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上原浩治、内海哲也、菅野智之、戸郷翔征が背負った“時代の重み” ファンの期待を一身に背負う巨人のエースの系譜

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上原浩治、内海哲也、菅野智之、戸郷翔征が背負った“時代の重み” ファンの期待を一身に背負う巨人のエースの系譜の画像1
来年はエースとして復活の期待がかかる戸郷翔征。(写真:Getty Imagesより)

 巨人という球団において、「エース」とは単に勝ち星を積み重ねる投手ではない。

 チームの象徴として語られ、時には指導者が作る文化の核心に触れ、ファンの期待を一身に背負う“球団の顔”でもある。

 その意味において、21世紀の巨人は、上原浩治、内海哲也、菅野智之、戸郷翔征という4人の投手によって、エース像を段階的に再定義してきた。

 それぞれの時代が持つ価値観、球団が求めた役割、NPB全体の潮流に応じて、異なる形で「巨人の投手」の理想を体現してきた存在である。

 本記事では、その系譜をより詳細に辿りながら、巨人がどのように「エースの意味」を更新してきたのかを読み解いていく。

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上原浩治──完成された即戦力の衝撃と完投文化の終盤のエース

 1999年の巨人は、王者としての存在感が薄れつつある中、再び覇権を手繰り寄せる象徴的存在を渇望していた。そんな時期に現れたのが、アマチュア時代から完成された投球術を武器に、ドラフト1位で入団した上原浩治である。

 入団初年度にして20勝4敗、防御率2.09、投手4冠に沢村賞、新人王……。これだけでも記録的だが、彼の存在が象徴的なのは「即戦力エース」としての圧倒的な再現性と安定感だった。

 球速は140km台でありながら、打者はなぜか降り遅れ、差し込まれた。回転効率が高く、軌道が伸びるストレートは、打者が「思ったより伸びてくる球」として認識するタイプの“見え方の良いボール”だったのである。

 さらに驚異的だったのは与四球の少なさだ。新人でありながら四球わずか24という異常値は、制球だけでなく「配球判断の質」「投球フォームの再現性」「投球中の精神的安定」が揃わないと実現できない。

 上原は技術・メンタル・戦略の3要素を高次元で安定させ、「1年目にして完成形エース」と言って良いレベルに達していた。

 また、1990年代後半は、まだ“エース=完投できる投手”という価値観が根強かった。抑えも今ほど役割が明確ではなく、先発が長いイニングを投げることが評価の中心だった。

 上原は完投数12を記録した1999年を象徴に、完投能力の高さで試合を任され、常に「投げきる」ことが求められた。

 当時の巨人の投手陣は層が厚いとは言えず、上原は“勝利の大黒柱”としてだけでなく、“チームの負荷を減らす役割”まで担っていた。現代野球では成立しない「先発投手が救援の負荷まで背負う」という構造を、上原は屈強なスタミナと制球の良さで支えたのである。

 ゆえに上原は、単なる新人スターではなく、完投文化終盤のエース像を投げて示した存在だった。

内海哲也──勤続と安定で原巨人黄金期を支えた“静かなエース”

 時代は2000年代後半へ移り、「打線の厚み」「継投の整備」「年間の再現性」を軸にしたチームづくりであり、先発投手には「長い回よりも安定」が求められ始めていた。

 その象徴となったのが、左腕・内海哲也である。上原のように圧倒的な存在感で打者をねじ伏せるタイプではないが、巨人の歴代投手でも屈指の安定感を誇った。

 2007〜2009年にかけての巨人は、阿部慎之助、坂本勇人、ラミレス、小笠原、2012〜2014年は、阿部、坂本、長野、村田修一らで構成された強力打線を武器に、試合の後半で勝ち越す形が多かった。

 そのため、先発投手は「序盤でビハインドを作らず、6回前後を投げ切る」ことがもっとも重要な役割となった。内海は、制球と投球術で序盤を乗り切り、中盤からはゴロを打たせて最小限の危険でイニングを進める“安定感のスペシャリスト”だった。この「計算できる」という価値が、当時の巨人が最も重視したポイントであり、内海はまさにチーム戦術と完全に一致する存在だった。

