琴井ありさ1st写真集『琴井と恋と』編集者の自負と懊悩
琴井ありさの1st写真集『琴井と恋と/真紅のlibido、夜明けのennui』は、2023年1月31日に発売された。A4サイズの108ページでソフトカバー製本という、昨今の一般的な写真集といえる装丁となっている。
タレントにとって記念すべきファースト写真集の発売は、制作サイドにとって大きな誉れであると同時に大きなプレッシャーともなる。ファースト写真集の出来、売れ行き、反響などは、当のタレントにとって芸能人生を左右させる要因になりかねないからだ。
【琴井ありさ】
「チラリスト」の異名をとるグラビアアイドル。生年月日:1994年1月1日/出身:東京都/身長:157センチ/スリーサイズ:B86(Fカップ)・W60・H84(cm)/趣味:映画鑑賞、お笑い鑑賞、ピアス集め、ショッピング、カラオケ/特技:バスケットボール、書道/公式X@arisa_kotoi/Instagram:arisa_kotoi
琴井ありさとの出会い
今作を担当した私もまた、「琴井ありさ1st写真集」という言葉に自尊心をくすぐられたが、後に「本当によかったのだろうか…」と真夜中にふと思い悩むこともあった。
私が「琴井ありさ」を認識したのは、2020年の初夏。当時、琴井ありさはデビュー半年ほどで、「週刊プレイボーイ」(集英社)の「ブレイク必至グラドル」のひとりに選出されており、ネットメディアの編集部員だった私も注目していた。
その後、琴井ありさはTwitter(現・X)の投稿で、一気に人気を高めた。「#おはチラ」のハッシュタグと共に投稿されるチラ見せグラビアがバズリまくり、さまざまなネットメディアに取り上げられまくったのだ。
かくいう私もネットメディア編集者として琴井ありさの投稿を日常的にチェック。何度もネタにし、「チラリスト・琴井ありさ」は私の脳裏に刻まれることとなった。
よく覚えているのは、琴井ありさがXで披露したOL時代の私服姿。デビュー当初、OL兼グラドルとして活動していた彼女が、「これ着て会社行ってた」とアップした写真がかなり刺激的で、度肝を抜かれた記憶がある。気になる方は、この投稿をチェックしてみてほしい。
父が日本人で母がタイ人のエキゾチックな美貌と抜群のスタイルを誇り、SNS人気もあって人気と知名度を上げた琴井ありさは、雑誌「週刊実話」(2022年6月30日発売号)で表紙&巻頭グラビアを飾るなど、グラドルとしての格を一枚上げることに成功する。
さらに、自身が2歳のときに母が家を出て、その後、父が病気で働けなくなったことから祖母の家で暮らしていたという極貧エピソードでも話題に。祖母の年金頼みだったこともあり、「オカズは漬物とか味噌汁だけ」という日々が続き、住んでいた家には本人曰く「練馬区のドン」と呼びたくなるほど巨大なネズミが出没したという。
ビジュアルでもキャラでも注目を集めた琴井だが、人気グラドルの証といえる紙媒体の写真集の発売はなかなか叶わず。そのころ私は「ハンマーキット」という新たなオークションシステムによる企画に取り組んでおり、それをグラビア写真集の販促に生かせないかと思案を巡らせていた。
それから新たなネットメディアとしてグラビア情報サイト「グラッチェ」を立ち上げることに。その新メディアの柱として写真集×オークションの企画を走らせ、第1弾としてグラビアアイドル・原つむぎのファーストフォトブック「原つむぎは、酔うと床で寝るらしい。」(2022年12月発売)を手掛けた。
この本の制作が始まったころ、私は琴井ありさのファースト写真集を世に送り出したいと決めた。
善は急げとばかりに事務所へ連絡して写真集制作をオファー。とんとん拍子に話は進み、琴井ありさと初対面を果たす。
琴井ありさのファーストインプレッションは、「豪快な子だなぁ」という感じ。大きな笑顔が印象的で、グラビアで魅せるクールな姿とのギャップにちょっぴり驚いたことを覚えている。
