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『金ロー』を独自視点からチェックする!【61】

賛否が割れた細田守監督の『バケモノの子』 すべて台詞で説明する親切心がアダに

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「あんなやつ、死んでしまえと言えばいい」という田原総一朗の収録中の発言がそのまま放送され、BS朝日の討論番組が放送打ち切りとなりました。90歳を超える田原総一朗ならずとも「あんなやつ、死んでしまえ」と心の中で思ったことは誰しもあるのではないでしょうか。

細田守監督の現時点でのベスト作はこれだ!

 若い世代なら、なおさらでしょう。でも、実際に口にすると舌禍を招くことが分かっているので、毒リンゴは心の奥に仕舞っておきます。溜め込みすぎると自家中毒になるので気をつけたいところです。

 心と体のバランスの取り方を教えてくれる先生が身近にいればいいのですが、学校の教師も塾の講師も進学先のことしか気にしません。「こんなメンターがいてくれたらなぁ」という現代人の願望を物語化したのが、細田守監督の異世界ファンタジー『バケモノの子』(2015年)です。

 SFアニメ『時をかける少女』(2006年)から、『サマーウォーズ』(2009年)に『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)と順調に評価を高めてきた細田監督。『バケモノの子』は興収58.5億円の大ヒット作となりました。しかし、大ヒットの反面、作品内容は賛否が分かれています。

 11月14日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される『バケモノの子』は、どこが賛否の割れるポイントになったのか見てみましょう。

異世界で修行に励む主人公

 物語の主人公は、9歳の少年・蓮(CV:宮崎あおい)です。両親が離婚し、母親に引き取られましたが、母親は交通事故で亡くなります。親戚に引き取られるのが嫌だった蓮は、渋谷の雑踏へと逃げ込みます。

 裏通りに身を潜めていた蓮の前に現れたのは、熊のバケモノの熊徹(CV:役所広司)でした。武術の達人である熊徹は弟子を探していたところでした。蓮は「九太」と名づけられ、バケモノたちが暮らすもうひとつの渋谷「渋天街」で暮らし始めるのでした。

 熊徹は武術の腕はいいものの、教えるのが超下手くそでした。「胸の中の剣を握るんだ」など、説明がとても抽象的です。そこで考えた九太は、熊徹の動きを真似ることで武術の基礎を身につけていきます。ぎこちないながらも、少しずつ師弟関係が築かれていきます。

 九太が強くなっていくのと同時に、熊徹の技も磨かれたものとなっていくのでした。

 九太が武術をマスターしていく過程は、ジャッキー・チェン主演作『ドランクモンキー 酔拳』(1979年)やハリウッドの人気作『ベスト・キッド』(1985年)などを思わせ、男の子たちが大好きな世界となっています。ぶっきらぼうだけど、根は優しい熊徹は、黒澤明監督の時代劇『七人の侍』(1954年)に出ていた三船敏郎をモデルにしているそうです。

細田守監督が描く、理想の「父性」像

 成長した九太(CV:染谷将太)は熊徹と大ゲンカしたことから、人間の世界に久しぶりに戻ります。図書館で『白鯨』を読んでいたところ、九太は女子高生の楓(CV:広瀬すず)と知り合います。一方、バケモノ界では長老・宗師(CV:津川雅彦)の後継者を決めるための闘技会が開かれます。熊徹の対戦相手は、武術と品格に優れたライバルの猪王山(CV:山路和弘)です。

 熊徹と猪王山との対戦で闘技場が盛り上がる中、猪王山の長男である一郎彦(CV:宮野真守)の心の闇が巨大化することに。バケモノ界のみならず、人間たちの渋谷も大パニックに陥ります。九太と楓は、モンスター化した一郎彦にどう立ち向かうのでしょうか。

 1990年代後半から急増した少年犯罪の凶悪化が、社会問題としてマスコミを賑わすようになりました。前作『おおかみこども』で我が子に絶対的な愛情を注ぐ母親の姿を描いた細田監督は、次のテーマに「父親」的存在の重要性を取り上げたわけです。

 細田監督自身は、父親が仕事で忙しくしていたため、あまり交流する機会がなかったそうです。アニメーションの中で、自分が思う理想の「父性」像を描こうとしたのではないでしょうか。