 内海は投手としての“派手さ”はない。だが、彼が投げる日の巨人は“普段通りの野球”ができた。これはエースとして極めて重要な要素である。

 原野球の特徴は、シーズンの中での再現性とロジックを重視した“長期戦仕様”の勝利モデルであり、内海はその中心に位置する投手だった。上原の時代のように「エースがチームを引っ張る」のではなく、「チームの勝利モデルを支える」ことが求められたエースだったのである。

菅野智之──沢村賞とMVPを複数回獲得した現代NPBの完成形エース

 そして巨人のエース像は、2010年代に再び大きく形を変える。データ解析、球質分析、トレーニング理論…現代野球が急速に進化するなかで、従来の「精神力と技術」だけでは勝てない時代が訪れた。

 その時代に、最も適応したのが菅野智之だった。菅野は常に“自分がどう見られているか”を理解し、コントロールできる投手だった。

 実際のところ、2017年、2018年の沢村賞、2014、2020、2024年のMVPは、技術と勝負勘が最高レベルで融合した結果であり、「この時代における最も合理的な勝ち方」を体現した投手だった。

 菅野が特異だったのは、どれかひとつの能力ではなく、「三振奪取・制球・イニング消化・試合支配・精神的安定」のすべてを高水準で兼ね備えていたことだ。

 さらに、年齢に応じてピッチングスタイルを変えながら、結果を残していた。そのため、2年連続で沢村賞を獲得した時期とMVPを獲得した3年はいずれも異なるピッチングスタイルを披露したのだ。

 また、分業制が進む中でも「完投能力」を持ち、分業に適応した「効率的な投球」もできた。チームが求める役割を柔軟に変えられる総合力において、彼はNPBでも歴史的に数少ない“万能型のエース”だったと言える。

 菅野の時代は、巨人が複合的な組み合わせをして勝つ文化を確立した時期であり、彼はその象徴だった。

戸郷翔征──“不調の2025年”を越え、現代野球のエースへ

 そして現代。巨人は再び、エース像が揺れ動く時代に直面している。先発投手は長いイニングを投げなくなり、救援陣との連携が戦略の中心へ移り、CSや日本シリーズでは「先発3回降板」も珍しくない。投手の役割そのものが、多様化し細文化している。

 その中心でエースを任されているのが戸郷翔征である。戸郷は、ルーキーイヤーから台頭し、2022年から2024年は3年連続で二桁勝利を記録。さらに、2022年、2023年は最多奪三振も記録しており、次世代のエースとして順風満帆にも見えた。

 しかし、2025年の戸郷は、不安定な制球、ストレートの強度の低下、フォームの再現性の乱れなど、技術的課題が重なったシーズンだった。ただしこれは「成長の停滞」ではなく、「成長の過渡期」に発生する典型的な現象である。

 若い投手はキャリア中盤で体格が成熟し、フォームが変化し、球質も変わる時期が訪れる。その過程で一時的に投球の再現性が崩れ、シーズン全体にムラが出るのは珍しくない。

上原や菅野のように完成された状態でデビューする投手は稀であり、戸郷は“成長型エース”である。2025年は、むしろ「次の飛躍のための助走期間」と見るべきだ。

 そのため、来年はエースとして復活の期待がかかる。エースとは、時代の価値観を背負い、球団の象徴となり、NPBの潮流を反映する存在であり、その形は固定されない。

 そして今、戸郷がどのように次の時代を象徴し、巨人がどんな“未来のエース像”を描き出すのか……。その答えは、これからの数年にかけて明らかになっていくだろう。

坂本勇人が目指すべき新しいカタチ

(文=ゴジキ)

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ゴジキ

野球著作家・評論家。これまでに『巨人軍解体新書』(光文社新書)や『戦略で読む高校野球』(集英社新書)、『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブン、日刊SPA!、プレジデントオンラインなどメディアの寄稿・取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。

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ゴジキ
最終更新:2025/12/04 22:00