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「戦争に負けた日本人を歓迎してくれる州へ」W杯日本代表キャンプ地・テネシー州ナッシュビルと日本企業の深い縁

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さまざまなジャンルのライブハウスや飲み屋が立ち並ぶナッシュビルのブロードウェイ。(写真:筆者の父提供)

 2026年6月11日に開幕する「2026 FIFAワールドカップ北中米大会」は、カナダ、メキシコ、アメリカの3カ国が共同開催する「史上最大規模のサッカーの祭典」だ。参加国は史上最多となる48カ国。

 日本代表は、久保建英や主将の遠藤航ら、欧州リーグで活躍する実力者を擁し、ベスト16以上への期待も高まっている。

 そんな日本代表がベースキャンプ地に選んだのが、アメリカ・テネシー州の州都ナッシュビルだ。日本代表は大会期間中、試合開催地へ移動する際を除き、ナッシュビルをベースに活動する予定となっている。

「なぜ、試合開催都市ではないナッシュビルをキャンプ地に選んだのか?」

 そう疑問に思う人も少なくないだろう。しかし、ナッシュビル、そしてテネシー州は、日本企業や日本人コミュニティと深い関係を築いてきた土地でもある。

 今後、テレビ中継やニュースで何度も耳にすることになるであろう「ナッシュビル」と「テネシー州」について、掘り下げていきたい。

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“古き南部”と“新しいアメリカ”が共存する州

 アメリカ南部に位置するテネシー州は、人口およそ720万人を抱え、全米でも16位前後の人口規模を誇る州だ。

 世界的ギターブランド「ギブソン」の工場や関連施設があるだけでなく、世界的人気を誇るテネシーウイスキー「ジャック・ダニエル」の蒸留所もあり、観光地としても知られている。

 そして、州都ナッシュビルは、都市開発によって急速な成長を遂げている。IT企業やスポーツビジネスの進出も相次ぎ、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)やNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)、MLS(メジャー・リーグ・サッカー)のプロスポーツチームも本拠地を構えている。

「貿易摩擦」時代の東芝のアメリカ進出

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アコースティックギターを弾く男性とバイオリンではなく「フィドル」を弾く女性の像。(写真:筆者の父提供)

「ナッシュビルは近年、国際性豊かな都市へと変化しています。そして、日本はテネシー州における最大の外国投資国であり、自動車産業を中心に、200社を超える日本企業が州内で長年事業を展開しています。昨年はキユーピーさんが州中部のクラークスビルでマヨネーズ・ドレッシング工場の稼働をはじめました」

 そう語るのは、テネシー州政府日本事務所代表の三田村優美氏。2025年にテネシー州内で成立した新規投資案件の45%は海外企業によるもので、投資額ベースでは全体の70%を占めていた。海外資本が州の経済成長に極めて大きな役割を果たしていることがわかる。

 なかでも、日本企業の存在感は歴史的に見ても際立っている。

「日本とテネシー州の関係を歴史的にたどると、1970年代の日米貿易摩擦の時代に行き着きます」(同)

 当時、日本車の輸出拡大によってアメリカ国内の自動車産業が打撃を受け、アメリカ政府や労働組合を中心に対日圧力が強まっていた。抗議デモでは、日本車をハンマーで破壊したり、燃やしたりする様子がニュース映像として報じられていた。

 こうした反発の高まりを受け、日本企業の間では「アメリカで製品を販売するのであれば、現地で生産するべきだ」という考え方が強まっていった。

「そうした流れの中で、まず東芝さんがテネシー州へ進出されました。当時、東芝さんはいくつかの州を検討された結果、最終的にテネシー州を選ばれたんです」(同)

 その決定の背景には、後の日本とテネシー州の関係を象徴するような逸話が残されている。

「実は当初、進出先はテネシー州ではなく、別の州に決まりかけていたそうです。しかし、現地を視察した新人の担当者が『私はテネシー州が良いと思います』と社長に意見を述べたそうです」(同)

 というのも、東芝の社員たちがテネシー州を訪れた際、空港には赤い絨毯が敷かれ、大人から子どもまで日の丸と東芝のロゴマークを掲げて歓迎してくれただけではなく、州知事が迎賓館へ招き、歓迎会を開いたそうだ。

「当時の東芝の社長には、『戦争に負けた日本人がアメリカに工場を造っても、子どもたちがいじめられず、歓迎してくれる州へ行きたい』という気持ちがありました。現地で生活し、家族を育てることを考えたとき、その思いが最終的にテネシー州進出の決め手になったと言われています」(同)

 こうして1979年、東芝はテネシー州にカラーテレビ工場を設立した。工場前の道路は「Toshiba Dr(東芝ドライブ)」と名付けられており、日本企業とテネシー州の歴史を象徴する存在として今も街に残されている。

