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『おむすび』どうしてこうなった? カタルシスと人情の衝突が生んだ矛盾【糸島編その2】

橋本環奈(写真:サイゾー)
橋本環奈(写真:サイゾー)

 NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。昨日は結(橋本環奈)が悩みながらギャルになるまでを振り返りましたが、今日は栄養士になると決意し、糸島を離れるまでをプレイバックしてみたいと思います。

「豚と玉ねぎのニンニク炒め弁当」映さない事件

 6週かけてギャルになった結でしたが、栄養士になると決めるまではたった1週間でした。

 いつものように練習そっちのけで波止場で結との逢瀬を重ねている翔也(佐野勇斗)でしたが、この日は結が過労で倒れたところを助けてもらった翔也にお礼をしたいと言い出すシーンでした。この「過労で倒れた」もなかなかのヤバ展開ですが、そのレベルまで言及してると年が明けちゃうのでスルーします。

 結に「何かほしいものはないの?」と聞かれた翔也は「スタミナ!」と元気よく回答。それを機に結は翔也に弁当を作り始めるわけですが、最初に自分で作った「豚と玉ねぎのニンニク炒め弁当」を、誰も見ていないのです。

 これは本当にビックリしたんですよ。栄養士になる話で、その最初の成果物を見せない。ここは、それを映す・映さないでストーリーに影響のある場面ではないので、統括さんお得意の「あえて映さない選択をした」も通用しません。シンプルかつ致命的な演出ミスだと思う。

 しかも前半のラスト、糸島での逆プロポーズのきっかけもこの「豚と玉ねぎのニンニク炒め」を作るところから始まっているわけです。あのとき作ったものを、また作る。結の頭の中では確かに、あのときのお弁当と目の前の料理が重なって見えているはずです。私たちにも重なって見えているはずだったんです。ここで初めて見たもんね、結の作る「豚と玉ねぎのニンニク炒め」。なんの感慨もない。

そもそも「おむすび、恋をする」なのであった

 ギャルが栄養士になるドラマで、その職業へ進む決意を描く週です。そのサブタイトルが「おむすび、恋をする」だったんですよね。当時はあんまり深く考えてなかったけど、「おむすび、栄養士を志す」や「おむすび、将来の夢が見つかる」ではなく「恋をする」。劇中において結が恋をするのは書道王子の風見先輩(松本怜生)に続いて2人目です。

 風見先輩に対して結は、単なる「遠い存在への憧れ」という気持ちではなく、リアルに「告られるかも!」って興奮してたり、清楚系彼女の存在にがっつり落ち込んだりしているので、翔也からお弁当の感想メールを待つシーンとかが軽く見えてしまっていたんですよね。「もう切り替えたんかい」と。

 しかも「結は風見先輩の顔が好きである」という描写が何度も繰り返されていたので、「こいつイケメンなら誰でもいいんかい」と見えてしまっていた。「風見先輩=単なる憧れ」「翔也=真剣な恋」と描き分けたかったのでしょうけれども、だったらあのウキウキでメールを待つ描写はノイズにしかならない。

 そういう「軽い」印象で始まった恋が、将来の進路につながっていく。別に好きな男がきっかけで進路を決めること自体はいいとも悪いとも思いませんが、だったら今度はそれを貫きなさいよと思うわけです。好きを貫くのがギャル魂なのでしょう。それなのに、結は専門学校に入りたいと両親に告げるときに、「一生懸命やっとう人を支えたい」「そういう仕事が向いてると思う」とかなんとか、別の話をしている。本心として視聴者に提示したはずの(そして今後も提示していくはずの)「翔也を支えたい」ではない。

 なぜそういう齟齬が発生したかといえば、「翔也を支えたい」では震災と関係がなくなってしまうからなんです。どうしても、震災にこじつけなければコンセプトとズレが生じてしまう。震災翌日におむすびを届けてもらったおばさんのエピソードをきっかけに栄養士になる、盛んにそう宣伝されてきたドラマで、「彼ピッピを支えるために栄養士になる」と言わせるわけにはいかないという物語の外の力が働いている。

 本来なら、結が栄養士になる決意とあのおむすびおばさんを物語の中で何とかつなげたかったはずです。しかし「おむすび、恋をする」という週で、ろくに覚えてないおばさんのエピソードを持ってくるのはさすがに無理だったのでしょう。なんとなく耳さわりのいい「一生懸命やっとう人をどうこう」みたいなボンヤリしたセリフを吐かせて、そこに無関係のおばさんの映像を挟み込むという反則技で乗り切ることになりました。

 いまだに『おむすび』における最大の事件は「豚と玉ねぎのニンニク炒め」映さない事件だと思ってるけど、もっとも醜悪なやり口だと感じたのはここのおむすびおばさんのインサートでしたね。

 ギャルになるまでで6週、栄養士になるまでで1週、結局、ギャルになった瞬間にも、栄養士になると決意した瞬間にも、説得力を持たせられなかった。逆に言えば、ここだけバチっと決まってればこんなにストレスを感じることもないのです。ここだけ決めて、逆算で物語を作っているはずなのに、ここが決まらないんだもんな。しんどいよな。

「覚えてない」ものを根っこに置くから

 糸島編は、結という人が震災のトラウマに囚われ、つらい少女時代を過ごした、というお話でした。しかし、肝心の結のトラウマが当時6歳だったせいで具体的に描けなくなってしまった。

 その結果、リリーフとしてアユ(仲里依紗)とマキちゃんがその具体性を担当することになったわけですが、今度はアユがギャルになったきっかけとギャル時代の行動がポジティブに描けない。

 なぜなら、物語の筋として「ギャル大嫌いだった結がギャルになる」というカタルシスを求めた要素と、「アユがマキちゃんの遺志を継いで、マキちゃんの人生を生きるためにギャルになった」という人情劇の要素とが真正面から衝突してしまったからです。

 ここで具体的に「ギャルのアユ」と「ギャル嫌いだった結」の対立を描いてしまうと、結が姉を大嫌いだったことが、そのままマキちゃんの人生を否定することにつながってしまう。アユがギャルになって米田家をめちゃくちゃにした、その元凶がマキちゃんである、ということになってしまうのです。マキちゃんが「ギャルになりたい」なんてアユに言い遺していなければ、アユはギャル化しなかったし米田家は平和だった。そういうことになってしまう。

 6歳時に震災に遭った人物を主人公にしてしまったために、具体的なトラウマを事実関係として描けず「ギャル大嫌い」という衝動だけに頼ってしまった。結果、結が大嫌いだったアユの「カリスマ時代」に説得力を持たせることができなかった。

 震災要素とギャル要素を融合させることができなかったお話、それが『おむすび』糸島編だったのだと思います。

 じゃあどうすればうまくいったのかな、と考えたけど、これは無理筋だと思うわ。ギャルか震災か、どっちかにするしかないと思う。欲張ったツケだわな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2024/12/31 14:00