『ルックバック』実写化、悲鳴→「是枝監督ならアリ」という“手のひら返し”…原作ファンが全幅の信頼を寄せるワケ

藤本タツキの読切マンガ『ルックバック』が実写映画化、2026年に公開されるという。マンガ、アニメと高い評価を得た原作とあって、SNS上にはその実写化に一瞬警戒する声が噴出したが、監督を務めたのが是枝裕和氏だとわかると、あっという間に手のひら返し。現時点でキャスト情報などの詳細は一切明かされていないにもかかわらず、大きな期待が寄せられている。一体是枝監督の何が、『ルックバック』を“任せられる”のか――。
業界を震撼させた衝撃作「色んな感情が湧いてきてぐちゃぐちゃに」
原作は学年新聞に4コマ漫画を連載する小学生・藤野が不登校児・京本と出会い、「描くこと」を通じて成長する物語。2021年7月19日の午前0時ごろにマンガアプリ『少年ジャンプ+』で無料配信されるやいなや絶賛が相次ぎ、午前10時過ぎにはXのトレンドで1位に躍り出た衝撃作だ。
ものづくりへの情熱、まばゆい青春とすれ違い、残酷な悲劇、そしてそれを乗り越えんとする姿が鬼才の手で紡がれたそれは、140ページ以上ありながらもイッキ読みへと読者を惹き込み、鮮烈な印象を残した。漫画家の山本さほが
〈なんか色んな感情が湧いてきてぐちゃぐちゃになっちゃった…〉
とつづったように、言葉にならないざらつきを抱いた人は多く、森田まさのりや二ノ宮知子、末次由紀といった同業者が反応するほか、映画監督の上田慎一郎氏、漫画好きで知られる芸人・野田クリスタルら著名人も口々に激賞。その日のうちに閲覧数は300万ビューを超えた(この記録は、同アプリ史上初だ)。
そんな同作は2024年にはアニメ映画化し、上映館数119館の小規模スタートながら公開3日館で興行収入2億4000万円、最終興収は20.4億円のヒットを記録している。
心と心の交流を描く繊細な筆致が感情を揺さぶる作品だからこそ、実写化の発表直後は、原作のイメージが壊されないか、アニメ版の完成度を超えられるのかといった不安や悲鳴が続出したものだ。しかし、『万引き家族』(2018)や『怪物』(2023)などを手掛けた是枝監督がメガホンを取ることが判明し、反応は一転。〈コレ以上ない適任者〉〈是枝裕和監督なら観てみたい〉と、SNSは圧倒的安心感の声で溢れた。
トラウマ級「実写化」の悪夢も… 『ルックバック』と是枝監督の“親和性”
そもそも原作ファンにとって「実写化」は、必ずしも良い話題ではない。
振り返れば、人気キャラを削り疑問の声が上がった『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015)や、ミスキャストを嘆く声が相次いだ『鋼の錬金術師』3部作(2017、2022)など、数々の名作が原作愛のない改変で炎上した挙げ句、興行収入的にも“大爆死”してきた。
シリーズ5作の累計興収が190億円を突破した『るろうに剣心』シリーズ(2012〜2021)や、5作目が制作中の『キングダム』シリーズ(2019〜)など成功例も存在するものの、蓋を開けてみると“駄作”であるリスクは払拭できない。下手に原作を破壊するぐらいなら、実写化なんてしないでほしいというのが、多くのファンの本音だろう。
さて『ルックバック』は、最小限のセリフと密度の高い表現で、ヒリヒリするような痛みと切なさを帯びながらも、ひとの人生には誰かの人生が乗っていることが示唆される世界観。説明的でないからこそ、どの部分がどう刺さるかは読み手に大きく依存する。
映画評論家・前田有一氏は、本作について「それぞれの解釈、受け取り方で『これは私の物語なんだ』と強く共感させる作りになっている」といい、ゆえに「自分以外の誰かによる意味付けは嫌がられるタイプの作品」だとする。ならば、原作ファンは是枝監督のどういう部分に「この監督なら大丈夫」だと安心感を抱いたのか。前田氏が解説する。
「まず、是枝さんはいわゆるエンタメ監督ではないことが大きいと思います。是枝監督は、もともと制作会社で長くドキュメンタリー番組を手がけてきた方で、感情に引きずられず、ものごとを客観的に観察したうえで論理的に解釈し、その“肝”を見つけ出す洞察力がある。下手に商業主義に走って、原作クラッシュにつながる派手な脚色やミスマッチなキャスティングをする心配がないんですよね」(前田氏、以下同)
