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『おむすび』第71回 不幸でしか展開しない物語と、妊娠を喜ばない橋本環奈 その不気味さ

橋本環奈(写真=サイゾー)
橋本環奈(写真=サイゾー)

「高校生のとき、福岡県・糸島で出会い、恋に落ちた米田結と四ツ木翔也。しかし、肩の故障で翔也のプロ野球選手への夢は閉ざされてしまいます」という冒頭のナレーション。「しかし」が前の文章とつながってないんだよなぁ。

 それに続くダイジェストも時系列むちゃくちゃだし、今週も順調に出鼻をくじいてきましたNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。第15週は「これがうちの生きる道」だそうです。

 ダイジェストの中にハギャレンが喜んでいる場面がありましたね。あれは「久しぶりに会えてうれしい」というシーンだったはずですが、これを「職場の人々、仲間たちの支えのおかげで」というナレーションに重ねて挟み込むことで「ハギャレンのみんなも結の結婚を祝福している」というシーンにすり替えています。翔也がオフィスで拍手を浴びている場面もそう、あれはアンケート仕事でお手柄を上げたシーンでしたね。

 ダイジェストを見るとき、私たちは「あんなシーンもあったなぁ」と思い出すわけです。あわよくば、あのときの感動をもう一度体験したいと思っている。あいにく『おむすび』には「あのときの感動」などというものは皆無なのでそれは叶わないのですが、意味と感触は思い出すんですよ。

 ハギャレンとの再会のシーンが流れれば「あいつら就職に悩んでいる結のために結ママ(麻生久美子)に呼びつけられて神戸まで来たんだよな。交通費と休業補償はちゃんと米田家からもらったのかな」と思い出すし、オフィス翔也拍手では「あのアンケートもむちゃくちゃだったし、女性課長の人格破綻ぶりもヤバかったな」と思い出すわけです。

 だから、思うんですよ。またウソついてる。誤魔化している。視聴者を欺いている。第71回、振り返りましょう。

アバンだけでこのありさま

 そんなこんなで今回もトホホな気分で始まりましたが、オープニング後に出てきた大阪のおばちゃんの描写も嫌でしたねえ。結を「ギャルちゃん」って呼ばせるのはいいとしても、その後の「仕事休みなん? ほな飴ちゃんあげるわ」っていうギャグね。専門学校に入学した当時に出てきた暴言を吐く英語教師もそうだったんですけど、うっすら関西をバカにしてるんだよな。

 それが単にスベっているだけならまだいいんですけど、このドラマは「綿密な取材」を公言しているわけですよ。震災について取材を受けた関西の人たちが、このシーンを見て笑うかね? 取材に協力してよかったって思うかね? 私たちのことを理解してくれたと思うのかね? そういうことを考えると、こっちも胸が痛むんですよ。

 だいたいこのアパートは十三だそうですけど、作ってる人たちは実際に十三に行ったのかしら。路線図だけ見て、乗り換えに便利そうという理由だけで選んでないかしら。若い主人公2人が暮らし始める町として相応しいと思ったのかしら。ピンクネオンが溢れかえり、昼も夜もローション入りのカバンを下げたお姉さんたちが行き交う、俺たちが大好きな歓楽街を。

 そして、2人の幸せな生活が描かれるわけですが、結(橋本環奈)の手料理を翔也(佐野勇斗)が食べるシーンはこのドラマでは初めての登場になるわけです。「ごはん付いてるよ、うそぴょん!」みたいに楽しそうにハシャいでいる2人も初登場。こんな翔也、見たことない。連続ドラマが連続していない。しかもそういう重要なシーンをチャチャッとナレーションベースで流していく。もう、ここまでで何を描いて、何を描いていないかも覚えてないんだろうな。

 オープニング前だけでこのありさまです。今週も荒れそうだね。

不幸がないと話が進まない

 楽しそうな暮らしから一転、結さんは体調が悪そうです。

 ハギャレンと友達になったのは、スズリンの栄養失調がきっかけでした。パラショーに出る決意を固めた経緯は、ルーリーのネグレクトと深夜徘徊でしたね。翔也との距離を縮めたのは、結が過労で倒れた場面でした。翔也が肩を壊したことで結婚に進みました。いつだって『おむすび』は、話の展開に人の不幸を利用します。

 これ、結という人がドラマの中で前に進んでいない何よりの証拠なんです。

 大まかに言って、物語というのは「主人公が前に進む」「壁が現れる」「壁を乗り越えて成長する」というプロセスをたどるものですが、結という人がここまで成長していない、新たな価値観や思想を獲得していないため、物語を展開させるためにはマイナス方向に振っていくしかないんですね。

 今回は結自身が体調を壊すことになるわけですが、バナナもプリンも食えなくなるまで病院に行かないのもまた『おむすび』メソッドです。これを美談として扱っているわけですが、実際には、食欲がない、体調が悪い、その症状の原因がわからないという状態で社食の厨房に入るのはテロに近しい行為ですよ。そういう社会常識のなさだったり、栄養士という仕事についての無理解もまた、ここで披露されることになります。

 徹底的に、このドラマの悪いところが積み重なっていく。今日はそういう回でした。

「それは妊娠しているからです」

 これ最悪じゃない? ヒロインの妊娠発覚をほかの病気を抱き合わせてやる必要ある?

「それは妊娠しているからです」

 顔をしかめたまま微動だにしない結さん。喜べない家族。いったい何を見せられているのか。

 翌日、目を覚ました結は「お腹に赤ちゃんがおるのに、ご飯も食べんで、ずっと無理して」とセリフで状況を説明しながらハラハラと涙を流すわけですが、泣いてる意味がわからんのですよ。発熱の原因は腎盂腎炎だった。吐き気は懐妊による悪阻。それがわかって、目の前には母親がいる。

 普通に考えてさ、妊娠の話をするもんでないの?

ママ「そっか、結もお母さんになるのか」
結「私ダメだわ、最初っからこんなんじゃ、ちゃんとお母さんになれる自信ないな」
ママ「私も全然ダメだったわよ、アユを妊娠したときなんてまだ18だったし」

 みたいな話をするもんじゃないのかね。ここの「自分が初めて妊娠したのに、赤ちゃんを最優先に考えてない」感じ、それより自己憐憫に浸ることが優先されてしまう感じ、実に気味が悪かったです。

 この気味の悪さって、なんか「妊娠して喜ぶ橋本環奈」という構図を意図的に避けた感じがするんだよな。

 そう考えると、結という人はこの劇中で、本当に心から喜んだことが一度でもあっただろうかという思いに至るわけです。

 パラショーは楽しそうだったけど、あれは「気が進まないけどやってみたら楽しかった」だし、糸島の逆プロポーズも翔也の悲劇を下敷きにした切実なものだったし、ナベがおむすび食べてくれたときも、喜びというよりは何か責任を果たした充実感みたいな顔をしてたし。

 さまざまな展開の中で、主人公が喜ぶ姿は共感を呼ぶものであるはずだし、何よりドラマを作る者として、そういうシーンを撮ることは、それこそ「作る喜び」だと思うんだよな。理屈じゃなく、そういうシーンを撮りたいもんなんじゃないかと思うの。

 そして、思い出すのです。幸福に包まれた結の姿。

 ひとつは、書道部の王子様に顔面を近づけられたとき。

 もうひとつは、この日のダイジェストの冒頭で流れた「好きだよ、バーカ!」。

 要するに少女を撮りたいんだろうな。少女が撮りたいんだ。なんかこっちまで吐き気がしてきたよ!

(文=どらまっ子AKIちゃん)

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/01/13 14:00