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『おむすび』第114回 物語はいかにして「悲劇のテンプレート」にたどり着いたか

橋本環奈(写真:GettyImagesより)
橋本環奈(写真:GettyImagesより)

 今日は悲しかったですねえ。いや、ちゃんと悲しかったですよ。

『おむすび』取材結果を「置いただけ」

 病院で働いている人が家族と離れて暮らさなきゃいけなくなった。医療従事者の子どもが学校で差別的な扱いを受けた。

 当時、そういう話はいくらでも聞こえてきたし、私にとっては他人事だけどすごく胸を痛めた記憶だってあります。それをそのまま再現したら、そりゃ事実関係が悲しいわけだから、悲しい気分にもなるものです。

 嫌な言い方になるけど、コロナ禍を扱う上で作り手側が「これやっときゃ押し切れるだろ」という目論見だったことがバレちゃってるんだよな。それこそ見る側の脳内補完に頼り切っている。というか、結果的にこっちで勝手に知ってる誰かに当てはめて悲しい気分になるような仕組みになってる。

 なぜそうなってるかといえば、これが米田結(橋本環奈)という個人の物語ではないからです。今日、改めて思ったけど、この米田結という人がどういう人なのか、全然知らないんだ。

 なんで病院で働いてるのかもよくわからないし、なんでわざわざ一家で神戸に来てたのかもわからない。いちおう説明はされているけれど、まったく納得できるような理由ではなかったから、腑に落ちてない。そして描かれた被災地にもレッドゾーンにも、米田結はいない。人づてに話を聞いただけ。

 だから物語の中で、米田結という人に実存がない。こういうことが報じられていて、米田結という個人のケースではこうだった、というパーソナリティが何もない。この人は何も感情を蓄積していない。単なる人の形をした虚像でしかない。

 人の形をした虚像が、実際私たちの記憶に新しい「悲しい配置」に置かれていて、それを見せられた私たちは知っている誰かをその虚像に当てはめて、悲しい気分になる。

 NHK朝の連続テレビ小説『おむすび』が徹底して私たち視聴者を「納得させなかった」ことが、「悲しみ」という感情の揺れを呼び起こすことに作用している。

 でもこれは、ドラマに呼び起こされた感情ではない。出来の悪い再現VTRの、その出来の悪さ故の想像の余地と、たった数年前の真新しい記憶によるものだ。単なる「悲しみのテンプレート」を見せられただけだ。

 そういう感じ。第114回、振り返りましょう。

棒立ち! 米田結、棒立ちだー!

 じゃあ米田結という個人の物語としてもう一度、この第114回を振り返ってみたらどうだろう、という話をします。

 冒頭、休憩室のような部屋で大勢のナースが休憩をしています。マスクをしている人もいれば、していない人もいる。そして、まあまあ密です。昨日、レッドゾーンから「ありがとうね」と結さんに声をかけていた看護師・桑原(妃海風)もいますね。

 そこにやってきた結さん。「おつかれさまです」と桑原に声を掛けますが、そのまま棒立ちです。管理栄養士に限らず、仕事中にどこかに足を運んで誰かに声をかける場合、何か用事があるケースが大半かと思いますが、特に何も用事はないみたい。何しに来たのかな。

 そこにやってきたドクター森下(馬場徹)。消化器内科の担当医でしたが、今はレッドゾーンでコロナ患者の対応に当たっている人ですね。

 ここでナース桑原とドクター森下がレッドゾーンの中の過酷な状況を結さんに話して聞かせるわけですが、相変わらず結さんがここに来た目的を何も言い出さないので、不気味でしょうがない。ただ来てみたら、そこに居合わせた人が勝手にしゃべり出して、それを深刻な表情で聞いている。桑原と森下が結さんにレッドゾーンの状況を話して聞かせている理由もわからないし、森下の話から200床もあってコロナ患者を受け入れてるのにECMOが「足りない」んじゃなく「ない」という変な病院であることも明らかになるし、急に知らない人が「休職する」とか言い出すし、怖いんだよな。ただ棒立ちの結さんの目の前を、情報が流れていく。これ「結さんが見ている夢」ということだったら、ギリ説明がつくシーンです。

 そして結さんは桑原の話から、基礎疾患のある人や術後の高齢者はコロナに感染すると重症化しやすいという情報を生まれて初めて仕入れることになりました。知らなかったんかい!

