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ロシアから亡命中のキリル・セレブレンニコフ監督インタビュー

『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』監督が語る国家による戦争犯罪、731部隊、三島由紀夫

『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』監督が語る国家による戦争犯罪、731部隊、三島由紀夫の画像1
欧州で活動中のキリル・セレブレンニコフ監督。日本文化が好き

 ナチスドイツ時代の強制収容所で、「死の天使」と恐れられたのが医師のヨーゼフ・メンゲレだ。ナチ親衛隊の大尉でもあった彼は、占領下から連れてこられたユダヤ人たちを肉体労働かガス室送りかに選別する軍医だった。双子に異常な興味を持ち、収容所内で非人道的な人体実験を繰り返したことでも知られている。

731部隊は今も日本社会に影響を与えているのか…

 ドイツ敗戦後、メンゲレはナチス残党の地下組織による極秘の脱出ルート「ラットライン」を使い、南米のアルゼンチンへと逃亡。いくつもの偽名を使い、アルゼンチン、ドイツへの一時帰国、パラグアイ、そしてブラジルと各地を転々としながら潜伏生活を送った。

 ユダヤ人輸送計画の指揮を執ったアドルフ・アイヒマンはイスラエルの諜報機関に捕まり、1962年に処刑されているが、メンゲレは67歳まで生き続け、1979年2月にサンパウロでの海水浴中に脳卒中で亡くなっている。

 世界的なベストセラーとなったノンフィクション小説『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』(東京創元社、創元ライブラリ)を原作に、メンゲレの生涯をリアルに映画化したのはロシア出身のキリル・セレブレンニコフ監督。プーチン政権下のロシアを2022年に離れ、現在はドイツを中心に欧州で映画製作や演劇活動を行なっている。

 反体制的な作風で知られるキリル・セレブレンニコフ監督が新作『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』について、さらには「731部隊」を創設した石井四郎、そして三島由紀夫と日本文化までを、ZOOMを通して語った。

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ナチスに寛容だった南米のアルゼンチンへ逃亡したメンゲレ(アウグスト・ディール)

死刑よりもつらい、最悪な人生

――ヨーゼフ・メンゲレは『マラソンマン』(1976年)や『ブラジルから来た少年』(1978年)などの恐怖映画でホラーアイコンとして描かれてきました。『LETO -レト-』(2018年)や『チャイコフスキーの妻』(2022年)など社会から抑圧される主人公を撮り続けてきたセレブレンニコフ監督が、ユダヤ人を虐殺した側であるメンゲレの生涯を描いたことが意外です。

キリル・セレブニコフ監督(以下略) 実は今回の映画は、プロデューサーから持ちかけられた企画でした。実在した人物であるヨーゼフ・メンゲレにどうアプローチすればいいのか、自分に撮ることができるのかと躊躇しました。解決策が見つからず悩んでいたところに、ウクライナ侵攻が始まったんです。そのとき気づきました。すごくシンプルなことですが、戦争ほど悲惨なものはない、人を殺したりしてはならないということです。犯した罪は、必ず自分に還ってきます。

甘い考え方かもしれませんが、悪には必ず罰が下されると私は信じているんです。いつか正義によって裁かれると。もし仮に捕まらなくても、最悪な人生を送ることになり、ある意味では死刑よりも惨めな末路を辿ることになるはずだと考えています。メンゲレは裁判で罪を問われることはありませんでしたが、家族から見放され、信頼できる仲間もおらず、寂しくその生涯を終えています。

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イスラエルの諜報機関「モサド」の追跡を逃れ、メンゲレは逃げ続ける

メンゲレ以上の男「731部隊」の石井四郎

――妻や息子から愛されることを求め続けた孤独な男として、メンゲレが描かれているのが印象的です。本作を観ると、戦時中の日本で「731部隊」を創設した石井四郎を連想せずにはいられません。石井四郎は満州で細菌兵器開発のために捕虜を使った人体実験を重ね、戦後はその研究データを米軍に渡したことで戦争裁判で裁かれることを免れています。しかも、メンゲレと同じ67歳で亡くなっています。

石井四郎は私も知っています。彼について書かれた本を読んだことがあります。石井四郎はある意味、メンゲレ以上に歴史的に重要な人物ではないかと思います。メンゲレは米国映画で描かれたことで世界的にその名が知られていますが、石井四郎のほうがより問題にすべき人物ではないでしょうか。彼が行なった行為のほうが、より罪深いものだったと思います。