複雑に揺らぐ心の機微と人との絆、そして再起への道のり。物語のなかで生きる人物の姿に自分自身を重ね合わせたくなるのは、是枝監督が、日頃忘れかけている内面のひだを捉えることを得意とするためだろう。そしてそれは、『万引き家族』がカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞していることで証明されている。
「人物の内面にフォーカスし、人間関係の絶妙なニュアンスをちゃんと拾ってくれる。過去の実写失敗作と同じ轍は踏まないだろうという信頼があるわけです」
『海街Diary』『万引き家族』 是枝監督が描く“擬似家族”と“救い”
マンガ原作の実写化という点においては、是枝監督がかつて『海街Diary』(2015)を成功させていることも安心感につながりそうだ。吉田秋生による発行部数420万部のベストセラーを原作に、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが4姉妹を演じた映画で興収は16.8億円。「第39回日本アカデミー賞」では、最優秀作品賞含む4冠に輝いた。
前田氏は、この『海街Diary』と『ルックバック』との共通点として、「ヒロインが、他者から自己肯定感を与えられて救われる」物語であることを挙げる。
「『海街Diary』は、山形で義母に育てられ、自分を卑下していた浅野すず(広瀬すず)が、鎌倉に住む異母姉の3姉妹のもとで自分の居場所を得る。『ルックバック』も、藤野は自分のファンだと言ってくれる京本に自信をもらい、支えられて自分なりの立ち位置を見つけてゆきます。他者の存在によって自己肯定感が与えられ、救われるというテーマは、どちらの作品にも通じます」
『海街Diary』は、異母姉妹が生活を共にする“擬似家族”の物語だ。そして『万引き家族』も、共同生活を送る3世代6人が、実は全員血の繋がりがない擬似家族。是枝監督は、これまで幾度となく、生きるには精神的な繋がりが必要ではないかというメッセージを送ってきた、と前田氏は指摘する。時として、むしろ血の繋がりよりも。そうした意味でも、本作と是枝監督の相性は良い。
「『万引き家族』は息子の逮捕がキッカケで擬似家族が離散し、一緒に暮らしていけなくなります。でも絆が失われることはなく、たくましく生きていくだろうなという予感、ある意味希望を見せる終わり方をする。『ルックバック』は、いわば“弱き者の物語”。疑似家族のように支え合って前に進むストーリーですが、通り魔殺人で京本が殺されてしまう。ただ、主人公はその喪失を乗り越え、新たな人生として“生き返る”物語なんですよね。
一見悲惨に思える展開がありますが、たとえ大切な人が自分のそばからいなくなったとしても、支えられた事実がなくなることはなく、その人の存在は糧となり、心の拠り所になり続ける。現実に起こり得る悲劇から逃げることなく、でも結末には少しの希望をもたせるという描き方は、『ルックバック』と是枝監督の作風がシンクロするポイントでもあります。
是枝作品は、『あなたが生きていることは素晴らしいんだよ』と肯定してくれる人間讃歌。繊細で複雑な物語を描くのに、監督ほどの適任者はいないと思います」
アニメ版は58分 追加エピソードもあり得る
気になるのは、映画の尺。わずか143ページの原作を忠実に映像化したアニメ版は、劇場版作品としては珍しい58分の中編作だった。映画となると、もう少し時間が必要そうだが……。
「一般的な長編映画であれば100分前後になりますが、(原作の)現実にファンタジーをひとつまみ入れ込むことで読者に解釈を委ねる作風は、“引き伸ばし”にはあまり向いてないように思えますよね。エピソードを追加するのかどうか、といったところですが、是枝監督も過剰な説明を嫌う方。語りすぎないバランス感覚が絶妙なので、どう完成するかは楽しみです」
是枝監督は原作を読んだ時の感想として、「覚悟が切実に伝わってくる作品で、きっと藤本タツキさんはこの作品を描かないと先に進めなかったのだろうな」とコメント。藤本も「是枝監督がルックバックを撮ってくれるなら僕はもう何も言う事はないです」と期待を寄せる。“相思相愛”のタッグとなった本作は、すでに韓国や台湾での公開が決定、現在は全世界での公開に向けて準備が進められているという。『チェンソーマン』で名を轟かせている藤本タツキが、新たに世界を席巻するか。
(取材・構成=吉河未布 文=町田シブヤ)