「州所得税がない」ことが大きな強み

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ナッシュビルを象徴するAT&Tビル。通称・バットマンビルディング。(写真:筆者の父提供)

「その後は、日産さんの存在が非常に大きかったと思います。当時のラマー・アレクサンダー州知事が日産誘致に強く取り組み、誘致に成功しました。その流れで、日産系サプライヤーやブリヂストンさん、デンソーさんなど、大手企業の進出が続いていきました」(同)

 また、第一次トランプ政権で駐日アメリカ合衆国大使を務めたウィリアム・F・ハガティ氏は、もともとテネシー州経済地域開発庁長官として、日本企業支援に非常に積極的に取り組んできた人物だ。

 それでは、なぜ、日本をはじめとする海外企業がテネシー州へ次々と進出しているのか? その背景には、「税制」の存在が大きく関係している。

「アメリカは50州それぞれ税制が異なりますが、テネシー州の大きな特徴は、給与所得に対する州所得税がないことです」(同)

 一見すると、州所得税がないことは“個人”にとってのメリットのようにも思える。しかしアメリカでは、日本以上に給与交渉が直接的であり、企業側にとっても重要な意味を持つ。

 例えば、ある人材が「年収15万ドルを希望する」とした場合、州所得税が高い州では、実際の手取り額が大きく減ってしまう。そのため企業側は、優秀な人材を確保するために、さらに高い給与を提示しなければならないケースも多い。

 一方、州所得税のないテネシー州では、同じ給与水準でも従業員の手取りが増えるため、人材確保の面で優位性があるというわけだ。

「そのため、会社側にとっても州所得税がないことは大きなメリットです。また、働く人にとっても魅力があるため、現在はカリフォルニア州など税率の高い州から、テネシー州への人口流入が起きています。そのほかにも、補助金制度や、投資・雇用促進に応じた、さまざまなインセンティブがあります」(同)

 さらに、テネシー州の強みは税制だけではない。地理的条件、つまり“ロケーション”もまた、企業誘致における大きな武器となっている。

「テネシー州は、『アメリカ人口の約60%に11時間以内でアクセスできる場所』にあります。アメリカは東側に人口が集中していますので、その人口集中地域の中心に位置しているのがテネシー州なんです。その物流面のメリットを生かして、多くの製造業や物流関連企業が集積しています」(同)

 特に自動車産業においては、その地理的優位性が際立っている。州内には、アメリカ南北を縦断する主要高速道路「I-65」と「I-75」が通っている。この2本は北へ伸び、デトロイトやシカゴといったアメリカ自動車産業の中心地へ直結している。

「I-65とI-75周辺には、多くの自動車関連工場が集まっています。特に自動車産業では、自動車メーカーやサプライヤーへのアクセスが非常に良く、テネシー州はまさにアメリカの自動車産業の中心地に位置しているんです。部品を迅速に低コストで輸送できることは、自動車産業において非常に重要ですから、こうした立地上のメリットは非常に大きいと思います」(同)

“カントリーの聖地”はなぜ南部に生まれたのか

 そんなテネシー州は、もともと“音楽の街”として発展してきた土地でもある。州都ナッシュビルは、“カントリーミュージックの聖地”として世界的に知られている。音楽番組「グランド・オール・オプリ」の人気をきっかけに、20世紀半ばから全米のカントリー歌手やソングライター、音楽関係者が集まるようになり、“ミュージック・シティ”と呼ばれるようになった。

 現在でも、レコード会社や音楽出版社、ライブハウス、スタジオが数多く集まり、街には日常的に生演奏があふれている。

 なぜ西海岸や東海岸ではなく、アメリカ南部に音楽の一大産業都市が生まれたのだろうか。

「もともとカントリー音楽には、ナッシュビルだけでなく、シカゴ、テキサス、カリフォルニアなど、それぞれ地域ごとのシーンがありました。ただ、エルヴィス・プレスリー以降、大きく変わります」

 そう語るのは、編著に『カントリー・ミュージックの地殻変動――多様な物語り』(河出書房新社)などがある、関西大学社会学部准教授の永冨真梨氏。博士課程時代には、MTSU(ミドル・テネシー州立大学)へ留学した経験を持つ。

「エルヴィスは南部出身の白人ですが、黒人音楽のスタイルを取り入れてロックンロールを生み出しました。その結果、若者の人気がロックへ流れていったんです。そうした中で、カントリー業界は『既存のリスナーをどう維持するか』を考えるようになり、ラジオDJやブッキング関係者、音楽出版社など、業界全体がナッシュビルへ集約されていきました。1958年には、カントリー・ミュージック・アソシエーション(CMA)が設立されます」(同)

 そこから、「カントリーとはどのような音楽なのか」「どのような歴史を持つジャンルなのか」というナラティブ(物語)が、業界側から積極的に発信されるようになる。

「多くの人が抱いている“カントリー音楽”のイメージは、この時期に形成された部分がかなり大きいと思います。つまり、ジャンルとしても、ビジネスとしても、カントリーが本格的に確立されていくのは、1958年以降から70年代にかけてなんです」(同)

