『おむすび』第102回 大御所・松平健、渾身の「老け芝居」が上滑りする恐怖 打ち首にされちゃうぞ!

なぁーんか今日は15分がやけに長く感じましたね、NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』。
病院のほうでは妊婦さんがいたはずですが、とりあえず放置のようです。今日はほとんど家族の話オンリー。以前、第97回でしたね、このレビューで「結さんが患者と関わらないと不快な場面が訪れない」と書いていますが、なんのなんの、今日の第102回はきっちり不快でした。さすがだぜ。
ところで今日は、すごくよかったところもありました。おお、すごくいいじゃんと思ったんです。
じいじ(松平健)&ばあば(宮崎美子)との散歩から帰ってきた花ちゃん、部屋の中を2~3歩、走ったでしょう。天真爛漫サッカー少女の面影をやっと見られたというか、走った! と思ったんだよな。
この子、まるでデスゲームの参加者みたいにずっとイスに縛り付けられていたという印象だったんですよね。顔と声だけ元気だけど、フラワーロックみたいに足元を固定されて結さん(橋本環奈)と翔也(佐野勇斗)を交互に見上げるだけみたいな。
実際はそんなことなくて、何しろ『おむすび』的にはこの病院パート前半のハイライトとして打ち出していたであろう「花、不器用なおむすび握って『食べり』」というシーンもあったんですが、あんなのは花ちゃんのキャラクター造形とまるで関係なく、「食べり」と言わせたいというドラマの都合でがんじがらめにされた上で押し付けられた所作であって、まるで自由に動いている感じがしなかった。今回、部屋の中をちょっと走ったことで、ようやく生きた人間としての花ちゃんを見た気がしたんです。
こんな小さなことにも幸せを感じられる心、大切にしていきたい。
では、振り返りましょう。
それ自体はうまくやってるのに入ってこない
そもそも今週の「米田家の呪い」というエピソードのベースには、「じいじが年老いて弱っている」という状況があるわけです。パパに軽く突き飛ばされてよろける、酒もあんま飲めない、散歩から帰ってきたらすぐ寝ちゃう、そういうじいじの弱りっぷりが物語を組み上げる下敷きになっています。
ところが、このエピソードはじいじが突然、糸島から神戸に押し掛けてくるというスーパーアクティブなアクションからスタートしているんです。しかも、出勤前の朝っぱらに訪ねてきている。
これまで、この「突然誰かが訪ねて来る」というパターンは多用されていて、それ自体がおもしろいものではないのですが、ともあれ「行動力が旺盛な人物である」という印象を与えてきていたんですよね。というか、この突然の訪問という無礼千万な行動に対して「行動力が旺盛だ」というエクスキューズをほのめかすことで、どうにか視聴者を納得させようとしてきた節がある。
だから今回のじいじの来襲も「なんだか知らんが、相変わらず元気なジジイだ」という印象を与えていることは間違いない。
しかし実際にはもう弱り切っている。パターンの反転が行われているわけです。今までの「突然の来襲者」とのギャップを演出している。
それ自体はうまくやってると思うんですよ。「これが最期」と決めて、弱った体にムチを打って神戸までやってきた。どうしても伝えたいことがあって、強引にでも「みんなで太陽の塔を見にいこう」と提案する。それでも素直になれなくて「ガンになっても陰気な性格は変わらん」などという過度な暴言を吐いてしまう。年老いた父のはっきりと変わってしまった部分と、まったく変わらない部分がある。流れだけ追っていけば、胸が締め付けられるような物語になっているはずなんです。
なんだろう、この胸が締め付けられない感じは。どうして私たちの心の中の巨乳は、いつまでたってもバインバインのタユタユなのだろう。
ひとつはやっぱり、そもそも何やねんということなんですよね。じいじとパパの間に横たわる断絶の原因となった「大学に行くお金を勝手に使った」という因縁そのものが、非常にどうでもいいというか、ドラマの根幹に刺さってないんです。
「大学に行きたかった」と、パパの悔恨は常に過去形で語られます。いつまでそう思ってたの、この人? 今も思ってんの?