 と、書いてから改めて見直してみたら、桑原は「重症化しやすい」ではなく「感染しやすい」って言ってるな。やっべえな、これだと「基礎疾患のない人や術後の高齢者以外は感染しにくい」ことになってしまう。じゃ、レッドゾーンって何なん? 誰も彼もが感染しやすいからエリア区切ってんだろ。これシナリオ的にめちゃくちゃデカいミスだと思うけど、NHKの校閲は何やってんの、仕事しろ。

結を待ったり、待たなかったり

 一昨日の第112回ですね、花ちゃんがお盆に食器を乗せて台所に運んでいるところに結さんが帰ってくるシーンがありました。花ちゃんがいきなり「ママや!」と叫んで飛びつこうとして、結さんがそれを制して手洗いうがいをした場面です。ここ、花ちゃんが急にママ大好きになってびっくりしたし、うがいを終えた結さんが花に目もくれず晩飯にありついたことにもびっくりしたんですが、びっくりしつつ「あ、待たないんだ」と思ったんですよね。

 花ちゃんが食器を台所に運んでいたということは、夕食の直後ということでしょう。せいぜい20~30分待ってれば一家4人で晩ごはん食べられたのに、結さん以外の3人は先に食べちゃってた。シーンに「全然仲良くない家族」という意味が出ちゃったことで、花ちゃんが「ママや!」と言って飛びついたことが余計に気持ち悪くなったので、よく覚えているんです。

 そんで今日、今度はパスタなのに「もうちょっとでママ帰ってくるから、待つべ」と言う。パスタこそすぐ食べようよ。

 そしたら翔也(佐野勇斗)の電話が鳴って、結さんは大阪の自宅にいるという。

 じゃあ翔也が「もうちょっとでママ帰ってくる」と断言した根拠は何なん? 結さんから「何時に帰る」ってLINEが来てたんだと思うじゃん。まあ作り手の意図としては「パスタが冷める」という描写で悲しい事態に拍車をかけようとしているわけですけど、食べ物をそういうダシに使うんじゃないよ。気ぃ悪いわ。

 結さんも結さんで「今日ごはんいらないから」という連絡はちゃんとしましょう。

 ここね、ああ普段ごはん作らない人が書いたシーンだな、とすごく感じましたね。「パスタが冷める」ことに悲しみは感じるけど、それ以上に「いらない人の分も作っちゃった」というストレス、「いらないならいらないって先に言えよ!」という怒りに、まったく思いが及んでない。晩ごはんとか、自動的に出てくると思ってるタイプだな、ノの字よ。

 と、ここまでが「悲しみのテンプレート」が発動するまでの流れでした。こんなんでもちゃんと悲しくなるんだから、テンプレートの強みたるや、そりゃ制作陣も心強かったことでしょう。

扉の厚みとチャーハン

 あとはまあ、マンションの扉越しにそんなボソボソしゃべってもよく聞こえないと思うよ、とか、なんで「翔也と花のおむすび」ではなく「じいじのチャーハン」なのかとか、そういう変な部分もあるんだけど、ここで気になったのは「事実関係」と「悲劇」の比重の問題です。

 結さんは毎日病院に出勤してるし、ノーマスクの人がいる休憩室を無目的にウロついてたりするわけだから、当然、感染者でも接触者でもないわけだよな。だったら、家に入れろよって話なんですよ。互いにマスクしてディスタンスを維持しつつ、家の中で話せばいいじゃない。お茶でも入れなさいよ。

「綿密な取材をもとに」とか言いながら、こうやって「ドア越しの2人」を描きたいがために必要以上の感染対策を描く。必要以上にコロナを恐れる演出を平気でやってくる。コロナを正しく理解し、正しく恐れましょうという意識と逆行している。

 こういう過剰に恐怖を煽る演出をやってくるマインドって、学校で花ちゃんを「コロナまみれ」と呼んだ男子と共通するものだと思うんだよ。よーく胸に手を当てて考えてほしいところです。これはマジです。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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第1話~第56話
第57話~

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/03/13 14:00