『あんぱん』第1回 「頭をちぎって食わせる」という異常行動の裏に何があったかを確かめたい

NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』が始まりました。『アンパンマン』の原作者であるやなせたかしと、その妻・のぶをモデルにした作品だそうです。
アニメの『それいけ!アンパンマン』って、たぶんちゃんと見たことないんだよな。もちろんアンパンマンという存在は子どものころから知っていたし、ドキンちゃんとかばいきんまんとか、ジャムおじさんのキャラクターもなんとなくはわかるけど、アンパンマンに熱狂した記憶はないんです。
そのアンパンマンについての第一印象は、やっぱり「自分の頭をちぎって食わせる」というグロテスクな設定であって、端的に言って怖すぎたんだと思う。ヒーローに対する憧れというのは、自分もあんなヒーローになりたいという願望でもあるわけですが、ちょっと無理やなと思ったんだろうな。困っている人がいたら助けたいとは思うけど、頭をちぎって食わせるというのは、ちょっと無理だ。痛そうすぎる。
私がアンパンマンに憧れを抱かなかったのは、大人の言葉でいえば、その強烈な自己犠牲の精神に対する畏怖だったように思います。
そのアンパンマンがいつの間にかポップになって、「国民的」になってる。たぶんほとんどの「国民的な何か」がそうなんだと思うけど、原作者のやなせ氏にとっては想定外の広がり方だったと思うし、それは莫大な富をもたらしたけれど、いいことばかりじゃなかったんだろうなと思うわけです。
その「国民的」なアンパンマンの萌芽がどういう人によって、どういう環境で生まれたのか。もともとどんな形で、誰のために作られたものだったのか。アンパンマンを「頭をちぎって食わせる」というその強烈な行為に走らせたものは、いったいなんだったのか。
今回の『あんぱん』が、そこらへんをどんな感じで描いてくるのかというところに注目して見ていきたいと思っています。
あと、今田美桜ね、この人の顔面は迫力あるんだよな。血気がある。直近の『花咲舞は黙ってない』(日本テレビ系)もすごくよかったので、豪華絢爛な脇役のみなさんも含めて、単純にお芝居合戦としても楽しめるかなと思っています。
というわけで第1話、振り返りましょう。
生成のプロセスと理解のプロセス
冒頭、「決してひっくり返らない正義って何だろう、お腹を空かせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」とか言いながら、中年となった柳井嵩(北村匠海)が絵筆でアンパンマンを描いています。そのアンパンマンは私たちの知っているポップで笑顔のあいつではなく、顔面の半分が食いちぎられ、死んだ目をして空を飛んでいるアンパンマンです。
やっぱり、このアンパンマンってキャラクターは異常なんだよな。普通じゃない。普通の作家が描けるヒーローじゃないんです。普通じゃない作家の物語が始まるぜ、という期待を抱かせるのに十分なプロローグです。
そこに現れた妻・のぶ(今田美桜)、こちらはわりと普通っぽい感じですが、「ちっとも強そうじゃなくて、カッコ悪いけど、そこがいい」とか言ってるので、どうやら嵩の作っている『アンパンマン』という作品に深い理解を示しているようです。作家ではない者がこの特異な作風を理解するに至るにも、相応のプロセスが必要であるはずです。この人にだって「頭をちぎって食わせるなんて! 異常行動!」と思ってた時期があるはずなんだよな。そのへんののぶさんの「理解のプロセス」も、これから半年間をかけて描かれることになるわけだ。
おもしろそうだなーと思いました。あと、オープニング金かかってんな、というか、そうだよな令和だったらこれくらいの映像ちゃちゃっと作れるよな、なんて少しだけ前作を思い出しましたけれども、すぐに気を取り直しました。この今田美桜は完全に今田美桜で全然「のぶ」っぽくないけど、本編とシンクロしてくることがあるのかな。