そのギャップはとても素敵で、私は一気に心を掴まれた。このときの心象が、琴井ありさファースト写真集のテーマやタイトルにつながっていく。
▼琴井ありさインタビュー▼
写真集の撮影と、その後
琴井ありさ初写真集のテーマは「恋」。初対面のときに感じた親近感あふれる魅力を写真集で表現するため、一番好きな恋人との一番好きな時間を過ごしてもらうことにした。
そこで本人に理想の恋人や理想のデートを聞くと、バーベキューや海デート、ヴィラでの一夜、ドライブといったキーワードが出てきた。
それを撮影にできるだけ落とし込む。もちろん、予算やスケジュールも踏まえて調整していく。
さらに、カメラマンやスタイリストと撮影イメージを膨らませる。そうして一泊二日のロケ撮影を準備していった。
シチュエーションは、ドライブデート、海でのバーベキュー、山間のヴィラ、真夜中の路上、明け方の森……。その合間にベッドルームやお風呂での撮影も組み込む。一泊二日の行程は、まさに分刻みで進めていくことになった。
強行軍のラストは、東名高速の大渋滞。ロケバスを運転していた私は、疲れ切った琴井ありさをはじめスタッフ全員が眠っている姿をにやにやと眺めながら、帰路についた。このとき何だかとても幸福感に満ちていたことをよく覚えている。
帰京した私は、すぐに写真の確認。このとき撮影カット数は1万点ほどだったと思う。
そこから一次セレクト、二次セレクトと選り分けていき、SNS告知用やグッズ用などを選別していく。
大まかな振り分けができたところで、本編のラフデザインを切る。それをデザイナーに見せ、ブラッシュアップを続ける。
なんせ写真集の制作にはお金を使う。撮影費や印刷製本費、もちろん私自身の人件費もあるので100万円どころではない。その何倍もの予算を会社から預かっているわけで、結果が必要だ。
そんなプレッシャーもあって写真集制作は慎重になるが、もちろん時間が無限にあるわけではない。制作を進めつつ、販促企画を準備していくにはなかなか骨が折れる。
さらに告知や周知も欠かせない。このあたりのことを煮詰めていくと、もはや自分が何者なのかわからなくなってくる。
しかし、それだけやりがいもあり、ひとつひとつステップを踏んで積み上げていく行程は充実感もあった。その根底には、琴井ありさのファースト写真集を手掛けているという自負があったのかもしれない。
琴井と恋と
写真集が完成すると、あとは売るだけ。前述したように写真集関連の企画としてオークションも実施した。
こうした販促に琴井ありさは積極的に参加してくれ、さっそく想定以上の成果が上がることに。本の売れ行きも順調で、完全版としてリリースしたデジタル版も好調。このデジタル版にいたっては、いまなおkindleの写真集売上ランキングでトップ100に並ぶなど、衰え知らずの人気を博している。
しかし、琴井ありさにとって本作が人生に一度のファースト写真集となってよかったのか。もしかしたら別の出版社で出した方が彼女のためになったのではないか。写真集の発売後、そんな情けない不安が去来する。
正直、大戦果といえるほどの結果が出なかったのが要因だと思う。誰にでも胸を張れる結果が出ていれば、いまも不安に襲われることはないだろう。できれば、まだまだ多くの人に見てもらいたいというのが、本音だ。
現在、琴井ありさは以前の事務所を離れて新たな一歩を踏み出しているが、いまもなお彼女のXのプロフィール欄には「1st写真集『琴井と恋と』発売中」とある。こうした気遣いというか、写真集を大事に思ってくれている様子は、制作サイドとして素直に嬉しい。
そういえば琴井ありさは元旦生まれ。少し遅れたがハッピーバースデーを伝えたい。新たな1年が彼女にとって素敵な1年となりますように。
(文=サイゾーオンライン編集部)
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