『おむすび』第69回 物語の空洞化と主人公周辺への過剰評価 そして腐敗の正体を見た
昨日はちょっといろいろ展開が激しすぎて見逃していたところもあったので、改めて見直してみたんですね。
ライントラブルが起こって100人中10人のモニター予定者が来れなくなった。開発の女性課長はブチ切れていますが、一緒に来ていたおじさんは「ほかの営業所でもアンケートを取っているから茨木は90人でいい」と言っている。その開発側の提案を「待ってください!」と遮って翔也(佐野勇斗)は社内を駆けずり回ることになるわけです。この時点で、翔也の行動は別に仕事上必要なものではなく、単なるひとりよがり、自己満足になっています。
人事部に断られ、帰宅しようとする社員に断られ、なるみ姉さんも電話で人集めをしていて、そこで映し出された時計が16時30分。リミットは17時30分。毎晩、神戸から梅田までを走破している健脚の翔也くんもそろそろバテてきて、今日につながっていました。
そして今日の放送分、その17時30分に野球部を連れて戻ってくるわけですが、この人、1時間以上社内を走り回っていたことになります。
その「走る翔也」は、執拗に描かれました。とにかく必死なのである。責任を果たそうとしているのである。そういう描写です。単なる自己満足なのに。
そして野球部がぞろぞろと入ってくると、翔也は結(橋本環奈)と目を合わせて、微笑み合う。それはいい。
あのブチ切れていた女性課長が同僚のおじさんと目を合わせて、とってもうれしそうにしているんです。「あの子、やってくれたわね」みたいな顔して。ああ、こういうところだなぁと感じるわけです。
結と翔也が未熟ながら必死でもがいている。それが周囲の大人たちに評価されていく。そういう物語を作ろうとするとき、評価する大人側の基準が、視聴者の考えるハードルと大きくかけ離れている。「野球部を連れてきた」という翔也の行動の価値が、常識とかけ離れている。
あの女性課長のうれしそうなリアクションは、「翔也が野球部を連れてきたから炊飯器の開発が成功する」と確信した顔です。「翔也が野球部10人を連れてこられなかったら、炊飯器が開発できないところだった。社運をかけたビッグプロジェクトが頓挫するところだった」。そういう顔なんです。
こういうところで、私たちは「そんなわけねーだろ、バーカ!」と感じるわけです。ほんじゃ、横のおじさんの「茨木は90人でいい」という発言はなんだったのよ。
NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第69回、振り返りましょう。
その1時間をくれよ
そうして「翔也が野球部を連れてきた」ことに事実関係以上の価値をつけておきながら、そのプロセスを語ることをしないのも、また『おむすび』らしさです。
ドラマそのものが「翔也、めたくそがんばった!」と言いたいはずなのに、そのがんばりを見せない。
肩を壊して野球をやめた翔也という人にとって、練習中の野球部に「自分の仕事を手伝ってくれ」と頭を下げに行くのは、屈辱であるはずです。
本当ならその練習の輪の中心で汗をかきながら白球を追いかけていたはずなのに、今はスーツ姿で頭を下げて回っている。社会人野球選手として責任を果たせなかった後悔もあれば、野球を続けている彼らへの羨望もある。そういう葛藤をかなぐり捨てて、今やるべき仕事のために、彼らに頭を下げる。
ユニフォームの集団を前に、スーツ姿で練習に割り込むとき、翔也はどんな顔をしていただろう。なんと声をかけたのだろう。野球部の基本は声出しだもんな。ちゃんと大きな声を出せたのかな。
高校時代からずっとバッテリーを組んで、夢を語り合ってきた幸太郎。高1で140km/hを超えるストレートを投げていた翔也の球を初めて受けたときの衝撃は、今でも忘れられないはずです。
こいつとなら、甲子園に行ける。そう確信したに違いありません。
最後の県大会決勝、なんであそこでタイムをかけてやれなかったんだろう。あいつのスタミナが切れていたことは、受けている俺がいちばんわかっていた。腕をプラプラさせるクセも出ていた。一度間を取ってマウンドに行って、ひと声かけるべきだった。そんな後悔が、翔也と同じ星河電器野球部への入社につながったのでしょう。