で子役パート
舞台は昭和2年の高知県・御免与町へ。ものすごく足の速い朝田のぶ(永瀬ゆずな)は「ハチキンおのぶ」と呼ばれているそうです。「ハチキン」は土佐の言葉で「男勝りの女子のこと」だそうで。「男勝り」という表現はジェンダー的にアウトになりつつある現代ですが、時代劇なのでとりあえず横に置いておく模様。ちなみに「ハチキン」の語源は、男性のキンタマが2つあることから、「4人の男性を手玉に取る」ということ(Wikipedia調べ)だそうで、ジェンダーどころの話じゃなかった。
そんなハチキンおのぶが駅まで駆けてくると、松嶋菜々子と阿部サダヲが登場。がぜん画面がリッチになって「リッチだな」と思っていたら、のぶが嵩(木村優来)に激突しました。
「気を付けや、ボケェ!」
第一印象は最悪でした、という絵に描いたようなボーイ・ミーツ・ガールがテンポよく展開されると、ここからは人物紹介。のぶが商事勤めの父・結太郎(加瀬亮)とともに石材屋を営む自宅へ帰ると、2人の妹がいることがわかります。そういや前作でも北村有起哉に妹が2人いたな、うう……。
一方の嵩と母・登美子(松嶋)は主人を急病で亡くし、親戚である寛(竹野内豊)を頼って東京から身を寄せて来たようです。この家には千尋という嵩より年下の少年が暮らしていましたが、どうやら千尋は嵩と一緒に暮らしていた時期があるようです。弟みたい。
寛を「お父さん」と呼び、たぶん実の母である登美子を「おばさん」と呼ぶ千尋。そんな千尋を何とも言えない表情で見つめる嵩ですが、この木村優来という子役の顔面の美しさたるや。
寝床に入る登美子と嵩。登美子の「もうちょっと愛想よくしなさい、寛おじさんにかわいがってもらわなきゃ」というセリフが、2人の立場の弱さをよく表していて切ないところです。
翌日、転校してきた嵩を見たのぶが立ち上がって何か叫びましたが、これなんて言ったの? 「たばるかぁ」? ちょいちょい土佐弁のわからないところがあって気になるけど、今のところはこの作品の味として見ておきましょう。
その後、嵩をイジメている悪ガキどもを下駄で引っ叩くなど「ハチキン」ぶりを発揮するのぶ(そういえばイジメっ子は4人=キンタマ8個だった)でしたが、嵩に「君はいい人なんですね」と礼を言われると、激昂。「しゃんしゃん東京へいね!」と言い放つのでした。たぶん「さっさと東京へ帰れ」ということでしょうね。
その後、自作の絵を見ながら「僕だってこんなところに来たくなかった」とひとりごちる嵩くん。その絵には家族4人が描かれていて、千尋がめちゃくちゃ似ているために「千尋が弟であること」と「嵩、絵がクソ上手い」ということが一度に紹介されていて、手際の良さを感じます。
のぶちゃんはのぶちゃんで嵩の父親が死んじゃったことを知って、即反省。すごい素直ないい子のようです。すぐに嵩に謝りに行こうとしますが、その嵩は人混みの中でジャムおじさん的なおじさん(阿部)に焼き立てのパンをもらって、おいしそうに頬張っていたのでした。
いい感じに始まった
何しろ、子ども時代の嵩くんとのぶちゃんが何を精神的支柱として生きているのかが明確に語られたのがよかったです。子どもののぶちゃんが大人ののぶちゃんにつながる雰囲気も感じられましたしね。いや、大人ののぶちゃんについてはまだほとんど知らないんだけど、『花咲』の今田美桜につながってもおかしくないな、という感じがあった。このへんは今田美桜がちゃんと俳優としてのイメージを確立しているということなんでしょう。
それと、中園さんのインタビュー読んだら、中園さんって子どものころやなせたかしと文通してたんだってね。こんなの、ガチのマジでちゃんと作るしかないじゃん、という期待もあるし、総じていい感じで始まったと思う! 今回は楽しみたい!
(文=どらまっ子AKIちゃん)