『おむすび』第73回 アリバイ作りに利用された東日本大震災と「何もしない主人公」の怪
主人公が何もしないなら震災に触ってくれるなよ。NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』第73回、振り返りましょう。
何を思えばいいのだろう
ちょっと感想を抱きにくい回でした。私にとって30歳を超えてから体験した東日本大震災の記憶はかなり新しいところで、あの日からの1か月くらいのことはよく覚えているんです。
都内のビルの6階の会議室で打ち合わせの最中でした。あ、地震、これはデカい……と思って打ち合わせ相手と一緒にテーブルの下にもぐって、まだあのときはそんなに深刻には考えていなかったんですよね。
揺れが収まって、オフィスに戻ってテレビをつけたら、震源地は東北だという。最初に見た津波は仙台空港でした。隣の席の同僚が仙台出身で、幸いにもすぐに家族の無事が確認できていて。少し安心していたら、今度は畑を黒い巨大な波が飲み込んでいく空撮映像に目を奪われて。
交通も麻痺していて、ほうほうのていで自宅に帰り着いたのは夜半過ぎでした。金曜日だったよね。長野でも大きな地震が起こっていた。ずっとテレビを見ていた。
「街は壊滅状態です」
「死者・行方不明者は1万人を超えることが確実視されています」
フィクションの中でしか聞いたことのない言葉が、次々に耳に飛び込んでくる。
今日の『おむすび』で描かれたのは、そういう夜の話です。到底、この国で同じ夜を過ごした人間が書いたとは思えないんですよ。
いや、ちょっとさすがになんだか、落ち込んでしまったな。振り絞ろう。
せめてアユだけでも
結さん(橋本環奈)はとりあえず赤ちゃん最優先でいいわ。せめてアユ(仲里依紗)には何かあるだろうと思っていたわけです。
そしたら、避難所の人たちはどうだとか、もう完全に事態を把握した体で思い出話が始まる。夜明け前ですよ。どこそこの海岸に何百体の遺体が打ち上げられているとか、そういう情報がリアルタイムで発せられている最中です。「避難所で大切な人と一緒に~」じゃないんだよ。まだ生き死にの時間なんだよ。病院の屋上に人が取り残されてるの。こういうところです、同じ夜を過ごした人間が書いたとは思えない。
それでも、アユはアユなりに落ち込んでるみたいで、昼間に伏し目がちで商店街を歩いていたら、とんでもないナレーションが飛び込んでくる。
「それから2週間ほどがたったころ──」
うわあ! って、思わず天を仰ぎましたよ。ととと飛ばすんかい! と。
今度はアユが大荷物のなっちゃんと鉢合わせして、なっちゃんは「これから東北に行く」と言う。
「……とうほく?」
東北だよ、東北に決まってんだろ。もうむちゃくちゃだよ。
あのね、アユに関していえば、こういうときこそ「ギャル」を描きなさいよ、と思うんですよ。
クラブで酒と音響と照明があれば人を救うことができるけど、こういうときに何もできない、ボランティアに行く気にもならないんだったら、何が「ギャル」なのよ。「ギャル」を主題に置いたドラマで震災を描くなら、そのポジティブで破天荒な「ギャル」が未曾有の大災害とどう向き合うか、どういうマインドに至るのか、そこを描かないでどうするのよ。
震災直後はそりゃわかりますよ。フラッシュバック、トラウマ、大いに結構です。2週間たってるんでしょ? マキちゃんならどうしたか考えたりするでしょう。マキパパであるナベに会いに行ったっていい。少なくとも、このドラマの作り手はアユというキャラクターを震災によって傷つけたわけです。傷つけておいて有事にその傷を描かないのは、その傷をありありと描くことよりずっと残酷な行為です。傷を描かないことは回復を描かないことだからです。傷つけっぱなしだからです。向き合いなよ。イモ引いてんじゃないよ。
地震から1か月頃
結局、結もアユも何もしないまま1か月。気仙沼帰りのカスミンが訪ねてきます。
「どうしても、結ちゃんにお礼が言いたくて来たんよ」
もうこれはいい。結が何もしてないのに周囲が勝手に感謝してくるのは、いつものことだ。
カスミンは気仙沼の状況について「津波の被害が大きくて、海沿いの家がようさん流されて、大勢の方が亡くなった」と説明します。
海沿いの家が、じゃないですよ。気仙沼は内陸まで津波が入ったことで大きな被害が出たんです。それと重油による大規模火災。震災直後に気仙沼に入った人間から「海沿いの家が」なんて説明は絶対に出てこないよ。気仙沼の被害が甚大だった理由は「海沿いだけじゃなかった」からなんだよ。フィクションだってことはわかってるけどさ、「見た人」を描くなら「見たはずのもの」を語らせなさいよ。資料読めよ。マジでやべーよ、こういうとこ。
栄養士のドラマだから、避難所で栄養士がどう動いたのかにフォーカスが当たるのは別にいいと思います。「メシなんて後だ」のおじさんも、まあ極限状態だし、そういう人がいたかもしれない。物資倉庫に忍び込んでミルクを探すくだりも、あれは火事場泥棒という行為なわけだけれども、悪意はないだろうから別にいい。
震災の発生から1か月後まで、主人公の結が何もしていないんです。何を感じたかもわからない。
震源地に近い夫の実家も「被害がない」の一言で片づけ、勤務先の支社も「総務が対応」で片づけ、この間の結についての説明は「産休中」のみ。親友のなっちゃんがボランティアに出発すると聞いたとき、何を思った? どんな会話をした? いつ、どんな会話を経て実家からアパートに帰った? 震災後、翔也と初めて顔を合わせたとき、翔也はどんな顔をしていた? この1か月、夫婦で何を話した? 知ってるか、原発が爆発したんだぜ?
主人公が何を感じて、何をして、何をしなかったのか、それを描くつもりがないのに震災を入れ込んできたことがムカつくわけです。さんざん人助けの人だってアピールしてきたんだからさ、乳幼児の育児と、どうしても被災者のために何かしたいという「米田家の呪い」と、その2つの思いに引き裂かれていたはずの主人公の1か月を見せろって話です。
面倒なことは全部飛ばしてる。しかも、ろくに取材もせず、適当に被害状況を説明してる。
そして何より絶望的なのが、今までは悲劇を展開に利用していたんですよね。ハギャレンへの加入も、翔也との結婚も、管理栄養士との出会いも、すべて悲劇がきっかけで話が転がっていた。結の環境や心情に変化を及ぼしていた。
今回の震災では、結には何も起こっていません。関係がありません。事後、1か月たってカスミンがお礼を言いに来たということは、もう震災についての話は終わりということです。『おむすび』的に言えば、震災においてもう結は人と人とを結び終わっているということです。
もはや展開に利用すらしていない。震災で話が転がってすらいない。
じゃあなんで震災を描いたかといえば、こんなものはアリバイ作りに過ぎないんですよ。阪神淡路大震災のトラウマがある人を主人公にしたからには、東日本大震災をスルーするわけにはいかない。福岡西方沖地震はたぶんみんな忘れてるから別に大丈夫だろうけど、さすがに東日本はまずいだろう。そういう浅ましい欲目の結果です。ひどいことをしてる。
誰かのこういうひどい行為を目の当たりにしたとき、私たちにできることは正気を保つことだと思うんです。真に受けず、変に茶化さず、正面から抵抗の意思を表明することだと思うんです。なんでそんな面倒を引き受けてまで『おむすび』を見続けなければならないのかと思うけど、どらまっ子だからね。原稿料いつもありがとう。明日も見てなんか書きます。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/