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『おむすび』第116回 リアリティの欠如が「不真面目なドラマ」を生む、その不快感の正体

橋本環奈(写真:GettyImagesより)
橋本環奈(写真:GettyImagesより)

 人んちのごはんにとやかく言うのは下品なことだし、実際にこういう家庭があるのかもしれないけど、ラップで包んだおむすびを握った直後にそのラップを剥がして食べ始めるというのは、何なん? これ、コロナ禍で初めてラップで握ったときも同じことを思ったんですが、今回のNHK朝の連続テレビ小説『おむすび』はタイトルを「おむすび」としたわりに、ストーリー中で「おむすび」を機能させることができず、「おむすび」登場時、常に強引に差し込まれた感じが否めないんですよね。

『おむすび』コロナ禍もあっさり終了

 もともと阪神・淡路のときに「おむすび」を持ってきてくれたおばちゃんを起点に物語を立ち上げていて、そのエピソードをきっかけに主人公が栄養士になると宣伝されていた作品でしたが、結さん(橋本環奈)が栄養士の道を志したきっかけも「おむすび」とは関係ない「彼ピのため」でしたし、その後も「おむすび」が物語の中心に屹立したエピソードはほとんどない。専門学校時代の炊き出しとカスミンの避難所がギリ成立してたくらいで、主人公は「ムスビン」「おむすびちゃん」などと命名されているにもかかわらず、「おむすび」とのつながりとしては最終盤を迎えた今でも「チンして」を上書きすることができていない。『おむすび』というドラマが、ずっと「おむすび」を持て余している。

 あ、花ちゃんに「食べり」されて一家で笑ってたところは、あれはダメなシーンなので選考外です。その理由は第95回のレビューで書いたので、今回は省略しますね。

 で、コロナについてです。

「令和5年、ようやくコロナが落ち着き始め、マスク着用の緩和が進み、徐々に日常が戻ってきました」というナレーションが、このドラマが扱った「コロナ禍」の幕引きとなりました。

 主人公を病院勤務の管理栄養士に設定し、医療従事者がコロナ禍とどう向き合ったかを描こうとしていたことは明らかでしたが、その幕引きは町中にマスク派とマスクしない派を混在させて「着用の緩和が進み」という意味不明な日本語でもって安易に片付けていく。

 結さんが通常業務のほかにやったことといえば、ディスポの発注ミスと患者への手紙、それにイエローゾーンへの配膳のみ。これで、医療従事者にとってコロナ禍がどんなものだったのかを語り切ったとするなら、やっぱり「『おむすび』はコロナをちゃんと扱えなかった」と結論付けるしかありません。

 でもまあ、終わっちゃったもんはしょうがないからな。第116回、振り返りましょう。ふぅー、あと10回か。

身元不明か否か、それが問題だ

 結さんは34か、35歳かな。この「その人がそう見えない」問題もずっと『おむすび』というドラマの説得力のなさにつながっていて、中学生になった花ちゃんも、そのルックスから強い主張をしていた小学生の花ちゃんの未来には見えないし、運ばれてきた少女も2週間何も食ってない栄養失調患者に見えない。

 一方でオーディションで入ってきたなっちゃん役の田畑志真さんはJD時代にはJDに、30歳のときは30歳に見えていたから、やっぱり物語の外の都合で行われたキャスティングが『おむすび』というドラマへの没入感を妨げていたことは確かなんだよな。端的にいって、橋本環奈という俳優に高校生から34歳までを演じる素養がなかったということだと思う。だから俳優として無能だということではなく、長い時間の流れを描く朝ドラの主演を張るタイプではなかったという話です。

 でー、その栄養失調少女。NSTでは「おとといの夜、緊急搬送されてきた身元不明の女性です」と紹介されます。

 その少女に、単独で対面を試みる主人公。

「なんで助けたの? ほっといてくれればよかったのに」

 この少女は2晩を病院で過ごしていて、その間、食事をとらず、点滴を刺されることは受け入れている。「なんで助けたの?」という言葉を病院関係者にぶつける機会は、いくらでもあったはずなんです。それなのに、まるで米田結の登場を待っていましたとばかりに希死念慮を披露している。

