃ってきたのは阪神の地力がついてきた証拠です」

 エモヤンこと江本孟紀(77)はこう分析する。

「投打のバランスが六球団で一番優れている。交流戦で七連敗したときは危ないかなと思ったが、大きく崩れることはなかった。すぐに打順をテコ入れするなどむやみにいじらないから選手にも波が出にくいのでしょう」

 投手陣は盤石のようだが、打のほうでも3番の森下翔太と4番の佐藤輝明が好調。

 サトテルは入団当時は単なる「扇風機」だったが、それでも自分流を崩さなかったという。

 甲陵中学校の軟式野球部時代に、顧問兼監督だった西川和秀が回想する。

「当時は百七十センチもなく、小柄だったんです。それでも小学校のときから桁外れの実力だったので名は知れ渡っていました。マイペースだけど自分のやりたいことはやる。アッパースイングだろうが自分のやりたいようにやる子でした。昼休みになったら、サッカーボールめがけて一番に走っていましたね。『そんなに足速かったか?』って思うくらいに」

 2年目の佐藤の指導にあたった前出の藤井がこう話す。

「打ってもハイテンションにならないし、打てなくても落ち込まない。気持ちが安定している選手でした。けれど正直、当時は全然練習せぇへんなって(笑)。センスだけでやっている感じ。今年はボール球に手を出さなくなったのが大きな成長でしょう。右足のステップもすり足気味になり、コンパクトなスイングでボールをスタンドまで運べるようになった」

 優勝間違いなしといえそうだが、その阪神から子ども扱いの阿部巨人は早くも諦めたのだろうか。

 あの1996年、巨人は広島に11.5ゲーム差を付けられていたが、逆転優勝した。長嶋茂雄監督の「メイクドラマ」を現実のものとしたのである。

 諦めるのはまだ早い。可能性がある限り、精一杯死力を尽くす。それが長嶋の野球であったはずだ。今の巨人の選手には響かないのだろうな。

 お次は新潮から。

 角界から退いた白鵬を応援するトヨタ自動車の豊田章男会長は、6月12日に開催された株主総会で、こう発言したという。

「国技である相撲を支えてきた大横綱。こんな終わりはないよね、というのが正直な気持ち」

 と語り、

「相撲協会に貸与しているセンチュリーを一度、引き取ることも考える」

 と付け加えたというのだ。

 このセンチュリー、巨漢の力士が乗っても沈まないよう特別仕様だという。

 白鵬が角界から退くということを聞いた豊田会長は、相撲協会外部理事で協会に影響力があって面識にある山口寿一読売新聞社長に苦言を呈したという。

 その後、トヨタ会長は、「山口社長何もわかっておらず、失望した」といっていたそうだ。

 その豊田会長に直訴したのが、相撲協会との関係をこれ以上悪化させたくない白鵬だったというのである。

「後輩の現役力士何人かから、優勝してあのセンチュリーに乗るのが夢と言われています」

 それならとトヨタ会長は矛を収めたというのだ。

 天下のトヨタ会長でも、白鵬には弱いようだ。これほど人たらしなのに、相撲協会の年寄りにはそれが通じなかったようだ。よほどウマが合わなかったのだろう。

 さて、旧ジャニーズ事務所社長だった藤島ジュリー景子が『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』(新潮社刊)という本を出した。

 新潮の名物編集者で重役の中瀬ゆかりが絡んでいるようだが、正直、新潮がこんな本を出したのに驚いた。

 大体、ジュリーが本当のことをいうわけはない。いえば、彼女の身の破滅になる。

 インタビュアーの人選もどうなのか? 小説『イノセント・デイズ』などで知られる作家・早見和真(48)だが、彼はどこまで芸能界を知っているのだろうか。

 まあいい。そう思ってインタビューを見ていこう。

「謝罪動画を公開した際、ジュリー氏は同時に文書も公表している。そこにはジャニー氏の性加害について、〈知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした〉との一文がある。なぜ知らなかったのか、と早見氏に問われ、ジュリー氏はこう返している。

『文春裁判の結果を受けたあとも、深く知ろうとしなかったからです。それが私の最大の過ちです』

『本当にその点に尽きるんですかね。知ろうとしなかったことって、こんなに糾弾されなければいけないことですか?』」

 ジュリーの認識の甘さがここで出ている。

 ジャニー喜多川のやったことは、ジュニアたちへの重大な性加害で、犯罪である。知ろうとしなかったでは済まされない。

 しかも、ジャニー喜多川は母親のメリーの弟なのである。知ろうとしなくても、正常な神経を持っていたら、知り得たはずである。

「『それでも、私は自分から知ろうとしなかったので。私の生きる術(すべ)だったんです。深追いして傷つくことを恐れて、知らない方がいいと思ってしまう。はぁ……。それは今回の件に限らず、私は万事そうなんです』

1999年から00年にかけて『週刊文春』はジャニー氏のセクハラ疑惑について連続追及。この記事を巡る名誉毀損訴訟では、最終的に文春側に120万円の賠償を命じた東京高裁判決が確定したものの、セクハラについては事実と認定された。ジュリー氏の言う『文春裁判』とはそのことである」

 ジュリーはあくまでもジャニー喜多川とは親しく話す対象ではなかったと主張する。

「さらに意外なのは、ジャニー氏との関係が極めて希薄だったという点だろう。

『小さい頃に限らず、二人でご飯を食べたことは一度もありませんでした。印象に残っていることでいえば、「少年隊」がデビューする前に、アメリカでいろいろなショーに出そうとしたことがあったんです。その時期に通訳として一緒に連れていかれたことがありました。そのときにしゃべることはありましたが、そのくらいですかね』

『向こうに滞在していた期間はどれくらい?』

『ニューヨークにはわりと頻繁に行っていました。1週間か2週間ずつ、計3~4回みたいな感じだったと思います。向こうの朝のワイドショーに出していただいたりとか、ジャパンフェスみたいなところでパフォーマンスをしたりだとか。さすがにジャニーがすべてを一人でこなすことはできなかったので、英語を話せる人間としてまだ高校生か大学生だった私が連れていかれたという感じです』」

元木昌彦

編集者。「週刊現代」「FRIDAY」の編集長を歴任した"伝説の編集者"。

元木昌彦
最終更新:2025/07/23 18:00