“白人音楽”だけでは語れないナッシュビル

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NHLのナッシュビル・プレデターズが本拠地として使用しているブリヂストン・アリーナ。(写真:筆者の父提供)

 また、当時のナッシュビルでは、カントリーだけでなく、ブラックミュージック文化も大きく発展していた。特にジェファーソン・ストリート周辺には、黒人コミュニティを背景とするライブハウスやクラブが集まり、R&Bやソウルの重要な拠点となっていた。

 それだけでなく、カントリーには黒人ソングライターも関わっており、R&Bなどのブラックミュージックから強い影響を受けていた。

「例えば、2024年にビヨンセが発表したアルバム『Cowboy Carter』で再注目されたリンダ・マーテルは、60年代に活躍した黒人女性のカントリー歌手ですが、当時、ビルボードのカントリーチャートにもランクインしています。それだけでなく、チャーリー・プライドのように、大きな成功を収めた黒人男性のカントリー歌手もいます」(同)

 近年では、シャブージーのような黒人カントリー歌手が大ヒットを記録し、カントリーとブラックミュージックの関係性が改めて注目されている。

「もちろん、労働環境の中で人種差別が存在していたことは事実でしょう。それでも当時のナッシュビルには、“可能性”のようなものも確かに存在していたのではないかと思います。人種を越えた音楽交流もありましたし、それは当時のナッシュビルにおけるブラック・コミュニティの音楽文化の豊かさを示しているのだと思います」(同)

 そんなナッシュビルは、現在でもジャック・ホワイトをはじめ、ニューヨークやロサンゼルスで成功した有名アーティストたちが移り住む街として知られている。

「チャーリー・ウォーシャムのような、バークリー出身のブルーグラス系ミュージシャンたちの移住も増えています。ナッシュビルは単なる“象徴的な街”ではなく、歴史的に音楽的リソースを積み重ねてきた場所なんです。その蓄積を土台に、これからも新しい音楽が生まれていくと思います」

2030年のスーパーボウル開催地に!

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NFLテネシー・タイタンズの本拠地であるニッサン・スタジアム。現在、改装工事中。(写真:筆者の父提供)

 そんなテネシー州だが、現在は先端技術分野への投資も加速している。前出の三田村氏は、こう語る。

「テネシー州が現在、特に力を入れているのがR&D(研究開発)と原子力産業です」

 その背景にあるのが、州内の大学や研究機関との産学連携の強化だ。州内にはヴァンダービルト大学やテネシー大学など、研究力の高い教育機関が集まっており、医療、エネルギー、テクノロジー分野を中心に産学連携が進んでいる。

 特にナッシュビルは、“全米有数の医療産業集積地”としても注目を集めており、ヘルスケア関連企業や研究機関の集積が進んでいる。

「自動車産業は今でもテネシー州にとって非常に重要です。しかし最近は、”自動車だけではないテネシー”という姿がより鮮明になってきていると思います」(同)

 また、日本代表がナッシュビルをベースキャンプ地に選んだように、近年はスポーツ都市としての存在感も急速に高まっている。

 その象徴とも言えるのが、2030年に開催されるNFLの王者決定戦「スーパーボウル」だ。アメリカ最大級のスポーツイベントであるスーパーボウルが、ナッシュビルで開催されることが正式に決定している。

「テネシー州は、スーパーボウルの誘致活動を続けてきました。そして、念願だった『ニッサン・スタジアム』での開催が決まったんです。日本企業の名前を冠したスタジアムで、アメリカ最大級のスポーツイベントが行われることは、日本企業のプレゼンス向上にもつながります」(同)

 ナッシュビルは、“音楽の街”という枠を超え、スポーツ、テクノロジー、医療、エンターテインメントが融合する総合都市へと進化しつつある。

 そして、現在、ナッシュビル国際空港(BNA)は、日本を含むアジア路線の誘致に向けたインフラ整備を進めている。滑走路の延伸や国際線施設の拡張など、将来的な成田・羽田への直行便就航を見据えた取り組みが続けられているのだ。

 今回のワールドカップをきっかけに、「ナッシュビル」、そして「テネシー州」という名前を耳にする機会は、今後さらに増えていきそうだ。

「おどるポンポコリン」制作秘話

(取材・文=千駄木雄大)

千駄木雄大

1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「東洋経済オンライン」にて「奨学金借りたら人生こうなった」、「ARBAN」にて「ジャムセッション講座」を連載中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)、原作を担当したマンガ『奨学金借りたら人生こうなる!?~なぜか奨学生が集まるミナミ荘~』(祥伝社)がある。

X:@yudai_sendagi

千駄木雄大
最終更新:2026/06/10 12:00