高校で叶えられなかった夢を、もう一度、社会人でこいつと一緒に叶えたい。そして、こいつをプロに送り出してやるんだ。メジャーに進んだら、一回くらいアメリカに招待してくれよ、翔也。大丈夫だ、おまえならできる。
それくらいのことは、幸太郎は普通に考えてたと思うんだよな。その翔也がスーツ姿で、もう野球もできない体で、目の前で汗だくで頭を下げているわけ。その姿はすごく惨めで、すごく立派なんだよ。だから協力したいと思ったんだ。
「ごはん、大好きなんで役に立つと思います」
あの一言には、それだけの思いがこもっているわけです。キャッチャーは野球の世界では「女房役」と呼ばれます。野球選手と総務部の正社員、立場は変わってしまったけれど、いつまでも2人はバッテリーだぜ。幸太郎の笑顔は、そういう笑顔なんです。
翔也に1打席対決をふっかけ、結果的に翔也の選手生命を奪ってしまった大河内は「俺を恨んでいるか?」と言ったかもしれません。翔也は「そんなわけありません。自分の自己管理の甘さです」と答えたでしょう。
大河内「おまえのヨンシーム、打席から見てみたかったんだけどな」
翔也「いや、まあ……申し訳ないですけど、打てませんよ?」
大河内「バカ野郎、まあいい、行こうぜ」
翔也「え?」
大河内「その試食会の仕事が、今のおまえのヨンシームなんだろ? その決め球を見せてみろよ」
翔也「大河内さん……」
みたいな会話を経ての、あのぶっきらぼうな「どれ食えばいいの?」なんです。
そういう濃密な1時間があったはずなんです。ドラマなんだからさ、その1時間をくれよ。
「なんか、行きづらくってよ」なんてひと言で片づけるから、なぁーんも伝わってこないんです。もったいないと思うんですよ、こういうの。いくらでも中身を埋められるテンプレがあるのに、空箱のまま提示されている。ここをちゃんと描けば「仕事的には別に重要じゃなかったけど、翔也の人生にとってはひとつの分岐点だったね」という意味が生まれるのに。
それでも翔也はまだいい
それでも翔也は、そういうテンプレがあっただけマシなんです。
試食会を終えた翌日、規格外の野菜を仕入れて日替わりメニューを作った結に、イケメンコックの原口(萩原利久)が「みんなのために、おいしくて栄養のことを考えた料理を作る喜びを知ることができた。ありがとう」などと唐突に口走る場面があります。
ここで描かれた社食の成功、社食の変化というのは、輸入野菜から新鮮な地元の規格外野菜に切り替え、おいしい野菜料理が提供できるようになった、というものです。
そのプロセスにおいて、結はほとんど何もしていません。地元野菜のサンプルをかき集めてきたのは原口自身だし、規格外の野菜をどう仕入れたのか、地元の生産者と誰がどんな交渉を行ったのかは、描かれることすらありません。結は与えられた食材で献立を考えるという、栄養士としての通常業務を行ったにすぎない。にもかかわらず、まるで結こそが社食におけるジャンヌ・ダルクであるかのように持ち上げられる。アップで抜かれる。うるさい劇伴が鳴る。
ここでも明らかに過剰な評価が与えられている。
昨日今日、商品開発を巡る「お仕事ドラマ」としての解像度の低さに目をつぶったとしても、これだけの手落ちや矛盾が浮かび上がってしまう。なかなかの末期状態となっております。
あと原口さ、上司が裏でシンク磨いてんだから、女とくっちゃべってないで手伝いなよ。仕事中だぞ。
その他いろいろ
あんな調子で、半年でそんなに貯金たまるかよ。
初の両家顔合わせなんだから、せめて木曽路とか行け。
なんだその席の並びは。米田家と四ツ木家で向かい合え。
などなどありますが、今日の最大の「『おむすび』やなぁ~」ポイントは、神戸から梅田まで走り出した翔也のリュックのフタが閉まっておらず、パタパタしてたところです。今から20キロ以上走る人のリュックがパタパタしている。これを撮り直さない怠慢と不注意こそが、『おむすび』に巣食う腐敗の正体だと感じる次第です。
「橋本さんすみませんもうワンテイク、佐野くんのリュックが……」って、誰も言えない現場なんだろうな。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
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第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/