『おむすび』第77回 橋本環奈という重石を外した先にある「ギャル魂」の解体と再構築
考えてみれば別に震災の話や栄養士の話を見たいと思っているわけではなくて、ドラマ側が「それをやる」って言うからには、こっちもちゃんと見るから「ちゃんとやれ」というだけの話なんですよね。だから、橋本環奈のスケジュールがどうだかなんてこっちは知ったこっちゃないけど、別にその話はもう一旦終わりならそれでいいんです。
阪神・淡路大震災から30年たった1月17日に合わせて、NHKの朝ドラで追悼をしたい。東日本大震災もあったから、阪神・淡路の被災者から見た東日本大震災がどんなものだったかを表現したい。そういう、いわゆる意義のようなものに縛られて無茶苦茶になってしまったドラマを見せられてきたわけだけれども、とりあえず今週からは自由なんです。NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』は、さまざまなノルマから解放されることになる。
んで、最初に手を付けたのが、これまで劇中で天衣無縫に振る舞い、縦横無尽に無双してきた「ギャル魂」という概念の解体と再構築ということなんでしょう。「ギャル魂」によってあらゆる問題を解決してきたドラマの中で、もう一度その「ギャル魂」とは何ぞや? と問い直してみる。その心意気はいいと思うんです。いつだって『おむすび』は、心意気だけは悪くないんだ。
でも作り手が思っているほど、視聴者には「ギャル魂」が伝わってないんですよね。誰も「ギャル魂が最高で無敵」と思ってない。むしろ、都合のいいときだけ「ギャル魂」とか言って適当に誤魔化してんじゃねーよ、と思ってる。
作り手が思い描いていた理想はたぶん、『おむすび』を見ている国民のみなさん、お父さんもお母さんもお兄ちゃんお姉ちゃんも、みんなが「私もギャルかも?」「俺ってギャルじゃん」なんて言い出してる、そんな明るくてポジティブな日本だったはずです。そういう朝ドラを見て、「今日も1日、あのギャルたちみたいに明るくポジティブに生きよう!」って思えるような、そんなドラマになりたかったんだと思う。失敗したな、残念でした。波乱に満ちた快作になるはずが、破綻に満ちた迷作になってしまった。破綻って、満ちることがあるんだね。初めて知ったよ。
第77回、および昨日の第76回を振り返りましょう。
それでも昨日はよかった
結(橋本環奈)が外れることになって、ちょっとした浮遊感が生まれていたんですよね。震災、栄養士という設定と橋本環奈という存在が、やっぱり『おむすび』にとっては重石になっていたんだと感じたんです。
だからけっこう、機嫌よく見られたんです。あれ、意外に楽しくなるのかなと思ったの。
ルーリー(みりちゃむ)が109のギャルをディスってるときも、そうそうわかるわかるって思ったんですよ。なんかスカしてんだよな、むかし知り合いの彼女でマルキューのマリー・クワントで働いてる子がいたけど、なんかろくに知り合ってもいないのに「AKIちゃんさんっていい人ですよね? 私そういうのわかるんです」とか言ってきたり、店長だかなんだか知らないけど自分の役職を「SD」とか言ってたり、いけ好かない感じだったのよ。ルーリーとノリが合わないのもよくわかるよ。大阪のほうが合うでしょ、ルーリーってマリー・クワントよりクワバタオハラのほうが好きそうだもんなー、なんてほのぼのした気持ちで見ていたわけです。
ママ(麻生久美子)がルーリーの居候をあっさり認めるくだりも、結がいなくなってブログネタに困ってたところだろうとか、思いのほか物語がすんなり頭に入ってきて、自分でも少し驚いていたんです。こんなもんでいいんじゃないの? 震災についてひとしきり語り尽くした(語り尽くしてはねーけどな!)後の延長戦としての『おむすび』は、こんな感じで明るく楽しく進んでいくのかなと、淡い期待を寄せていたの。
で、今日の第77回ですわ。冒頭からあの辛気臭い震災語りが戻ってきたかと思ったら、意味不明なファッションショーが始まる。アユ(仲里依紗)もノリノリで参加してたくせに、今度はすぐ不機嫌になって周囲に気を使わせる。せっかく結という「気を使わせ魔人」がいなくなったと思ったら、姉ちゃんに乗り移っとるやんけ。それをやりたいならファッションショーの一連はノイズでしかない。あれ単体では別に楽しかったのに、自らその楽しさを踏み潰していく。