宮崎駿監督との微妙で複雑な関係性

 アニメーションの世界で、細田監督にとって「心の師」となったのは宮崎駿監督でしょう。宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)がきっかけで、細田監督はアニメの世界に魅了されました。スタジオジブリの入社試験を受けた際には、不採用だったものの、励ましの手紙を宮崎駿監督から個人的にもらっています。

 その後、スタジオジブリ作品『ハウルの動く城』に社外監督として抜擢されるも、途中降板という憂き目に遭います。宮崎駿監督をリスペクトするあまり、自分から助言を求めることが細田監督はできなかったそうです。しかし、そんな苦い体験をバネにして、細田監督は「ポスト宮崎駿」と呼ばれるようになっていきます。

 人間が異世界に紛れ込み、異なる名前で成長していくストーリー展開は、宮崎駿監督のメガヒット作『千と千尋の神隠し』(2001年)とよく似ています。「人間は心に闇を持つ」というモチーフは、宮崎吾朗監督のデビュー作『ゲド戦記』(2006年)と重なるものがあります。

 細田監督のオリジナル作『バケモノの子』は、細田版『ゲド戦記』のようにも感じます。口にはしていませんが、「宮崎駿の後継者として認められたい」という思いが細田監督の潜在意識の中にはあるのかもしれません。

ご都合主義と思われたクライマックス

 ヒットメーカーとしての宿命でしょうか。『バケモノの子』以降、細田監督への辛口コメントが増えつつあります。それだけ、若い世代にも作品が届いているんだと思います。

 批判が集中しているのは、九太と対立することになる一郎彦についてです。バケモノ界の優等生だった一郎彦ですが、猪王山の実の息子ではなく、人間界から赤ちゃんのときに来たという設定です。捨て子だった一郎彦を、猪王山が親代わりとなって育てたのです。

 一郎彦の心の闇が顕在化する展開が、クライマックスになっていきなり描かれるので、ご都合主義と感じた人たちが少なくなかったようです。一郎彦は自分がバケモノでないことがコンプレックスで、そのコンプレックスが暴走し「心の闇」を制御できなくなったのです。「人間は心に闇を抱えている」というバケモノたちの心配が的中したわけです。

 でも、一郎彦って赤ちゃんのときからバケモノ界で育っているから、「人間は心に闇を抱えている」という設定にモヤモヤしたものを感じるんですよね。心って環境によって育まれていくものですから。一見するとおおらかそうなバケモノの世界にも、差別や偏見があって当然でしょう。

 強いパワーを持つ者ほど、そのパワーを制御する方法もマスターしなくちゃいかんよ、ということでいいんじゃないでしょうか。「本当に良い刀は鞘に収まっているもの」という名台詞が、黒澤明監督の『椿三十郎』(1962年)にもありますし。

広瀬すず演じる楓の説教シーンがうざい?

 熊徹の悪友である多々良(CV:大泉洋)や百秋坊(CV:リリー・フランキー)といったサブキャラクターは、中島敦の『わが西遊記』をベースにしたようですが、バケモノ界の解説係としての役回りでしか活かされていません。それまでコラボしてきた脚本家の奥寺佐渡子さんからひとり立ちし、『バケモノの子』からは細田監督が単独名義で脚本を書くようになりました。そのため、どうもキャラクター造形が薄く感じられてしまいます。

 奥寺さんでなくても、他の脚本家に入ってもらうことを検討してもいいように思います。それこそ九太を弟子にした熊徹のように、世代や価値観の異なる相手と組むことで、細田監督が気づくことも多いんじゃないでしょうか。

 広瀬すずが演じた楓も、評判がよくありません。モンスター化した一郎彦に、初対面の楓が「誰だって闇を持っている」と説教を垂れるシーンがあるためです。若い世代に分かりやすいよう、細田監督は台詞でひとつひとつその場の状況や心情を説明しているのですが、やはりアニメーションは動きで語るべきだと思うんですよ。その点では、細田監督はまだまだ宮崎駿監督の領域には達していないように感じます。

 でも、不完全であることは素晴らしいことでもあるんじゃないでしょうか。それって、まだまだ伸び代があるってことですから。

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(文=映画ゾンビ・バブ)

映画ゾンビ・バブ

映画ゾンビ・バブ(映画ウォッチャー)。映画館やレンタルビデオ店の処分DVDコーナーを徘徊する映画依存症のアンデッド。

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最終更新:2025/11/14 12:00