――石井四郎もメンゲレも、「国家のため」「科学の発達のため」という信条のもと、戦時下において非人道的な人体実験を行なった。彼らの行為を知ると、人間の倫理観は時代や社会状況によって変わってしまうのかと考えさせられます。

彼らが犯したおぞましい行為に対して、私は適切な言葉を見つけることができません。ですが、どんな時代においても人間として越えてはいけない一線があるはずです。科学の発展のためであっても、より多くの人の利益につながるものであっても、人を虐げることは許されません。まして捕虜を虐待することはあってはならないことです。その捕虜は、私たち自身かもしれないし、私たちの大切な家族や知り合いかもしれないからです。

過去の戦争、19世紀くらいまでの戦争は国王や大統領が戦争の最前線に立ち、指揮する時代がありました。しかし、現在の国家のリーダーたちは、安全な場所からモニターを見ながら指示を出しています。それこそビデオゲームでも見ているような感覚です。つまり、「痛み」が感じられない。痛みのレベルは否応なく下がります。

では誰がその痛みを伝える役割を背負うのかというと、それは映画監督であり、ジャーナリストであり、ライターの方たちだと思うのです。「痛み」をしっかりと伝えることによって、人間には越えてはいけない一線があることを示すことができ、それが抑止力にもなると私は思うのです。

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アウグスト・ディールは『イングロリアス・バスターズ』(2009年)などナチ映画に数多く出演

ドイツの俳優が背負うナチスの残像

――メンゲレの逃亡生活はモノクロ映像となっていますが、彼が「死の天使」と恐れられたアウシュビッツ強制収容所時代はカラーで鮮明に描かれています。メンゲレは嬉々としてユダヤ人親子を解剖し、骨格標本を作っていく。ドイツ人俳優のアウグスト・ディールにとっては、ハードな役づくりだったのではないですか?

アウグスト・ディールは素晴らしい俳優です。この役のオファーがあった時点で、ヨーゼフ・メンゲレというモンスターを描くのなら、強制収容所のシーンがあるだろうことを想定し、その上で引き受けてくれたんです。アウグストは撮影現場でもとても協力的で、彼とのコラボレーションは非常にスムーズでした。本作を撮った後、すでに2度にわたってドイツやフランスで演劇の公演を彼と行なっています。私が知る俳優の中でも、アウグストはベストな俳優のひとりです。今後も私の作品には参加してもらうつもりです。

それに加え、私はドイツの俳優みんなに敬意を感じています。ドイツは国家としてすでに過去の罪を償っていますし、補償もちゃんと行なった上で、未来志向の社会になっています。しかし、ナチスの過去は消えることはなく、ドイツの俳優たちは実在したナチスの人物を演じる機会が多いわけです。ナチスの残像というものが人々の記憶に残っている限り、きちんと過去について描くべきだと私も思います。「また、ナチスの役が来ちゃったよ」と言いながらも、私の知っているドイツの俳優たちは、ナチスに関連した役を演じることに大きな意義を感じているんです。

アウグストはこれまでもナチスの役をたびたび演じていますが、その一方ではテレンス・マリック監督の『名もなき生涯』(2019年)でナチスに協力することを拒み続け、処刑される主人公を演じています。彼はとても幅広い役を演じることができるんです。

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潜伏生活を送るメンゲレにとって、飼い犬だけが信用できる相手だった

アインデンティティーを更新する日々

――2022年にロシアを離れ、海外での活動を続けるセレブレンニコフ監督は、現在の混沌とした世界情勢をどのように感じているのか教えてください。

「セレブレンニコフ監督はロシアから亡命した」と思われているようですが、私自身は亡命したという意識はないんです。常に新しいことを学ぶ日々であり、自分は混沌とした社会の犠牲者であるとは思っていません。社会から抑圧されているとも感じていません。自分が行きたいと思った場所へ自分の意思で行っています。より安全で、より幸福になれる環境へ、そして気候のいい土地へと移動しているんです。

私にとってはヨーロッパ全体が第二の故郷となっており、仕事もあり、友達もたくさんいます。自分のアイデンティティーを更新しているような感覚ですね。私の知り合いのロシアの俳優たちも、さまざまな言語を使って、いろんな作品に出演しています。とてもユニークなことです。移住生活ではありますが、毎日が冒険で、退屈とは無縁の生活です。