米田聖人という人は父親の使い込みをきっかけに家出して、師匠を追って神戸に移り住み、床屋の修業を始めた人でした。その地で未成年の少女と出会い、ステキな恋をしたはずです。ギターを抱えてプロポーズして、かわいい女の子を2人も授かって、神戸の町が震災に襲われても「ここに残って復興を手伝いたい」と思うほどに地域に根差した人生を送ってきた。
父親が学費を使い込んでおらず、大学に行っていたら、当然あの家出少女と出会うことなんてなかったし、理容師にもなっていないでしょう。「大好きな愛子」のいない人生を送っていたはずなんです。アユとも結さんとも出会うことはなかった。
よかったじゃん、大学行かなくて。今の人生が最高だって、ガンになって再確認したばっかりじゃん。別にもう、どうでもいいじゃん。
聖人が父親に向けた怒りが「大学に行けなかった」ことだとしても「いつまでたっても使い込んだ理由を話さない」ことだとしても、「父が老いて死にそう」という際まできて抱え続けるような問題ではないと思えてしまうんです。もう60だぜ、震災後には12年も実家に世話になってたんだぜ、その間に解決しとけよって。12年間、4人家族を住まわせてもらった家賃だと思えば安いもんだろ。
そうだ、金額がわからないのも気持ち悪いんだ。じいじは一体いくら使い込んだんだ。これだけじゃなく、『おむすび』ってドラマは金額にとことん無頓着なんだよな。
糸島に移って12年後、神戸の商店街に空きテナントが出て、半年後に移住しているわけですが、この契約にはまとまったお金が必要になるはずなんです。居抜きったって、少しは内装もいじるでしょう。神戸の商店街にある店舗テナントと、同じ建物内に住居。その住居は6人くらい泊まれる広さがあるらしい。2件の不動産契約と開業までで数百万はかかるはずだ。その金はどっから出たの? 貯め込んでいたなら、それこそ12年間住まわせてくれた父親のおかげなんじゃないの?
金の話でいえば翔也が星河電器を辞めてヨネダで週5のバイトしつつ理容師の通信に行く学費がかかる状態になっても同じマンションに住み続けているのもおかしいんだよな。一家で神戸に引っ越して同居すればいいじゃん。翔也と義父母の関係だって悪くないし、何しろ神戸のマンションは6人くらい泊まれる広さがあるんだから。
あと細かいけど、病床の聖人に結さんが「姉妹で海外旅行をプレゼントする」と言ったのも引っかかってます。数十万ですよ。
総じて、金についてまったくシリアスに語ってこなかったドラマが、金の問題をじいじの人生のクライマックスに持ってきても、シリアスに捉えられるわけがないんです。
結果、上様・松平健の悲哀に満ちた「老け芝居」を上滑りさせるという、日本ドラマ史上に残る暴挙が行われることになった。怖いよ、打ち首にされるんじゃないの。
魔法使い、くるくる結さま~♪
かように、じいじの秘密自体が魅力的じゃないものですから、結さまがばあばからその真相を聞き出したところで、もう別にどっちでもいいです。
どっちでもいいんだけど「お母さんごめんね、あとは任せて」と電話で言ったり、花ちゃんと翔也が皿洗いしているのを手伝うでもなく、目配せひとつで「大じいじを花の部屋に連れていけ、そしてここには戻ってくるな」と伝えてみたり、きよしにばあばを連れ出して何か意味不明な呪文を唱えて口を割らせるという魔法使いヒロインムーブに加えて、きよしでカボチャの煮付けを食べているばあばに「ここ、煮付けも美味しいんよ」とか言ってしまう雑さだったり、「酒で口を割らせる」「女性が酒を飲むことに驚く」というダブルアナクロニズムを平気で披露してみたりと、不快感を置いていくことだけにはまったく抜かりない。
あと、ほうれんそう切ってから茹でる人いるの? 仮にも栄養士のドラマだよなこれ。そういうとこです。
※追記
ご指摘を頂き、追記させていただきます。土井善晴先生がNHKでほうれんそう切ってから茹でていたそうです。フライパンにちょっとお水を入れて「蒸し茹で」にしてたんだって。勉強になる!
(文=どらまっ子AKIちゃん)