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歴史エッセイスト・堀江宏樹の大河ドラマ『べらぼう』放送談義3

『べらぼう』入銀本が示す武士から商人へと変わる支配階級、そして格段に複雑さを増す江戸城の人間関係

『べらぼう』入銀本が示す武士から商人へと変わる支配階級、そして格段に複雑さを増す江戸城の人間関係の画像1
『べらぼう』の主人公・蔦重を演じる横浜流星(写真:Getty Imagesより)

──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・大河ドラマ『べらぼう』に登場した人物や事象をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく独自に考察。

『べらぼう』第3回は、「入銀本」に終始した内容でしたね。

 それにしても『一目千本』は花同士が相撲を取る=競い合うという趣向の本だったとは……。ドラマでは小芝風花さん演じる花の井の花が何かを見ることができませんでしたが、実際の『一目千本』にも花の井をたとえた花は載せられていませんでした。

 よく考えれば、ドラマでは花の井が、中村隼人さん演じるパトロンの「長谷川さま」こと長谷川平蔵――後の「鬼平」に50両ねだったものの、あれは蔦重を通じて貧困にあえぐ河岸見世の女郎救済に用立てられて消えてしまい、花の井は掲載してもらえなかったという筋書きだったようです。そういう事情もあり、ドラマでは蔦重に感謝する河岸見世の女郎屋の一室が製本現場になっていましたが、江戸時代の「和綴じ」の本ってああやって作られていたのか……と興味深く拝見しました。

『一目千本』は、出資者あってこそ可能な「入銀本」で、現代的にいえばクラウドファンディング兼「自費出版」だったというドラマの話も面白かったですね。

 実は、はっきりとした資金の流れは、現代となっては不明ではあるのです。

 しかし、その後も蔦重は遊女を描いた錦絵などを発行し続けているのですが、これらのほとんどは版元つまり蔦重が遊女にモデル代を支払って描かせた純粋な商業出版ではなく、「吉原の廓内に資力を求めて妓楼や遊女の宣伝用にこの手の出版」をしたものだと考えられているそうです(向井信夫『江戸文藝叢話』八木書店)。つまり、全てはスポンサーによる広告目的の出版だったということです。

 また、ドラマでは『一目千本』も吉原の馴染みになるしか手に入らない本という位置づけでした。史実でも贈答品として人気を博し、江戸中の話題となったようですね。バブル時代は企業が宣伝用に大金を使って豪華なカレンダーや冊子化したパンフレットを競うように作らせ、それを惜しげもなく配布していたそうですが、それと似ているかもしれません。

 ドラマでは『一目千本』の企画に、吉原の名店の売れっ子花魁たちが出資したという話でしたが、実際は遊女たちの所属店舗が出資元だったと考えたほうがよさそうです。まさに『べらぼう』は武士が名目上の支配階級にすぎなくなり、事実上の支配階級が富裕な商人に移り変わろうとしていた時代の物語なのです。

 さて、第4回のあらすじは次のとおり。

「蔦重(横浜流星)は西村屋(西村まさ彦)と共に、呉服屋の入銀で錦絵の制作を順調に進めるが…。城内では、田沼意次(渡辺謙)による賢丸(寺田心)の養子計画に暗雲が…」。

 前回の吉原サイドは、蔦重発行の「入銀本」によって吉原が再び江戸の注目を集めるというお話でしたが、江戸城サイドでは、将軍家の血脈を絶やさぬよう、8代将軍・徳川吉宗によって「御三家」に加えて新設された「御三卿」のひとつ、田安家の賢丸(まさまる)が、白河藩主・松平家に養子に行く、行かないという問題が描かれていました。

 田沼意次は、幼少のわりに小賢しいところがある賢丸を田安家から外に出しておこう(=将軍継承権を確実に奪っておこう)と考えた……という描かれ方でしたね。

 このあたりの事情が、歴史にあまり詳しくない方からはわからなかったという声がありましたので、次回以降の内容と合わせて補足させていただきます。

複雑な徳川家、田沼家、田安家の関係

 田安家の賢丸とは、後の松平定信です。簡単にいえば「カタブツ老中」ですが、彼は10代将軍・家治(眞島秀和さん)が変死し、その直後に田沼意次が失脚してから11代将軍となった家斉の治世において絶大な権勢を握ることになります。

