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歴史エッセイスト・堀江宏樹の「大河ドラマ」勝手に放送講義48

『光る君へ』最終回、紫式部の“本当の最期”と大河ドラマを名作に仕上げる難しさ

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柄本佑と吉高由里子(写真:サイゾー)

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく!

『光る君へ』が最終回(第48回)を迎えました。史実の道長の最期は、自邸に隣接する土地に都中の公共施設から奪ってきた礎石の上に建てさせた巨大豪華寺院・法成寺の阿弥陀堂で、まひろや倫子の手ではなく、複数の仏像の手に繋がれた糸を握りしめ、絶対に極楽往生するべく念仏を一心不乱に唱えながらだった、といわれています。そういう最後の最後まで「欲望のバケモノ」みたいだった史実の道長の姿が、『光る君へ』でならスルーされるのも、当然かなぁとは思います。

 さて……「物語の先に」と題され、公式サイトのあらすじにも「まひろは『源氏物語』に興味を持った見知らぬ娘と出会い、思わぬ意見を聞く」という文章もありましたから、少し期待していたのですが、全体的に肩透かしでした。

 最終回にだけ登場した「見知らぬ娘」は、『更級日記』の作者として知られる、本名不詳の「菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)」でした(ドラマでは「ちぐさ」吉柳咲良さん)。彼女が持ち歩いていた『源氏物語』の本を落とし、それをまひろ(吉高由里子さん)が拾ってやって知り合い、まひろの家まで(彼女が物語の作者だと知らずに)、光源氏への愛を語りにやってくるようになったという唐突かつ微妙な設定でした。

 史実の菅原孝標女は寛弘5年(1008年)に生まれ、数え年13歳で、東国から京都に戻りました。彼女は噂に聞く『源氏物語』を読んでみたい一心で、ようやく叔母を通じて物語の写本を入手したそうです。それ以来、リアルの男性への関心をほとんど失い、「一番推し」の光源氏とのヴァーチャル恋愛に興じ、家に閉じこもって読書に没頭しつづけた完全インドアタイプのオタクなのですが、ドラマの孝標女こと「ちぐさ」はまったくそうとは見えず、運動部所属の女子学生のようでした。

 少なくとも当時の物語の冊子は、今日の我々がポケットに忍ばせる文庫本のような大きさであるわけもなく、また写本するには手間がかかり、紙や墨といった素材も極めて高価だったはずです。オタクがむやみに書物という貴重品を持ち歩き、しかも落とすなど絶対にありえないと言い切れる気がするのですが、『光る君へ』の通例どおり、その手の「読み替え」の理由の説明はなにもされません。

 ほかにも史実ではかなりの「外道」であった藤原道長(柄本佑さん)も、ドラマでは「正義漢」でしたよね。こういったあたりについても、本当の道長は好男子だったのに、後世に伝わったのは彼の別の側面だけ……という説明が少しでもあったらよかったのに……。

 ついでに言ってしまえば出家して坊主頭の道長の見た目はむしろ若返っているし、頬はこけていても肌のハリはよくて、とても危篤の人のようには筆者には見えませんでした。むしろ今すぐ法衣を脱ぎ捨て、甲子園に野球でもやりにいくような精悍さでした。このように、我々視聴者は史実とドラマのイメージの落差に戸惑うばかりでしたね。

『源氏物語』も、ドラマでも触れられたように光源氏の死が描かれなかったり、第二部に相当する「宇治十帖」と呼ばれる部分の結末も「えっ、それで終わり?」といわざるをえない素っ気ないラストなので、それらを意識したのかもしれませんが……。

 一つ前・第47回では、九州から帰京したまひろに対し、「殿とはいつからなの?」などと問いかけた源倫子(黒木華さん)との「対決」も、微妙なところで終わりました。最初はまひろと道長の関係に理解さえ見せるそぶりで、「殿の妾になって」と頼むくらいに余裕だった倫子ですが、まひろが倫子から聞かれるがまま答えていると、涙をうかべて「道長との関係を隠したまま彰子の心に分け入るなんてどういう気持ちでしていたのか」「私(倫子)とあの子(彰子)は、あなた(まひろ)の手のひらの上で転がされていた」などと恨みつらみを繰り返し、最終的には「このことは死ぬまで胸にしまったまま生きてください」と命令していました。

 そういう倫子に、道長との間に娘・賢子(南沙良さん)が生まれていたと教えなかったのは賢明というか、最低限のやさしさだったのでしょうね。ただもう少し、ドラマのまひろと倫子が身分を超えた友情を育めていたらよかったのですが、そういうわけでもなかったので、いまいち決まらないシーンではありました。

大河ドラマは史実に忠実にあるべきか?