 ここにもドラマの構造的な失敗があって、管理栄養士が患者に本音をぶつけられるというシチュエーションに拘泥するあまり無理が生じている。本来、主治医となったドクター森下が次に少女をつなぐ先はNSTではなくメンタルの専門家であるはずでしょ。危ねーと思っちゃうんですよ。身寄りがなく希死念慮のある未成年に、メンタルの知識がない管理栄養士を単独で接触させるのは危ないと思うの。案の定、この管理栄養士は少女に「おむすびちゃんでも、好きな呼び方で呼んでください」とか「ほっとけないよ」とか「ご家族が悲しむ」とか、的外れな言動を繰り返している。

 これ、問題を「食事をとらない」ということだけに単純化して米田結を病室に送り込んでしまうから、このドラマが少女の症状を真剣に描こうとしていないと見えてしまっている。マキちゃんに似ている少女と結さんが出会うという展開を作る上でのご都合主義、その主義を通すための段取りが雑すぎるんです。

 その後、NST室に戻った結さんに少女の身元の詳細が語られますが、その内容はNSTの看護師が警察に話を聞いたのだという。

 この病院と警察の情報共有はどういう経路になってんのよ。この情報は本来、警察から主治医とその上長に伝えられ、主治医からNSTに共有されるべきものでしょう。

『おむすび』というドラマはSFではなく、現実の社会をモチーフに描かれたものであるわけですから、私たちはどうしても自分の中にある常識と照らし合わせながら物語を追うことになります。そして本能として、身元不明の少女が搬送されてきたら、その少女の無事を祈ることになる。その私たちの「無事を祈る気持ち」が、こうした常識から乖離した状況描写をされることで蔑ろにされているような気分になるんだよな。これが『おむすび』の社会常識のなさが視聴者に与える不快感の正体だと思う。

 で、結局のところ身元不明でもなんでもない家出少女をあいかわらず身元不明扱いして、食べたいと思うメニューを考えるとか言って本をペラペラめくるという、既視感しかないシーンが訪れる。「考える=本をペラペラ」という心象描写も、太極軒のカラフル餃子を考案したときと同じ仕草なので管理栄養士歴9年という経験の積み重ねが感じられず、「まるで成長していない」という印象から逃れられない。

 震災とコロナを描くことは、ある意味でこのドラマに課せられたノルマだったと思うんだよな。それを終えて、あと2週間となって、ここからはさすがに本来語りたかったメッセージが現れてくるという期待もあったんだけど、こりゃたぶん無理だ。消化試合、敗戦処理の2週間になりそうな予感がぷんぷんします。

 あとね、「マキちゃん似」というのも、何か乱暴な展開を予感させてヒヤヒヤするんだよな。このドラマは過去にも未成年の家出少女を登場させていて、その少女を勝手に引きとってアパートに住まわせ、妊娠させたことを「優しさ」として描いたことがありました。聖人と愛子の馴れ初めね。あれも犯罪まがいだったんだけど、そこらへんの倫理観のヤバさも記憶にあるだけに、ちょっと心配です。

 いずれにしろ、もう残り2週間ですからね。あまり朝から気持ちを乱されないよう、薄目で眺めたいと思います。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

◎どらまっ子AKIちゃんの『おむすび』全話レビューを無料公開しています
第1話~第56話
第57話~

どらまっ子AKIちゃん

どらまっ子。1977年3月生、埼玉県出身。

幼少期に姉が見ていた大映ドラマ『不良少女と呼ばれて』の集団リンチシーンに衝撃を受け、以降『スケバン刑事』シリーズや『スクール・ウォーズ』、映画『ビー・バップ・ハイスクール』などで実生活とはかけ離れた暴力にさらされながらドラマの魅力を知る。
その後、『やっぱり猫が好き』をきっかけに日常系コメディというジャンルと出会い、東京サンシャインボーイズと三谷幸喜に傾倒。
『きらきらひかる』で同僚に焼き殺されたと思われていた焼死体が、わきの下に「ジコ(事故)」の文字を刃物で切り付けていたシーンを見てミステリーに興味を抱き、映画『洗濯機は俺にまかせろ』で小林薫がギョウザに酢だけをつけて食べているシーンに魅了されて単館系やサブカル系に守備範囲を広げる。
以降、雑食的にさまざまな映像作品を楽しみながら、「一般視聴者の立場から素直に感想を言う」をモットーに執筆活動中。
好きな『古畑』は部屋のドアを閉めなかった沢口靖子の回。

X:@dorama_child

どらまっ子AKIちゃん
最終更新:2025/03/17 14:00