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『おむすび』どうしてこうなった? 蔑ろにされた被災者の日常【ナベさん編】

橋本環奈(写真:サイゾー)
橋本環奈(写真:サイゾー)

 いよいよ神戸にやってきたNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第8週から第11週は、結の専門学校時代のお話。生まれ故郷の神戸に移住してきて、結も改めて大人として震災と向き合うことになりました。

 ここでは、被災者代表のナベさん(緒形直人)についてと、ギャルになった結が新たなコミュニティである専門学校に参入していく部分と、分けて考えてみたいと思います。

 まずはナベさんから。先に言っちゃうけど、ナベべにはびっくりしましたね。

マキちゃんを描いていない

 サバイバーズ・ギルドという言葉があります。災害などで身近な人が亡くなってしまったとき、生き残ってしまった者が抱いてしまう苦悩、罪悪感。『おむすび』では主に、震災でタンスの下敷きになって亡くなってしまったマキちゃんという中学生の身近な人が、その傷から立ち直るさまを描こうとしていました。

 ひとりは、マキちゃんの親友だったアユ(仲里依紗)、もうひとりは父親のナベさんです。

 つまり『おむすび』にとっての「被災」とは、「マキちゃんの死」とニアリーイコールの関係にあるということです。アユが震災で傷つき、ギャルになったことで米田家に混乱をもたらし、その結果として結を傷つけてきたこと。ナベさんの生活が荒れてしまったこと。その2つとも、原因はマキちゃんが死んでしまったことだった。

 また、そもそもこの物語に「ギャル」という概念を持ち込んだのも、このマキちゃんでした。高校を出たら、東京に行ってギャルをやりたい。そう語っていたことを覚えていたアユが糸島に引っ越した後、マキちゃんの遺志を継いでギャルになった。そのアユに憧れたルーリー(みりちゃむ)がギャルとなって、ムスビンこと結(橋本環奈)をギャルの世界に巻き込んでいく。そして、ギャル魂を宿した結が世界を救っていく。筋立てとしては、そういうことになっています。

「震災」と「ギャル」、このドラマにおける2大テーマの源泉を、マキちゃんというたったひとりの少女が担っている。『おむすび』という物語を逆算していくと、何もかもがマキちゃんに行き着くという構成になっています。いわばマキちゃんこそが『2001年宇宙の旅』(68)におけるモノリスなのです。

 ところが、実際に描かれたマキちゃんは全然ギャルをやりたそうな子に見えなかった。快活で明るい性格の女の子ではありましたが、彼女のギャル的な要素は「ギャル雑誌を読んでいた」ことと「安室奈美恵のCDを持っていた」ことだけ。特段「好きを貫いている」ようなエピソードもなかったし、後に登場する「ギャルの掟」につながるような物語の主となる思想を披露したことも一度もない。誰かがギャル的な発言やギャル的な行動をしたとき、視聴者の頭の中にマキちゃんの顔が浮かぶことなど一切なかったはずです。

 マキちゃんがギャルではなかったし、その思想の片鱗すら見せていなかったことで、このドラマにおける「ギャル魂」は、まず「アユによる身勝手な拡大解釈(=ハギャレンのギャルの掟)」として登場することになります。

 そしてそのアユが大人になって「私はニセモノ」「ハギャレンなんて恥ずいから解散しろ」と言い出したことで、その思想は完全に実体を失ってしまう。神戸に来る前に、もう「ギャル魂」そのものが形骸化してしまっている。それが、どの場面でも「ギャル魂」という言葉が上滑りし続ける原因になっています。

 マキちゃんという人物の造形の甘さが、つくづく悔やまれるところです。

そんな話ではなかった

 そんな話ではありませんでした。ナベさんについてです。

 ナベさん、同級生の墓参りを拒否するというエキセントリックな人物として登場するわけですが、この人の生活感のなさが「被災者の復興」を描く上でのリアリティのなさにつながっていたと感じます。

 綿密な取材でお馴染みの『おむすび』のこと、たくさんの被災者に取材をしたことは想像に難くありません。

 何を聞いてたんだよ、と思っちゃうわけですよ。震災から12年、ナベさんが「どう生きたか」がまるで描かれていない。ただひとりの大人が被災して、娘が死んで「壊れた」、その「壊れ方」だけしか描かれていないわけです。

「死んだように生きてきた」と言いたいのはわかります。しかし、ナベさんには「生きてきた」がないんです。仕事をしていないからです。ナベさんに生活がないから、その痛みが伝わってこない。痛みというのは、当たり前ですが、生きている人にしか感じられないのです。

 さらに、ナベさんが震災の直前に妻を亡くしているという設定も話をややこしくしています。

 後に統括さんの取材記事で明らかになるのですが、ナベさんはもともとナベべ的な、明るく楽しい人だったのだそうです。それが、妻を失って酒浸りになり、偏屈になってしまったという。だとすれば、震災前に闇雲にアーケードに反対していたナベさんに対する周囲の態度に説明がつかなくなるんです。

「偏屈なナベにも丁寧に接する優しい結パパ(北村有起哉)」というシーンを撮りたいがために、ナベを単なる厄介者としてしか描けなかった。周囲がナベに理解を示してしまうと、結パパがアーケード設置を取りまとめるヒーローとして描けなくなるからです。そういう作劇の都合が、「被災者を描く」という作品の大テーマよりも優先されている。ここも、震災に対する作り手側の誠意の欠如と感じさせる部分でした。取材対象に対する誠意なんて別に欠如しててもいいと思うけど、それがバレたらプロ失格だよなと、そういう話です。

 ナベの「ナベべ化」の是非についてはねえ、感じ方は人それぞれだと思いますけど、個人的にはとりあえず明るくなって楽しそうだったので、よかったと思います。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/01/01 14:00