『あんぱん』第6回 主人公に与えられた「走る人」という定義がシーンの強さを生む

スタート4日目で主人公・のぶ(永瀬ゆずな)の父親が亡くなるという急展開、その後、ヤムおじ(阿部サダヲ)があんぱんを焼いてがっつりと涙を絞りにきたNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』も第2週。今週は「フシアワセさん今日は」ということで、さらなる「フシアワセ」がどなたかに降りかかるようです。
もう正直、この中の誰にも「フシアワセ」が起こってほしくないなぁと思う程度にはみなさんに感情移入していますので、今期の朝ドラは今のところ成功していると思います。楽しく見てるよ。
というわけで第6回、振り返りましょう。
ラン・のぶ・ラン
嵩くん(木村優来)の絵によって父の死を受け入れ、ヤムおじのあんぱんを食うことで活力を取り戻したのぶちゃん。今日も元気に全力疾走をしています。
『あんぱん』では、主人公ののぶちゃんをとりあえず「走る人」と定義しているようです。この人が走っているときは通常営業で、走っていないときは何か問題がある。周到だな、と思うんですよね。今日の冒頭では、のぶちゃんがどこからどこへ向かって走っているのかはわかりません。ただ、走っている。のぶちゃんを走らせることで、セリフではなくシーンで「のぶはとりあえずOKだ」と語っているわけです。
釜じい(吉田鋼太郎)は息子の墓石を彫り終え、亡骸はお墓に収められました。土葬なのかな。墓石の上に、のぶちゃんは形見のハットを添えてオープニングへ。オープニング、今日は邪魔な感じがしなかったような気がします。慣れてきたかもしれない。
で、今日イチのシーンはこのあと往来でジャムおじと会ったのぶちゃんのリアクションでした。「そろそろチビん家に行こうと思ってたんだ」と言ったジャムに、対する顔ね。
「え?」
というやつ。こういうのもできるのかーと思ったんですよね。先週末には思い切り泣かせてきた永瀬さんですが、喜劇もイケるんやと。
ここからジャムによる料金徴収のくだりは、『あんぱん』で初めてとなるコメディパート。半年という長丁場になる朝ドラではこうした緩急は必要になってくるものですが、程よかった気がしますね。ホントに、なんか見ていていろいろ安心させてくれる出来になっています。
江口のりこと松嶋菜々子の対比
朝田家に嫁入りして旦那を亡くした羽多子さん(江口のりこ)は内職を取ってきます。同じ寡婦として、嵩ママの登美子さん(松嶋菜々子)との対比が浮かび上がるんですね。
登美子は次男を親戚に養子に出しており、旦那が亡くなると長男も同じ親戚に預け入れて、再婚していく。
一方で羽多子には男子がなく、家に残って3姉妹を育てるしか選択肢がない。昭和初期の家制度がどんな感じかはあんまり詳しくないですが、たぶん羽多子さんは男の子を望まれていたんだろうなということは想像できるわけです。
あの時代、「男子が生めなかった」というだけで立場もよろしくないだろうし、旦那が死んだことでシンプルに「食い扶持」でしかなくなった女の人が、義母が「へそくりをしていた」という事実を目の当たりにして「自分も強くあろう」と感じたんでしょうね。なんというか、家族一人ひとりに想像が及ぶんだよな。釜じいはあの弟子っこに、娘の誰かと結婚させて婿入りさせたいのかもしれないな、とか、そういうことまで見えてくる。朝田家の描写については、かなり成功していると感じます。
お兄ちゃんと弟がグラグラしている
嵩くんのほうの家庭環境は描写がグラついてきたな、と感じたんですよね。
ジャムおじと会った往来で、嵩はのぶちゃんに「父さんが亡くなったとき、お母さんは泣いてたけど、僕と千尋は泣かなかった」と言っている。
つまり、千尋が父の死に立ち会っていることになる。だとすると、千尋が寛の家に養子に出されたのはいつなのだ? という疑問が浮かんでくるわけです。
千尋という子には実母や兄である嵩についての記憶がないとされています。それくらい小さいときに土佐に来ているはず。で、嵩と登美子は父のニノが死んだことがきっかけで土佐に来ている。なんか変だ。
この変な感じと、脚本があえて千尋に「お兄ちゃん」と呼ばせたり、寛に「弟」と言わせたり、嵩本人もマンガを読みながら「これ、僕たちのお父さんが作った雑誌なんだぞ」と言ってみたり、意図的に関係性に揺らぎを発生させようとしている部分と、そうじゃなく揺らいでいる部分があるような気がして、ちょっと不穏な空気が漂っています。
と思ったら、最後に「子どもがいるところで石が倒れる」というドストレートな不穏が現れて、ああ、不穏だ! となって明日へ。朝ドラを見ていて「えー明日どうなっちゃうの!?」という気分になったのはすごく久しぶりな気がしますね。どうなっちゃうんだろう。
というわけで、今日も今日とて楽しく見ております。こんな感じで続けばいいね。
(文=どらまっ子AKIちゃん)