 結局、まひろは家族以外の誰とも、友情・愛情の両方で濃密な関係が築けないままだった気がします。ドラマを牽引すべきヒロインとしては致命的な気質といえるでしょう。それでも倫子に道長との「これまで」を語ったシーンでは、すくなくとも放送開始当初は私たちをワクワクさせるような史実の「読み替え」があったり、義賊の直秀など存在意義のあるドラマオリジナルの登場人物がいたことを思い出させてくれました。

 しかし『光る君へ』の後半部分が微妙というしかない内容になってしまったのも、中盤以降、あまりに恣意的というか、センスに欠ける史実の「読み替え」が続いたからでした。気になったのが、ドラマでは道長との間の娘だとされた賢子です。倫子同様、何も知らされていない賢子は「光る女君」と自称し、異母兄弟ともイチャつきまわる(!)どうしようもない女性に成長してしまいました。

 歴史系のコンテンツにおいて、常に作品が史実を反映している必要はありません。しかし、歴史ドラマにおいて史実はいわば原作に相当するのです。原作のある作品のドラマ化ではしばしば深刻な問題がおきますが、その大半がプロデューサーや脚本家の「創意工夫」という名の思いつきで、重要な原作の設定が変更されたゆえの結果だと思います。

 昨今の「大河ドラマ」全体にもそうした傾向が目立つようになりました。日本人の歴史離れというより、多感な時期に受ける歴史教育が微妙すぎるせいで、クリエイターの歴史離れが激しいのでしょうね。特に史実以外に原作作品を持たない「大河」であれば、脚本家が自由というか、好き勝手に史実をいじくることについて、考証者がもう少し積極的に関わり、監修したほうがよいのではないか、と考えてしまう筆者でした。

 さて……今回も気を取り直して、紫式部はいつまで生きたのかという問題について私なりに補足しようと思います。生没年不詳とされる紫式部ですが、最長で長元4年(1031年)くらいまでは生きていたのではないかとされています(角田文衛説)。ただ、これもその年の『続後撰和歌集』に紫式部の歌が入選したくらいしか根拠がなく、あまり信頼に足る説とはいえません。

 ドラマでは、彰子(見上愛さん)が最終登場したシーンで髪を下ろしていました。これは万寿3年(1026年)1月19日に彼女が出家した史実を踏まえてのことでしょう(彰子はある時期の道長のように権力欲の権化のような描かれ方をしており、内向的だった少女時代の面影がまったく失われていたのは興味深かったですね)。ドラマのラストシーンは、テロップによると長元元5年(1028年)、従者の乙丸と共に京の都を再び旅立つところだったので、おそらくそれ以降も、まひろは生き延びたという設定でした。

 その頃まで史実の紫式部が存命だったかを保証する史料はなにもないのですが、ドラマで全く描かれもしなかった重大事件があるのです。

 寛仁3年(1019年)の春、「刀伊の入寇」を鎮圧した藤原隆家が大宰府の長官こと「大宰第弐」の職を辞し、帰京したのが同年12月でした。しかし、ちょうどその頃から京都でも痘瘡(天然痘)が大流行しはじめ、隆家が「筑紫」から病を持ち帰ったのだ……という噂が流れました。実際に外国人との接触で感染症が国内に持ち込まれるのは当時でもよくあることだったのですが、おそらくこの影響もあって、隆家の出世昇進は沙汰止みになったのではないかとも思われます。

 翌年2月(治安2年・1021年)には京都の街路に死屍が積み重なる中、妍子(道長と倫子の次女・倉沢杏菜さん)の屋敷に頼通たちも集い、彼らの末妹である15歳の嬉子(太田結乃さん)が13歳の敦良(あつなが)親王(立野空侑さん)に入内することを祝った宴を深夜まで繰り広げ、世人から批判を買うという事件も起きています。藤原実資(秋山竜次さん)は、この時期の宴開催に激怒していますね(『小右記』)。

 ちょうどこの頃から、彰子を訪問したときの実資の対応をおもに任されていたらしい紫式部と思われる女房についての記述が『小右記』から消えているので、紫式部はこの頃、天然痘で亡くなったのではないかと考える研究者もいます(上原作和説)。もし事実であれば、紫式部は亡夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)と(一説には)同じ病で逝去したことになり、興味深いのですが、どうなのでしょうか……。やはり個人的には、紫式部の最後は不明というしかない気がします。

 書き手にとって、自分の物語の主人公に、いかに共感できるかはとても重要です。没年だけでなく、不明点が多すぎる紫式部を主人公に据えたドラマを誰もが認める「名作」として仕上げるのは、大石静先生といえども難しかったようですね。

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

作家、歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2024/12/24 14:42