もちろん新しい環境で、混乱することはありますが、自分がハッピーだと感じている限りは新しい環境や新しい体験は自分の心をより強くしてくれると考えています。逆にハッピーだと感じられなくなっていたら、ただ仕事をするだけの毎日で、心が弱っていくでしょう。今の私は以前よりもアクティブに、より元気に仕事ができています。将来のことは分かりませんが、少なくとも今の私は上々な状態なんです。

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セレブレンニコフ監督は大の日本好きで、2025年には長崎の原爆資料館を訪ねている

西洋的な価値観と右翼的な思想を持った三島由紀夫

――南米を放浪し続けたヨーゼフ・メンゲレと違い、セレブレンニコフ監督は充実した生活を送られているようですね。三島由紀夫のファンだと聞きました。三島文学のどこに惹かれるのでしょうか?

三島由紀夫こそ、まさに物議を醸す人物ですよね。とても才能があり、文才に優れ、自分の肉体も使って表現しようとした。彼の人生はシンプルなものではありませんが、その複雑さにこそ魅力を感じているんです。

三島由紀夫の複雑さを、模索しながらも理解したいという気持ちになるんです。三島作品を読むと彼の作品は古い欧州の価値観の影響を受けていることが感じられますし、日本という国のあり方、日本人の特徴といったものも浮かび上がってくるように思います。日本にはTOYOTAやファッションの独自性などの文化もありますが、そうした現代的なものを超越した、日本文化の非凡さを、私は三島作品から感じるんです。

三島由紀夫の文体は西洋的ですが、政治的には彼はすごく右翼的だった。そのこともとても興味深く感じます。三島由紀夫作品は、現代社会を示唆するものであるように思うんです。

――キリル・セレブレンニコフ監督が、いつか三島作品を映画化することを期待しています。

どうでしょう(笑)。三島作品を映画化できるかどうかは分かりませんが、演劇では三島作品をいつかやってみたいと考えています。2025年末に私は日本を訪問しました。4度目の訪日です。日本と日本の文化を、とても興味深く感じています。日本のことをよく知ることは、自分自身をよく知ることにもつながるように思っているんです。ドウモ、アリガトウ。

 

 プーチン政権に対する批判的なコメントをキリル・セレブレンニコフ監督に期待していたのだが、海外で活動していても迂闊な発言はできないのだろう。だが、『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』を観れば、セレブレンニコフ監督が戦争や戦争犯罪を嫌悪していることがよく分かるはずだ。

 国家権力を笠に着て横暴の限りを尽くしたのは、ナチ親衛隊だったヨーゼフ・メンゲレだけではない。そして人間の痛みが感じられなくなった戦争犯罪者の生涯は、醜悪の極みであることを覚えておきたい。

ハリウッド再編成

(取材・文=長野辰次)

キリル・セレブレンニコフ
1969年ロシア生まれ。モスクワ芸術座などで多くの舞台演出を手掛け、ゴーゴリー・センターの芸術監督に任命される。だが、国家予算を得た演劇プロジェクトを実施しなかったため、2017年に国家予算横領の罪に問われ、約2年間の自宅軟禁が続いた。軟禁中に制作した『LETO -レト-』(2018年)は、カンヌ国際映画祭のコンペ部門に選出。2022年にロシアを離れ、現在はドイツなどで活動中。主な監督作に『インフル病みのペトロフ家』(2021年)、『チャイコフスキーの妻』(2022年)、『リモノフ』(2024年)などがある。

 

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映画『死の天使 ヨーゼフ・メンゲレ』
原作/オリヴィエ・ゲーズ『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』(東京創元社、創元ライブラリ)
監督・脚本/キリル・セレブレンニコフ
出演/アウグスト・ディール、マックス・ブレットシュナイダー、デヴィッド・ルランド、フリーデリケ・ベヒト、ミルコ・クライビッヒ、ダナ・ヘルフルト、カーロイ・ハイデュク、ブルクハルト・クラウスナー
配給/トランスフォーマー R15+ 2月27日(金)よりシネマート新宿、シネスイッチ銀座ほか全国公開
(C)2024 CG CINÉMA / HYPE STUDIOS / LUPA FILM / CG CINEMA INTERNATIONAL / BR / ARTE FRANCE CINEMA

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長野辰次

映画ライター。『キネマ旬報』『映画秘宝』などで執筆。著書に『バックステージヒーローズ』『パンドラ映画館 美女と楽園』など。共著に『世界のカルト監督列伝』『仰天カルト・ムービー100 PART2』ほか。

長野辰次
最終更新:2026/02/25 12:00