 昨年のフジテレビ版『大奥』では宮舘涼太さんが怪演し、亀梨和也さん演じる家治と将軍継承権と御台所・五十宮倫子を奪い合うというトンデモ設定になっていた気がします。しかし、例のフジ版・大奥はかなりのデタラメなので、忘れてください。

 松平定信は血筋上、8代将軍・徳川吉宗の孫にあたります。吉宗の次男・徳川宗武の次男だからです。

 かつて徳川宗武は、暗愚とされる兄・家重より優秀だったとされています。しかし、家康時代からの長子相続の原則を守り、9代将軍となれたのは兄・家重で、宗武はその人事に不満を感じていたとされていますね。そういう宗武のルサンチマンが、宗武の次男・賢丸(松平定信)にもどの程度、受け継がれていたのかどうか……。

 ドラマでは徳川宗武の正室・宝蓮院が、賢丸を白河藩の養子に出すことに断固拒否していましたが、賢丸の生母は宝蓮院(花總まりさん)ではありません。賢丸の生母は宗武の側室・香詮院でした。しかし、史実でも宝蓮院は自分の子どものように賢丸の将来を考え、彼を他家に養子に出すことに反対の立場を貫きました。

 ドラマでは田安家の跡継ぎは賢丸の兄・治察(はるあき/はるさと)で、いくら優秀でも次男・賢丸は血統を絶やさぬための「部屋住み」……つまり現代英王室のヘンリー王子のような「スペア」的立場で一生を過ごすことになるのだから、それならば他家に養子に出て、白河藩主・松平家の跡継ぎになり、藩主に就任したほうが賢丸の有能さを活かせるのでは……という田沼意次の「提言」がありましたね。

 賢丸はいろいろと裏事情を悟った上で、「兄・治察に男子が授かった後なら養子に出てもよい」と言っていましたが、実際はときの将軍・家治の強い意向に逆らえず、彼が数え年・17歳だった安永3年(1774年)3月、白河藩主・松平定邦との養子縁組が成立しています。

 しかし興味深いことに、その後も賢丸こと定信は江戸城の一角に設けられた田安家屋敷の中で暮らしました。将軍の決定に不服だったのでしょうか。そして実に奇怪なことに、養子縁組が結ばれた安永3年9月、彼の兄・治察が世継ぎもいないまま突然死してしまっているのです。

 定信の義母・宝蓮院はこれをきっかけに定信の養子縁組を解消しようとしたのですが、田沼意次の手で握りつぶされてしまったそうですよ。どうしても賢丸を他家に出したくない田安家が、凡庸で知られた賢丸の兄・治察を犠牲にした? とも受け取れかねないような陰謀の香り漂う一幕ではありますが、実際は不幸な「事故」だったようです。

 事故と判断する理由としては、田安家がその後数十年にわたり、当主不在のまま存続を許されるという「ゾンビ」のようなことになったからです。これはかなりの特例措置だったといえるでしょう。

 それにしても不幸なのは定信です。兄の死により、御三卿の一翼・田安家当主になれる幸運が本当なら転がり込んでいたのに、ヘタに養子縁組の約束をしていたせいで貧困にあえぐ白河藩の藩主にならざるをえなくなってしまったのでした。もちろん、御三卿の当主であれば将軍継承権もありますが、他家に養子に出てしまうと、それは失われるのですね。

 ドラマでは、田沼意次と事あるごとに衝突している印象の石坂浩二さん演じる松平武元(まつだいら・たけちか)についても少しお話しておきましょう。

「どうも松平姓の人物ばかり出てきて分かりづらい」という読者も多いでしょうが、松平武元は当時、棚倉藩藩主で、いうまでもなく白河藩藩主の松平家とは別の松平家の当主です。

 ドラマでは保守派のわからず屋といった描かれ方ですが、安永8年(1779年)、61歳で松平武元が亡くなるまでの間、彼と田沼は協力関係にありました。田沼発案の商工業奨励政策の多くも松平武元の名前で出され、実行されたものが多いです。

 このように吉原サイドに比べると、格段に複雑な江戸城サイドの人間関係をうまく処理、もとい編集できるかが今後の『べらぼう』の鍵となってくるでしょうね。引き続き、放送を楽しみにしたいと思います。

(文=堀江宏樹)

堀江宏樹

作家、歴史エッセイスト。1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

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堀江宏樹
最終更新:2025/01/26 12:00