挙句の果てに、不機嫌な理由は「アキピーは仮設に暮らしてる」からだという。「今を楽しめない人はどうしたらいい?」「そういう人に、ギャルだから前を向けなんてさ、私は言えないよ」。
昨日、『おむすび』の震災との向き合い方の総括として、多くの被災者を一人ひとりの人間ではなく「かわいそうな人のかたまり」と認識していることが最大の問題だったと書きました。だから全部が他人事で、誰にも寄り添ってない。
またこれなんですよね。仮設で暮らしている人は全員、ひとり残らず「かわいそうだ」と言っている。「前を向けない人だ」と決めつけている。楽しいことなんてひとつもないと思ってる。実に不遜なレッテル貼りですよ。同じ人間だと思ってない。何食ってたら、こんな失礼な発想が出てくるんだろうと思うよ。
だいたい、アラサーのいい大人が震災から1年もたって「どうしたらいいかわからない」なんて言ってるのに無理があるんですよ。せっかく友達も被災地にいるんだから、行けばいいじゃん。迷わず行けよ、行けばわかるよ。マキちゃんの墓参りの件もそうだけど、アユのこの「行けばいいのに行かない」という行動原理は、どういう心理的裏付けでもって作られてるんだろう。マジで意味わからん。アスカの電話とメールを無視してた意味もわからん。なんにもわからん。
あとチャンミカとアユは、結たちが神戸に来る2年前に古着屋の仕入れ倉庫でばったり会って、夜通し語り合ってそのマキちゃんの墓参りに初めて行ったという話でしたけど、東京の読モ時代って何? いい加減にしていただきたい。こういう明らかな脚本ミスについてはもう面白おかしくツッコミを入れて笑い飛ばしたいのに、いちいち登場人物の不可解で不快な行動原理と震災を抱き合わせで突き付けられるから、マジで怒らなきゃいけなくなる。めんどくさい。
あとなんだっけ、商店街の一角を潰してショッピングセンターを作るんだっけ。ナベの土地を買い取ったら作るって? これは持ち前の社会常識のなさの発露ね。誰がそんなめんどくせーことするのよ。どんな規模なのよ。こんなの天下のイオン様が郊外にデカいのドカンと作って一網打尽よ。これも「商店街vsショッピングセンター」という記号を置きたいだけなのに、その初っ端の置き方からして失敗してる。いったい何ができるんだよ、おまえたちは。
もうちょっとついでに言っとこう
星河の社食で結と代理のマユ毛男が一緒に働いてるシーンがありましたね。結が育休から戻るにあたって、その雇用を案じていた人ですが、普通に2人で働いてる。じゃあ、あの案じていたシーンはなんだったのか。
ドラマが社会問題を扱うとき、普通は、そのテーマを登場させて、そのドラマなりの思想を物語として表現するものです。そうして投げかけられた思想に対して、賛否両論があってもいい。
『おむすび』は、投げかけないんですよね。今回も育休制度についてテーマにしたかと思ったら、何事もなかったかのように2人で働いている。
夫婦別姓問題もそう。米田か四ツ木かでモメたと思ったら、別にいいや、となってる。重症妊娠悪阻もすぐ治まる。規格外野菜も、もっとも問題になるはずの仕入れの段取りをすっ飛ばしてる。
問題意識を持っています、というポーズだけ取って、中身が何もない。
なんだか今日は、今までにも何回かあった、どよーんとしちゃう回だったな。このドラマを作ってる人たちが、タッチパネルの前でどうしたらいいかわからなくて困り果てている老人みたいに見えてきちゃった。震災にしろギャルにしろ社会問題にしろ、やりたいことはわかるんだわ。でも、そのやり方では一生できないんだわ。
やるせないわ。
(文=どらまっ子AKIちゃん)
◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
https://note.com/dorama_child/m/m4385fc4643b3
第57話~
https://cyzo.jp/tag/omusubi/