KAT-TUN、グループ解散へ――「ギリギリでいつも生きていたいから」の呪縛と、受け継がれてきたDNA


本日3月31日をもって、結成24年の歴史に幕を閉じるKAT-TUN。亀梨和也はSTARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)を退所する一方、上田竜也と中丸雄一は事務所に残り、個人として活動を続けていくといいます。
この記事では、そんな彼らのこれまでの歩みとデビュー曲「Real Face」(2006年)が持つ“力”をライター・太田サトルがつづります。
KAT-TUN結成からデビューまでの“神がかっていた”布石
2006年3月22日。
この日KAT-TUNは、シングル「Real Face」、アルバム『Best of KAT-TUN』、DVD『Real Face Film』の3作同時リリースという華々しすぎるぐらいのデビューを飾った。
デビュー時のKAT-TUN以上に「売れる気しかしない」オーラをまとい、体感120%ぐらいの「満を持して」感あふれるデビューを飾ったグループは、平成期の旧ジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)には他にいなかったのではないだろうか。もちろん異論もあるだろうが、少なくとも自分の記憶の中ではそうだ。
この「売れる気しかしない」オーラは、この時点で熱心なファンのみならず、“一般層”の認知度などの空気がすでに十分温まった状態であったことも要素のひとつとしてあるだろう。これはV6や嵐、NEWSなどいわゆる「バレーデビュー組」とも呼ばれた、『バレーボールワールドカップ』の大会サポーターとしてお披露目されるグループの特別感ともまた別種の温度である。バレーデビュー組に関しては、このお披露目を起点に世間の注目を集め、一気に温度感を上げていくからだ。
KAT-TUNのデビュー時の盛り上がりに関しては、どこまで計算、想定されたものであったかはわからないが、グループとしてのCDデビューに至るまでの流れ、時代の機運のようなものも含め神がかっていた気がする。
グループ結成そのものは01年だが、雑誌「Myojo」(集英社)の恒例企画「あなたが選ぶJr.大賞」の「恋人にしたいJr.」部門で、赤西仁が04年の第10回から3年連続1位を獲得するなど、当時のジャニーズファンの間での人気はすでに高い状態だった。
そんなわけで、KAT-TUN大爆発への布石は前年からきっちり敷かれていた。
デビュー前年となる05年1月期のテレビドラマ『ごくせん』(日本テレビ系)第2シリーズに赤西と亀梨和也が生徒役で出演。嵐・松本潤や小栗旬が出演し大人気となった第1シリーズの続編ということで、ドラマ人気とともに作品内で活躍する二人への注目度もぐんと高まり「仁亀」というファンの呼称も浸透していく。そこへきて同年10月期には亀梨が『野ブタ。をプロデュース』(同)に出演、山下智久とのデュオ・修二と彰による主題歌「青春アミーゴ」はミリオンセラーを記録し、それらの余韻が残る状態のまま翌年3月デビュー。やはり、デビュー前までの流れは完璧だ。
デビュー曲「Real Face」の強すぎた布陣とメンバー6人の強烈な個性

そしてデビュー曲「Real Face」が、その勢いをそのまま楽曲という形に盛り込んだようなテンションと熱量高めのロックチューンだったことも、KAT-TUNとはどういうグループかという名刺代わりとしても文句ナシの完成度だった。
「仁亀」によるスローテンポのサビのメロディでたっぷり聞かせる歌い出しからの、中丸雄一のボイスパーカッションがビートを刻み「3、2、1、Let’s Go」というカウントをきっかけに色合いが激変し、高速ギターのフレーズが印象的なメインイントロへと一気に突入。そこに“Joker”田中聖の畳みかけるようなラップががっつりと絡む。
作詞:スガシカオ、作曲:松本孝弘という布陣がまた強力すぎる。イントロをはじめとしたギターのフレーズはB’zのロック感覚そのものでもある。
そしてAメロ、Bメロを経てサビに入る直前に置かれた、歌詞そのままの亀梨による“舌打ち”。これが一瞬のブレイクとなり、次の瞬間に、冒頭でしっとり聴いたサビのフレーズに突入していく。
「ギリギリでいつも生きていたいから」というフレーズもまた、決して王道ではなく、6人のメンバーそれぞれが強烈な個性を発揮し、馴れ合わないようなクールな雰囲気をまとう。すべてが高熱量。ここまでの流れを経て、こんなテンションのデビュー曲、売れない要素は1ミリもない。
「アスファルトを蹴り飛ばして」
「退屈な夜にドロップキック」
「リアルを手に入れるんだ」
スガシカオの手による歌詞もパワーワード連発だ。
メインストリームをいく王子様的ジャニーズでもなく、不良的なイメージは強いが昭和から引き継がれた不良感とも違うオラつきぶりに、「新しい時代」の風が吹いたことは確かだ。ちなみに先にデビューしている嵐が本格的にブレイクするのはこのあとのことである。
実際に「Real Face」はミリオンセラーを記録し、ジャニーズファン以外の多くの層に浸透した曲となったことは間違いない。
「ギリギリでいつも生きていたいから」の呪縛と、受け継がれてきたDNA
ここからはあまり多くを語るまでもないが、デビューから7カ月の時点で赤西が留学のため一時活動を休止、その後脱退する。これも説明の必要はないだろうが、グループ名はメンバーの名字の頭文字を組み合わせたもので、メンバーが抜けるたびにグループ名が成立するかどうか、いじりめいた話題も集めてきた。それぞれが個性的な魅力を放つ6人であったゆえに、初めから見つめる景色は異なっていたのかもしれない。その後グループを離れた田中と田口の逮捕、中丸の不倫報道による活動休止などネガティブな話題通り、紆余曲折の振れ幅が大きいことで、歌詞「ギリギリで生きる」を体現していると揶揄されることも多い、そんな運命のデビュー曲だった。
「Real Face」は、赤西の透明感ある高音や田中のラップ、中丸のボイパなど、メンバーの個性がフルにアピールされる作りの楽曲でもあっただけに、その後の歌割りなどもラップパートを外してパフォーマンスするなど、さまざまな挑戦によって切り抜けてきた一面もある。
もちろん思い出が詰まり、思い入れも強いデビュー曲であろう。16年にはスガシカオの手による、「Real Face」のフレーズも歌詞に盛り込まれたアンサーソング的存在の「君のユメ ぼくのユメ」を発表。18年には亀梨、上田、中丸の3人体制でリメイクされた「Real Face#2」という後継的な楽曲を発表し、そのDNAを受け継がせ続けてきた。
そして25年2月。3月31日付でのグループの解散と亀梨和也の退所が発表された。記念すべきデビュー20周年イヤーは、儚くも10日で幕を下ろすこととなる。
この曲を、事務所に残る上田と中丸が歌い継ぐことはあるのかないのかわからない。しかし、残した楽曲は永遠だ。2月に開催された音楽フェスのステージで、スガシカオと松本孝弘がこの曲をコラボパフォーマンスし、そのよさを再認識させてくれた。
6人はそれぞれの「リアル」を手に入れられたのだろうか。そうであればなによりだ。
(太田サトル)